江藤隆美氏は自著で何と言っているか・2
↓きょうはきのうに引きつづき、朝日新聞2003年7月16日の社説から。
http://www.asahi.com/paper/editorial20030716.html
そのなかの、以下の部分、
および
テレビ局にとって江藤氏はありがたい存在のようだ。「政界で動きがあるたびにパンチのある一言を聞かせてくれた江藤氏の叱(しか)り納め!」。昨年末、そんな特集を放送した民放もあった。
について語ってみようかと思います。
「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」
江藤氏は著書の中でそんなことも言っている。
まず、江藤氏の「叱り納め」を特集した民放ですが、それはこれですね。
↓「サタデーずばッと」(TBS毎週土曜日あさ5:45−7:30放送)
◆叱り納め! 江藤隆美氏が2002年の政界を総括!
http://www.tbs.co.jp/zubatto/tyumoku/2002/021228.html
土・日の午前中にはそういった政治家の出るTV番組が多いようなので、本当なら俺も録音しておかなければならないんでしょうが、さすがにそこまではちょっと。
で、きのうも紹介しました、江藤隆美氏の著書『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)(ISBN:4062118831)から、「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」というのは、どういう文脈から出てきたか、について語ってみたいと思います。
まぁ語らなくても、この本の副題が「ポピュリズムは最後に民衆を苦しめる」とあるように、ポピュリズム(大衆主義)で大衆を味方にしているように(江藤氏には)見える、小泉総理を批判する言葉というのは、多分読まなくてもおわかりでしょう。特に「この程度の約束を守れなかったのは、たいしたことではない」という小泉氏のセリフ批判というのは、その句を読むだけでも判断がつくと思います。
余談ですが、もののついでなので、小泉総理はどのような文脈でそのようなセリフを口にしたか、についても触れてみたいと思います。
こういうのは衆議院の予算委員会という公の場で、当然議事録も残っているため、調べる作業としては小学校高学年ぐらいでもサクサクできることでしょうか。平成15年1月23日(木曜日)の議事録にありました。
↓ここのところ
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815620030123003.htm
これについてもあれこれ言いたいんですが、ややこしくなりそうなんでまたの機会に、ということにして、次に行きます。
○菅(直)委員 これ以上この問題に時間を費やすことは避けますが、少なくとも、総理は、平壌宣言が誠実に履行されることの努力をする、それは当然でしょう。現時点で、少なくとも総理が出かけた時点では、北朝鮮はNPT条約に加盟していたんですよ。いいですか。変化がないんだったらわかりますよ。加盟していたのが、離脱するという行動をとって、逆方向を向いているんですよ、その宣言をしていますよ。そういう中で、こんな答弁で、物事が、総理として国民に対する説明責任を果たしているとは、私は、見ている人、聞いている人はだれ一人思わないと思います。
それでは、次に問題を移します。
いいですか。総理は、首相になる前後の中で、国民の皆さんに対して三つの公約をされております。首相に就任したら、八月十五日に、いかなる批判があろうとも必ず参拝する。二つ目には、財政健全化の第一歩として、国債発行を三十兆円以下に抑える。三つ目には、ペイオフについて、予定どおりペイオフ解禁を実施します。この三つの約束を国民にされました。
総理、この三つの約束の中で、一つでも守れた約束がありますか。
○小泉内閣総理大臣 誤解していただきたくないんですが、私は、確かにこれは約束はいたしました。しかし、私の最大の国民に対する約束は行財政改革ですから、そういう改革の中でこういうことを言ったのも事実であります。
靖国神社に対しては、八月十五日に行けなかったのは残念でありますが、それぞれ中国、韓国の立場も考えて、十三日に参拝いたしました。これは、昨年もことしも参拝しましたけれども、菅さんは、靖国神社参拝すらいかぬというんでしょう。そこら辺は、菅さんと私とは全く違います。私は、靖国神社は、総理大臣である小泉純一郎が参拝して悪いと思っていません。しかし、菅さんは、靖国神社、いつでも参拝しちゃいかぬと思うのは菅さんでしょう。そこが私はわかりません。
また、国債発行枠三十兆円以内。これはなんですか、菅さんが幹事長のとき、民主党は三十兆円枠を法律で縛れと言ったんですよ。私は、これは、経済は生き物だ、状況を見て、大胆かつ柔軟に対応する必要があるから、法律で縛る必要はないと言ったんですよ。それで、状況を見て、大胆かつ柔軟に考えて、発行枠三十兆円以下に抑えるというのをやったんだ。だから、これは、菅さんが、それじゃ、三十兆円以下に守らなきゃいかぬという法律を出した、そのとおりやったらどうなったかという議論をしなきゃいけないんだ。
これはペイオフの、もう一つ何だっけ……(菅(直)委員「ペイオフ」と呼ぶ)ペイオフね。これは、金融改革をいかに円滑に実施するか。ペイオフ延期と実際の金融改革とどっちが大事か。金融改革を円滑に実施する方が大事だという観点から、これは延期するのが妥当であると、むしろ促進するためにやった措置であります。
○菅(直)委員 いいですか、相変わらずはぐらかしていますね。私の意見は幾らでも言いますけれども、私のような意見だけじゃない人もたくさんあるんです。総理にこのことをそのままやってくれと望んでいる人もあるんです。靖国神社にこのとおり参拝してほしいと望んだ人もいるんです。多分、そういう人は、こういう約束をされたから自民党総裁選で総理のことを応援したんじゃないですか。私は応援していませんけれどもね、当たり前ですが。自民党員じゃありませんから。
国債発行額についても、また、民主党がどう言ったこう言った、いや、それはちゃんと答えましょう。しかし、最初に言い出したのは総理自身じゃないですか。総理は国民に対して約束したんじゃないですか。民主党に対して約束したんじゃないですよ。ペイオフもそうです。この三つとも約束が守られていないという意味ですね、今の答弁は。
○小泉内閣総理大臣 今の言うとおりならば、確かに、そのとおりにはやっていないということになれば約束は守られていない。
しかし、もっと大きなことを考えなきゃいけない、総理大臣として。その大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守れなかったというのは大したことではない。(発言する者あり)
『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)(ISBN:4062118831)より引用(p63〜66)
批判の方向があちこちに飛んでるんですこしややこしいですが、要するにマスコミと小泉氏批判をしています。
マスコミこそ「抵抗勢力」
福田康夫官房長官だって例の「非核三原則」に関する発言の時、「オフレコ」だと通告していたのに報道されている。
約束を守らないで、何が報道の自由だ。
私はテレビ局も含めて、いまのマスコミにはおおいに不満を持っている。いまのマスコミは、大衆の好奇心を煽るだけ煽って、それに正論であるかのような屁理屈をくっつける。まるでポピュリストの小泉氏と同じだ。
残念ながら、彼らに思想や信条があるとはとうてい思えない。
江藤さん、どうも公開の場での「バラエティ」みたいな討論は苦手というか嫌いなようです。タレントではなく昔気質の政治家のようなので当然だとは思いますが。朝日の社説では「テレビ局にとって江藤氏はありがたい存在のようだ」なんて書かれてますが、これだけだと江藤氏はテレビに出るのが好きで、お互い利用しあっているようにも読めますね。テレビに出たがらない、例外的に「議論を戦わせ」ることのない番組で年末に一度だけ「叱(しか)り納め」をしただけでこのように書くというのは、やはりイメージ操作における歪曲の例のようにも俺には思えます。「テレビ局にとって江藤氏はありがたくない存在のようだ」と書かないと、江藤さんだけではなく、毎週のようにテレビに出ている政治家に対しても、そういう政治家(タレント政治家)を使って番組を作っているテレビ局に対しても、朝日の社説の人は失礼なんじゃないでしょうか。
いろいろなテレビ局が毎週のように「出演してくださいよ」といってくる。番組で、他のゲストと議論を戦わせてくれというのだ。
「いやだよ。一流の学者、評論家となら学ぶこともあるが、意味のないバラエティ番組などに出るもんかい」
私の返事は毎回、同じ。この私が、いったいなぜ、自分の発言に責任を取らないような人たちと番組に出演しなくてはならないのだ。
菅直人氏のテレビ出演に関する裏話はなかなか面白いですが、この文脈のなかで朝日新聞社説の人が引用した「政治家は自分が責任を取れないようなことは口にしてはならない」という言葉が出てくるわけです。俺としては江藤氏の言葉としては同じ意味ながら「頭のなかで咀嚼して、信念として固まったものでなければ、政治家は口に出してはならないと、私は信じている」という部分のほうが印象に残ってますが、まぁ基本的に江藤氏がいっていることは「ポピュリズムの代表政治家」としての小泉純一郎氏・菅直人氏批判と、それを利用しているマスコミだ、ということでしょうか。うまいたとえかどうかは不明ですが、「『俺はゴキブリが嫌いだ』と言っている○○氏はゴキブリよりも劣る存在である」と、ゴキブリが批判しているような気分です。
政治というのは結果責任を問われる。だから、政治家は責任を取れないようなことは口にしてはならない。だから、公約違反も言語道断。「たいしたことない」などと、絶対にいえない。
各テレビ局のディレクターたちも「ウチの番組に出てください」と催促するが、私の返事はいつでも同じ。
「キミたちテレビ局jのメシのタネの手伝いなんかせんよ」
しかし、以前、出演したテレビ番組で民主党代表の菅直人氏と討論した際には、ちょっとばかり変な光景を目にした。コマーシャルや私が話している最中に、菅氏のところに取り巻きがわんさと集まって、耳元で盛んにレクチャーをする。そのあと、再び、テレビカメラが向けられると、菅氏はなにごともなかったかのように、立て板に水といった調子でぺらぺらとまくし立てるのだ。あれには、さすがの私もあんぐり。
もちろん私は全部自分の頭のなかにあることを話すのを旨としている。それが、自分の発言に責任を持てる、ということだ。
頭のなかで咀嚼して、信念として固まったものでなければ、政治家は口に出してはならないと、私は信じている。
改革を阻む「真の抵抗勢力」とは、実はその台詞を使って商売しているマスコミの人間たちなのではないだろうか。
江藤氏はどうも、自分のいったことに関しては「責任が取れること」という判断をしているようですので、ここでマスコミ、というより朝日新聞の人に伺いしたいことは、朝日新聞も同程度に責任意識があるのなら、江藤氏のいったことに対する具体的な証拠を示しての反論をすることができるのか、ということですね。具体的には3つあります。
1・「不法滞在の外国人」が泥棒・人殺しを犯している比率と、日本人のそれとを比べたデータ。それが明らかに「日本人とたいして変わらない」ということなら、江藤氏は弁明をしなければならないでしょうし、そうでないのなら朝日新聞が訂正しなければならないでしょう(不法滞在の外国人が不快に思う・思わないというのは関係ありません)。
2・日韓併合条約は、「両国が調印して国連(国際連盟)が無条件で承認したもの」ではない、「植民地支配」である、という証拠。「日韓併合条約が対等の立場で結ばれたものでないこと」の証拠も付属的意味はあると思いますが(扶桑社の教科書ではなく、一次史料としてそれは、見たいことは見たいです)、まぁ、対等の立場で結ばれたものではないから無効だ、ということは、条約としてはあまりないとは思いますが…。
3・「南京大虐殺(の犠牲者)が30万人などというのは、あれはでっちあげのうそっぱち」ではない、という証拠(実際に30万人の犠牲者がいた、という証拠)。あった・なかったというレベル以上の、「数」としての証拠。
いまの日本で問題なのは、政治・政治家不信よりもマスコミとそこで何かを言っている人間に対する不信のほうかもしれないので、そこらへん頑張ってもらいたいと思います。