河谷史夫氏と渡辺淳一氏のやりとりなど・2

↓「1」はこちら
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030810#p2
さて、週刊現代渡辺淳一氏『風のように』でその書評について「書評をする以上は、まず小説が好きなことが第一条件だが、この評者の意見には、小説を愛する姿のかけらもない」と言われた河谷史夫氏が取ったリアクションは、その復讐(だと思います)として、河谷氏視点で「小説が好き」と思われる人の貶し力を借りることにしたみたいで(なんかその時点でやはりこの河谷さん、小説とか作家が嫌いなんだろうなぁ、と俺は思いました)、2003年6月8日づけ朝日新聞の書評欄で、北上次郎氏の『情痴小説の研究』(マガジンハウス。今だとちくま文庫で読むことができます)を取り上げます。週刊現代は「1997年6月7日号」ですが、雑誌であるため実際の発行日はその2週間程度前、1997年5月下旬ごろと思われますので、河谷史夫氏のリアクションはとても素早いものですね。
以下、引用。


 近ごろこの国にはやるもの、アホな経営者に老害権力亡者、無責任官僚とエロ小説といったところか。
 八十五歳になる映画監督新藤兼人によると、こんにち描くべき事柄は「セックス」である。「世界中それで生きている男女の葛藤(かっとう)が人間の原点」というわけだからエロ風のはんらんは時勢だが、はた目には区別し難いとしても、そこには見るに値するものとそうでないものの別があろう。
 小説の世界も同様だ。ご多忙はお互いさまで、そう何もかも読んではいられない。目利きが必要とされるゆえんである。
 ここに「妻子ある中年男が色情に迷って理性を失う物語が、なんだか他人事ではない」と称する北上次郎が、徳田秋声田山花袋島崎藤村、里見とん、北原武夫、舟橋聖一林芙美子宇野千代瀬戸内晴美壇一雄吉行淳之介川上宗薫などなど三十三人の作家の「情痴小説」を読み解いた報告書がある。「次々と女に手を出」すように読んだ北上は「泣き虫で、身勝手で、独善的」な「ダメ男」どもに、あり得る己の姿を見る。「ダメ男としか言いようがない。ところが、こういう男に親近感を覚えるのである」
 当然のことながらその読み方は甘く切ない。ただでさえ同情的で「困ったものだ」とか「とんでもない」とか「まったく勝手な」とか言いつつも、主人公の気持ちを「わからないと言っては嘘になる」のだ。「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったフローベールを持ち出すまでもなく、作家が書くのは自分だろう。「私小説の極北」嘉村磯多が描ききったケタ外れの「劣等感と自己卑下と嫉妬心と病的な羞恥心」に「すごい」を連発する北上は「情痴小説」にひかれ続けてやまない。
 ただし、出来の悪い作品には容赦ない。「現代の情痴小説はどういう水準にあるのか」とひもといた今をときめく渡辺淳一の『ひとひらの雪』については「自己弁護のうまい中年男の助平話にすぎない」と断じ、「あるのは表面的な欲情だけにすぎない。これが現代の中年男の実像だ、というのが、あるいは作家のメッセージなのかもしれないが、その底にひそむものを描くことこそ、小説というものなのではないか」と切って捨てている。「情痴小説」を書くのも、自分が出るからけっこう難しいとみえる。
まず、北上次郎氏の『情痴小説の研究』というのは、河谷史夫氏のこの書評だと「ご多忙」な人のための「報告書」(というかブックガイド)のように見えてしまいますが、実はこの本は北上氏が考えている「情痴小説」とはどのようなもので、なぜそれに惹かれるのか、という私的研究に近いものです。具体的な個々の作品とその内容について語っていることは確かですが、その背後には北上氏が考える情痴小説の「定義」とその「魅力」という、小説が好きな人間でなければうまく語れないことが山盛り書かれています。そして、言うまでもないことですが、河谷史夫氏が引用した、渡辺淳一氏の小説について北上次郎氏が貶している部分は、この本のメインの主張ではありません。
北上氏のこの本についてちゃんとした書評をするなら、本文の引用による枚数稼ぎではなく、「情痴小説について著者はどのように考えているのか」に関するポイントを絞った紹介、その視点からどういう小説がどういう形で肯定的に語られているか、を読者に示すことが必要でしょうが…引用した書評で、それらのことが分かりましたか? 俺は情報として、「渡辺淳一氏から逃げている河谷史夫氏」というネタがあったので、ゲラゲラ笑いながら読みましたが、そういう背景を知らないと、なんで「出来の悪い作品」についてこれほどの量を書評に費やしているか不明だと思います。しかしまぁ、まさに書評する人は、対象である本の「その底にひそむものを描くことこそ」書評「というものなのではないか」だろうし、評者は「自分が出るからけっこう難しいとみえ」ましたです。
さすがに渡辺淳一氏は、「こんなすごい人、およびそのすごい人がいる朝日新聞は相手にしないほうがいいかも」と思ったようで、放置プレイということにしたみたいですが…(北上次郎氏に対しては、相互理解が可能な範囲なんで、「文学」に関する話をしてみたいとは思ったかもしれないですね、ちゃんと『情痴小説の研究』を渡辺氏が読んだとしたら)。
河谷史夫先生、朝日新聞夕刊の「素粒子」欄でこのようなことを未だに書いてたりしました。2003年4月29日づけ。

 「おはようございます」「行ってらっしゃい」と頼みもせぬのに駅頭に送ってくれた姿が今朝はない。選挙終わって静かにはなる。
   ×  ×
 風が吹けば桶屋がもうかる。SARSの流行で医療用マスクが売れる。製造元は休日返上の残業続き。回り回るは世の常ながら。
   ×  ×
 道一筋に来た810人に国から褒章。芸一筋、発明一筋、それに不倫描写一筋なんてお方もいて。

 <眦(まなじり)に金ひとすじや春の鵙(もず)>  鶏二

大爆笑&大拍手。さすがフミー(河谷史夫氏)ですな。プライドはとても、一般の人より妙に高いようです。
余計なことながら、「SARSの流行で医療用マスクが売れる」というのは、「風が吹けば桶屋がもうかる」という、ある種意味が奥深いことわざに関連づけて語るほどの奥深さがあるのかな、と思いました。それもまたフミー。