政治家の「失言」問題

2003年7月15日朝日新聞朝刊2面にも載っていたが(面倒なので電子テキスト化は後日)、昔と比べてさほど失言が多くなったような気は、俺にはしない。具体的に昔と違うのは、中国・韓国への「ご注進報道」のリアクションが国内の大衆(メディアの受け手)および政治家サイドに対しては鈍くなってきた、と思えるところだろうか。単純に日本自体の国力の低下かも知れないし、マス・メディアの報道のしかたに対する疑問が社会的に一般認識になってきたのかも知れない。
しかし新聞社というのは、「○○氏が××と言ってるんですが、どう思いますか」という質問に対して、事実や文脈の確認もしないで「それはひどいことですね」というコメントをする人間を国内外にずいぶん抱えているもんだな、と思った。最近は国内の場合は「あー、あの人のコメントね」とすぐにその偏向ぶりが分かるようになってますが。辛淑玉とか。なんで「発言内容に関するくわしい情報が入手できていないのでコメントできない」と言えないのだろう(そういうことしか言えない人間には、もう新聞社のほうがコメントを求めてこなくなってるんでしょうね)。また、中国・韓国の人は多分日本語が分からないと思うんだが、どうやってその情報を入手しているんでしょうか。日本の新聞社が外国に、偏向した(という言いかたが不適切なら、発言の部分情報しか伝えていない)情報を流しているのかな。
まぁ、俺としては発言の細部よりも「本質」や「政治理念」に対する批判をマス・メディアには望みたいんだが、受け手の側はどうだろうか。「こういう、批判されやすいことを言っている人間がいる」と、発言の一部をクローズ・アップして、新聞の見出しその他で煽るようなセンセーショナル・ジャーナリズム(イエロー・ジャーナリズム)の手法には、いい加減うんざりしているのでは。普通の先生は、生徒の一人が「先生、○○君がぼくのことをバカと言いました」という訴えだけでは○○君を叱るのは難しいだろう(「バカという言葉を使ってはいけない」と叱る以外には)。なぜその○○がもう一人の人間をバカと言ったのか、また本当にバカと言ったのか、事実確認および「文脈」と「背景」を見るのが、正しい第三者だと思う。