江藤隆美氏は自著で何と言っているか

朝日新聞2003年7月16日の社説から。
http://www.asahi.com/paper/editorial20030716.html
78歳――江藤氏は誰を思いやる


78歳の政治家が『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)という本を出した。少年時代のこんな体験談から始まる。

 学級に在日朝鮮人がいた。誰も差別せずみな仲のいい友達だった。貧しいわが家にぼた餅が届くと、在日の子の家に届けた。彼らの方がもっと貧しかったからだ。

 そして、小泉政権の「弱肉強食主義」をこう嘆く。「他を思いやる『美風』は、いったいどこにいってしまったのだ」

 この言葉をそっくりそのまま、本の著者である自民党江藤隆美氏に返したい。

 江藤氏は福井市で開かれた自民党支部大会で、不法滞在の外国人を「どろぼうやら、人殺しやらばかりしているやつら」と決めつけた。

 不法滞在者の増加は確かに問題だが、こうした言いようは「他を思いやる美風」に、いたく遠い。

 隣国、隣人への思いやりも深いとは言えない。日韓併合について「両国が調印して国連が無条件で承認したものが、90年たったらどうして植民地支配になるのか」とも述べた。国際連盟ができる10年前のできごとだ。単なる間違いか、それとも意図的な発言なのだろうか。

 日韓併合条約が対等の立場で結ばれたものでないことも常識だ。従来の教科書を「自虐的」と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書でも「日本は韓国内の反対を、武力を背景におさえて併合を断行した」と書いている。

 総務庁長官だった95年にも江藤氏は植民地時代に日本が韓国に良いこともした、と発言して問題になった。

 「誤った、独りよがりの考え方」と陳謝し、結局辞任した。しかしその後、同じような発言を繰り返しているから反省などしていないのだろう。

 未来志向をうたった98年の日韓共同宣言、日韓が共催した昨年のサッカー・ワールドカップなど、努力して築いてきた関係を心ない発言で壊されてはたまらない。

 テレビ局にとって江藤氏はありがたい存在のようだ。「政界で動きがあるたびにパンチのある一言を聞かせてくれた江藤氏の叱(しか)り納め!」。昨年末、そんな特集を放送した民放もあった。

 不況やリストラでむしゃくしゃすることの多い世には荒っぽい言葉、攻撃的な物言いが受ける。そういった計算から「悪役」に徹しているのかも知れないが、背後に傷つく人々がいることへの思いやりは、幼い昔に置いてきてしまったのだろうか。

 5月末には、麻生太郎自民党政調会長が、創氏改名朝鮮人が希望した、と語った。この国の政治を動かしている人たちの言葉の粗雑さは目を覆うばかりだ。

 「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」

 江藤氏は著書の中でそんなことも言っている。

今日は石原慎太郎のインタビューの残りをテキスト化してみようかと思ってたんですが、このような社説が掲載されたので、江藤隆美氏の著書『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)に興味を持って、少し読んでみました。社説のなかの「引用」が適切かどうかの判断をするためですけど、まぁ確認をしなくても「不法滞在の外国人」で「どろぼうやら、人殺しやらばかりしているやつら」というのは、悪しき弱肉強食主義者で、江藤氏の語っている「他を思いやる『美風』」を持っているかたがたではないような気がします。貧しくても法に触れず、自国を愛していい国にしようと思っているかたがたは、「不法滞在の外国人」の郷里にはいるでしょうし、そういう人たちに対する愛とか共感を、江藤氏は持っているからこその犯罪者憎悪発言になっているという気がしました。だから「この言葉をそっくりそのまま、本の著者である自民党江藤隆美氏に返したい」と社説の人に言われても、江藤氏は当惑するだけなのでは。
で、『「真の悪役」が日本を救う』の中身なんですが、これは基本的に江藤氏が所属している「志帥会」というグループの、政策というか「国をどのようにしていきたいか」という理念と具体的な方法について語っている本で、小泉総理の政策批判と併せてだいたい8割ぐらいがそういう内容です。残りの2割ぐらいが例の「日本は朝鮮統治時代にいいこともした」発言に関する事情説明と、江藤氏のマスコミ批判でしょうか。でもって、実は文脈をちゃんと読めばわかることなんですが(読まないと少しわかりにくいです)「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」という文節は、マスコミを利用したポピュリズム(大衆主義)の政治家、まぁ具体的には小泉氏なんですけど、それと同時にマスコミをも批判しているところがあるように俺には感じられました。
それから、これはどうかな、と思うのは、「「誤った、独りよがりの考え方」と陳謝し、結局辞任した。しかしその後、同じような発言を繰り返しているから反省などしていないのだろう」という部分で、なぜ江藤氏が辞任したか、ということは、実はこの本にはちゃんと書いてあります。実際に「誤った、独りよがりの考え方」と陳謝して辞任したかの確認はまだしてないですが(これも調べなければならないですかね)、辞任に対する江藤氏なりの弁が書かれているのに、それを紹介しないというのは、故意の悪意が俺には感じられるのですが…。えーと、まず、話の段取りとして、当時の「事件」はどのように起きたか、というのを著書から引用してみます。マスコミ・サイドのここらへんの情報の隠匿と、にもかかわらず未だに氏の「いいこともした」発言の発言部分だけを問題視している部分は、なかなかおもしろかったです。
以下、江藤隆美氏の著書『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)より引用です(p50〜55)

自分で書かずにリークする記者
 一九九四年(平成六年)六月三十日、羽田政権のあとを受けて誕生したのが村山富市政権だった。マスコミからは「まさかの自社さ連立政権」とチャチャを入れられたことも忘れられない。
 村山第二次内閣で総務庁長官を拝命した私だったが、十一月に辞任することになった。原因は、私の「オフレコ」発言にあった。
 その風貌や政治姿勢から「政界の笠智衆」と呼ばれた村山総理の「日韓併合条約は法的に有効に締結された」という発言を受けて、韓国が猛然と村山総理を攻撃し、私は一九九五年(平成七年)十月十一日の閣議後、国会内で行われた記者会見に出席した。
 記者会見に出席したのは朝日新聞、東京(中日)新聞、読売新聞、NHKなど一〇社の記者たち、いわゆる記者クラブ所属の面々だった。
 私の仕事は閣議の内容を報告することだったが、それはものの数分で済んだ。すると、記者のうちの若い一人が、私にこう質問してきた。
「私などは戦後の教育を受けたために、日韓併合条約に関する村山総理の発言について、なぜあのような攻撃を受けるのか、またそれが正しいのかどうか、よくわかりません。大臣は歴史におくわしいので、少し勉強させてくれませんか」
 日韓併合条約の正当性には議論がかまびすしい。だから、私はその若い記者にこう答えた。
「わかった。今日は時間もあることだし、いいだろう。しかし、これからは雑談。オフレコだから、記事にしてもらっては困るよ」
「わかりました」
 彼だけでなく、他の記者たちもそれを了解した。
別にこの段階では、記者クラブの若い人も江藤さんを罠にかけるみたいなことは考えていなかったと思います。純粋に「日韓併合条約」をめぐる当時の時代について知っている人の意見を聞こうと思っただけなんでしょうね。
しかし、村山さんも「日韓併合条約は法的に有効に締結された」なんて言ってたんですか。どういう文脈でその言葉が出てきて、結局それについては訂正とか謝罪とか釈明とかをしたのかどうかが気になります。

「オフレコ」というのは、英語でいうと「オフ・ザ・レコード」。記録に取らない、すなわち、記事にしないということだ。
「オフレコ」にすることを了解した場合、記者たちは発言者の言葉をそのまま記事にすることはできない。とくに、この日の私の発言は「勉強会」でのもの。公にすべき内容ではなかった。
 そこで、私は朝鮮半島における日本の植民地政策といわれるものについての持論を披露した。
「日本は朝鮮統治時代にいいこともしたんだよ」
 発言中、私は二、三度、「オフレコ」であることを念押ししたため、記者たちはメモを取ることなく聞き入っていた。
 ところが、私は気づかなかったのだが、卓上に置いてあった五、六台のテープレコーダーは、スイッチが切られないままだった。録音が続けられていたのだ。
「オフレコ」の場合、録音もすべきではないのだから、これは当然、信義違反ということになる。
 それからおよそ三週間ののち、月刊誌の『選択』が十一月号の誌上で短いコラムを掲載した。題して『フタされた某現職閣僚の「暴言」の中身』。私を名指ししてはいないものの、その閣僚が「日本は韓国に対して、いいこともした」という発言をしたと報じたのだ。
マスコミには「オフレコ」とか「信義」という言葉が存在しないか、するにしてもきわめてその意識に乏しい、ということがわかります。政治家は「これはオフレコだから言っちゃうけど」と言って何かを言う場合は「オフレコという形で語られた、オープンにしてもかまわないようなこと」しか言わないほうがいいんじゃないかと思います。
↓ちなみに「月刊誌の『選択』」というのは、以下のサイトの奴でしょうか。
http://www.fujisan.co.jp/Product/1281679590/

 それを受けたかのように、韓国の有力紙である『東亜日報』と日本の『赤旗』が十一月八日付の紙面で、私を「張本人」として、「オフレコ」の発言内容を報道したため、日韓両国で大騒ぎになったのだった。

テープ起こしのあと韓国のマスコミに

 当時の東亜日報の東京支局は、記事になるまでの経緯について、次のように説明している。
 ----十一月六日に匿名の封書が届けられ、なかにワープロで書かれた三枚の文書が入っていた。その三枚の文書のうちの二枚には、録音テープから起こしたと思われる江藤総務庁長官の「オフレコ」発言が記載されていた。
赤旗』の場合も、何者かが「オフレコ」発言の中身を送りつけたもののようだった。
 さらに、『毎日新聞』も後追いの形で「オフレコ」発言を報じたのだが、おかしなことに同社の記者は問題の記者会見に出席していなかった。それなのに、発言内容をやけにくわしく報じているのだ。

オフレコ発言ということだったので、自社では記事にすることができず、しょうがないので他の社に記事にしてもらうという、悪賢いというか記者魂の神髄というか、すごいものがあります。「信義」違反スレスレだけど、誰がやったのかわからなければ、また一度記事になりさえすれば情報を漏らした人間の行為も無罪っぽくなるんでしょうか。
さて、ここからが江藤氏の辞任の真相というか、当人が語る辞任の弁です。ここを読めば、なぜ江藤氏がその発言を「反省などしていない」のか、「だろう」抜きで朝日新聞の社説の人にもわかるはずなんですが、著作をちゃんと読まなかったんでしょうね。実に政治的な意図というか思惑が働いたわけで…。

 騒ぎはますます拡大し、コトは日韓の外交問題にまで発展してしまった。私に対して、野党の議員諸君から不信任決議案が提出された。己に恥じることのない私は、もとより徹底的に戦うつもりだった。けれども、そうはいかなかった。それが許されない事情があったのだ。
 不信任決議案が提出されたその日は、国会の会期末だった。そして、オウム真理教一派による地下鉄サリン事件をきっかけとして提出されていた宗教法人法の改正という重要法案を、なんとしても成立させるため、会期を延長する必要があったのだ。
 もしも、私に対する不信任決議案を本会議の場で審議するとなると、そう簡単には終わらない。時間切れになり、会期延長の手続きが取れなくなる恐れがあった。そうなれば、大勢の仲間たちが長時間かけ、一致団結して作り上げた重要法案を成立させることはかなわない。オウムか、私か。
「約二時間、本会議場で全国民に対して、歴史観・国家観を表明する絶好の機会が与えられたのかもしれないが、しかし残念、時間がない。大儀のためならしかたあるまい」
 と判断し、みずから辞任することになったというわけである。
まぁ江藤氏の言い分をそのまま単純に信じるわけにもいかないだろうし、二時間にわたって江藤氏の歴史観・国家観が語られたとしても結局世の中には「バカの壁」というのがあるので、真意がうまく全国民に伝わったかどうかは不明ですが、少なくとも江藤氏は「日本は朝鮮統治時代にいいこともした」ということを言った暴言の責任としてやめた(暴言を吐いた責任を取った)わけではない、ということですね。

 どの社のだれとはいわないが、この事件を背後で操ったのは、日本の一部マスコミだろうと、私は今でも信じている。
 信義を破ってテープに録音した内容を原稿にし、自分では記事にせず、それをわざわざ韓国のマスコミに送りつけたのだ。これほど卑怯、卑劣なやり方があるだろうか。
 本来私は、総務庁長官になりたくてなったのではない。「行政改革規制緩和を推し進めるために、ぜひ協力してもらいたい」と頼まれ、固辞しきれずになったのだから、「わかった。なら、辞めた」で済んだのである。
日本の一部マスコミの卑怯・卑劣ぶりに関しては、まぁ俺も同感です。
江藤隆美氏の著書『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)(ISBN:4062118831)に興味をお持ちになったかたは、ぜひ読んでみてください。
今日はこのあと、「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」ということに関連したテキストも引用してみようかと思いましたが、まぁヘトヘトなんで明日にします。
予告しておきますと、朝日新聞社説の人による「テレビ局にとって江藤氏はありがたい存在のようだ」という評価ほど、江藤氏が激怒する方向で間違っているものはないんじゃないか、というのが俺の感想でした。
それでは、また明日。