今日も朝日の「天声人語」引用批判

↓2003年9月12日づけ
http://www.asahi.com/paper/column20030912.html


 その男が演説を始めた瞬間のことを彼女はこう回顧している。「決して忘れられない黙示録的光景だった」「私は麻痺(まひ)させられた」。演説するのはヒトラー、思い出を記すのは、101歳で8日死去したL・リーフェンシュタールである。

 私の人生の過ちは真実を語り続けたこと、という彼女だけに、ヒトラーの放った異様な魅力を素直に認める。その独裁者に依頼されて彼女が撮ったナチスの党大会やベルリン五輪の映画も異様な魅力をたたえていた。

 彼女の死の翌日、「水爆の父」といわれる物理学者E・テラーが95歳で亡くなった。ハンガリー生まれのユダヤ人でナチスの迫害を避けて米国に亡命、原爆や水爆開発に携わった。

 ナチスに先を越されるな。米国で原爆開発に参加した科学者たちに共通の思いだった。しかし最初の核実験に成功したときR・オッペンハイマーの心に浮かんだ言葉「いま私は死神になった。世界の破壊者だ」もまた多くの科学者の思いであったろう(R・ローズ『原子爆弾の誕生』紀伊国屋書店)。

 「ナチスの映画をつくったことは悔やむとしても、あの時代に生きたことを悔やむことはできない。教えて、私に何の罪があるの」と訴えたリーフェンシュタール。広島、長崎への原爆投下は誤りだったとしながら核兵器を含むハイテクがなければ「スターリンが欧州を支配していただろう」と、核への信仰を捨てなかったテラー。

 20世紀が生んだ二つの怪物、ナチス核兵器。それにかかわった芸術家と科学者の死に、改めて悲劇の世紀だったと振り返る。

さてここで引用されているR・ローズ『原子爆弾の誕生』の言葉ですが、この主語の「私」というのは当然「R・オッペンハイマー」が自分のことを、「自分が死神になった」と考えて出てきた言葉だと思うでしょう。
全然違います。(多分)
これで天声人語の人の引用のしかたが「全然違う」というコメントをしたのは3度目。
↓過去の2回はこちら
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030801#p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030823#p2
↓あと、「茨木のり子さんの詩」に関しても含めるのなら、これで4度目
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030630#p1
↓まず、こちらのサイトのテキストをご覧ください
http://www.fsinet.or.jp/~ishiya/hayao3.htm

「私は一瞬、その爆発が大気に火をつけ、地球に終わりをもたらすことになるのではないかと思った。」
「巨大な閃光が見えた。これまでに誰も見たことがない明るい光だ。それは爆発し、襲いかかり、まさに人を押しのけて進んだ。目でははく、何かそれ以上のもので見る光景だった。それは永遠に続くように思われた。止まってくれるようにと誰もが望んだだろう。この光景はおよそ二秒間続いた。(略)そこにあったのは巨大な火の玉で、それはずんずん大きくなりながら回転した。黄色い閃光を放って空中に上がり、そして深紅になり、緑色に変わっていった。それは脅威だった。こちらに向かってくるように見えた。新たな物がまさに誕生したのだ。新たな抑制、新たな人間関係。人間は自然を制してそれらを入手したのだ。」
「待避壕から出てみると、あたりは非常に荘厳だった。もう世界は以前と同じではないことを我々は知った。笑う人もいれば、叫ぶ人もいた。だが、たいていの人々は沈黙していた。私はヒンズーの聖典「バガヴァッド・ギーター」の一節を思い出していた。ヴィシュヌは義務を果たすよう王子に説得を試みている。そして彼に印象づけるために、腕のたくさんついた形になって言う。「いま私は死神になった。世界の破壊者だ」私は我々みんなが何らかの意味でそう考えたと思う。」「原子爆弾の誕生」リチャード・ローズ著神沼二真/渋谷泰一訳啓学出版刊「トリニティ実験」抜粋。
ご覧の通り、元テキストは「バガヴァッド・ギーター」からの引用で、「私」というのは腕のたくさんついたヴィシュヌ神。で、核爆弾の爆発はヴィシュヌ神の誕生のように見え、みんなが何らかの意味でそう考えたと思う、というのが元テキスト(多分)。別に「オッペンハイマー」や「米国で原爆開発に参加した科学者たち」が、自分自身を「死神になった」と思ったわけではありません。この引用のしかたは、科学者たちに失礼だと思います。
ただ、元テキスト(「原子爆弾の誕生」)を確認していないので、「多分」という留意つきではありますが…。
さすがにこう、毎度毎度「誤引用」が続くと、徹底研究して本にまとめてみたくなった。あるいは雑誌の記事とか。