朝日の「天声人語」とシェイクスピア

朝日新聞2003年9月20日づけの天声人語
http://www.asahi.com/paper/column20030920.html


 ニクソン元大統領が側近に米国立公文書館に侵入するよう命じたことがあった。ケネディら歴代民主党大統領のスキャンダルを探そうとした。企ては失敗だったらしい。

 そんな誘惑に駆られるほど、公文書館には様々な資料が保存されている。文書だけで80億枚以上といわれる。侵入したとしても、簡単に探り当てられるような量ではない。皮肉なことに、ニクソン大統領時代の録音テープを保存し、彼のスキャンダルを折に触れて公表してきたのも公文書館だった。

 研究者は別にして、ここを訪れる人の多くは、独立宣言、憲法権利の章典の原本がお目当てである。2年間ほど修復のため留守にしていたが、先ごろ修復が終わった。ブッシュ大統領らが出席して17日、式典が催された。

 独立宣言などの建国文書について米紙が興味深い言い方をしている。「米国は言葉によって、その存在を高らかに宣言した」「これらの文書がなければ、この国は存在しなかったとさえいえよう」。そして「言葉が大事なのだ」。文書を収めるケースは「神殿」と称されるらしい。あの国にとって、建国文書がいわば「三種の神器」なのだ。

 公文書館の入り口にはシェークスピアの言葉「What is past is prologue」が掲げられている。演劇のせりふでいえば「ここまでが前口上」か。「過去はプロローグ」と解すれば、歴史の上に未来が築かれるの意で、いかにも歴史の番人、公文書館にふさわしい。

 ブッシュ大統領も、米国史に「汚点」を残すまい、との思いを新たにしたのではないか。

まず、「What is past is prologue」が、シェイクスピアのどのテキストに出て来るかを調べてみます。
シェイクスピア関連リンク集(日本語)
http://www.gpwu.ac.jp/door/todokoro/links.html
↓The Collected Works of Shakespeare(英語)
http://www.cs.su.oz.au/~matty/Shakespeare/Shakespeare.html
Shakespeare search engine(全文検索・英語)
http://www.cs.su.oz.au/~matty/Shakespeare/test.html
ここに「"past is prologue"」を入れると、これは「The Tempest(あらし)」の第2幕第1場におけるANTONIOという人物のセリフだということが分かります。

ANTONIO
She that is queen of Tunis; she that dwells
Ten leagues beyond man's life; she that from Naples
Can have no note, unless the sun were post--
The man i' the moon's too slow--till new-born chins
Be rough and razorable; she that--from whom?
We all were sea-swallow'd, though some cast again,
And by that destiny to perform an act
Whereof what's past is prologue, what to come
In yours and my discharge.
小田島雄志による日本語訳は以下の通り(白水社の新書・p68-69)

つまりテュニスの王妃、人が一生かけても
行き着けぬところにいる人だ。ナポリからの便りは、
太陽が飛脚になるならともかく----月に住む男では
遅すぎます----生まれたての赤ん坊の顎に髭が生え、
剃刀(かみそり)が必要になるぐらい時間のかかるところだ。
その人を送り届けての帰り道、われわれは海にのまれ、
かろうじて吐き出された何人かが運命の手によって
一芝居演じるわけです。いままではその前口上、
これからがあなたと私の出番です。
この、アントニオ、および彼がこのセリフで「あなた」と言っている人物は何者か、について、さらにくわしく語ります。
↓「あらし(テンペスト)」のあらすじは、以下のサイトに載っているので、転載(長いので、俺の今日のテキストのためだけだったら、あんまりちゃんと読まなくても大丈夫です)
http://www.gpwu.ac.jp/door/todokoro/works/tp.html

 ナポリの王アロンゾーは、娘の結婚式から帰ってくる途中に、海上で大嵐に襲われる。船にはアロンゾーの他に、王子のファーディナンド、アロンゾーの弟セバスチャン、ミラノの君主アントーニオー、顧問官の老人ゴンザーローなどが乗っていた。この大嵐は、実は孤島に住むプロスペローが魔術を使って起こしたものだった。プロスペローは、かつてはミラノの君主であったが、アロンゾーと手を組んだ腹黒い弟アントーニオーによってミラノを追い出されたのである。今、アロンゾーたちが孤島のそばを通ったのを機に、プロスペローは彼らを島に引き止めようとして嵐を起こしたのだった。

 島にはプロスペローの他に、彼の娘ミランダ、空気の精エアリエルを始めとする様々な精霊たち、そして魔女から産まれた醜い姿のキャリバンが住んでいた。エアリエルはかつて魔女の召使いだったが、魔女の酷い命令に従わなかったため、12年間松の幹の中に閉じ込められていた。だが、この島にやって来たプロスペローに助けられ、今は彼のために忠実に働いている。キャリバンは生来邪悪な心の持ち主で、かつてミランダを襲おうとしたことがあった。その時以来、プロスペローの厳しい監視下に置かれ、常に精霊たちに見張られている。どんなに遠くにいる時でさえも、キャリバンに邪悪な心が起きると、プロスペローは精霊たちに命じてキャリバンを戒めていた。その戒めの苦しさに、キャリバンの心は常にプロスペローへの憎しみでいっぱいであった。

 プロスペローはエアリエルに命じて、ファーディナンドを自分の岩屋に連れてこさせる。物心ついた時からこの島の世界しか知らないミランダにとって、父親以外の人間を見るのは初めてだった。ミランダとファーディナンドは一目で互いを好きになる。それはプロスペローの狙いでもあったが、彼はファーディナンドの愛情を試すためにわざと彼に冷たくし、試練を与える。

 島の別の場所には、アロンゾーたちが流れ着いていた。アロンゾーは、ファーディナンドが死んでしまったものと思いこんで嘆き悲しむ。この機会にセバスチャンは、アントーニオーと相談して兄から王位の座を奪うことにする。そこで、アロンゾーとゴンザーローが寝ているところを襲って、二人を殺そうとするが、エアリアルが見えない姿でやって来てゴンザーローを起こしたために計画は失敗に終わる。剣を持っているのを見られたセバスチャンは「獣の声がした」と言ってその場を取り繕う。その言葉を信じたアロンゾーは、そこを離れファーディナンドを探すことにする。

 プロスペローの言いつけで薪を拾いに来たキャリバンが、プロスペローの悪口を言いながら歩いていると、あの船で難破したアロンゾーの道化師トリンキュローが向こうからやって来る。トリンキュローを精霊だと思い込み、また苦しめられるのを恐れたキャリバンは、地面にうつ伏せになり上着をかぶって身を隠す。キャリバンに躓いたトリンキュローは、この魚のような人間のような奇妙な姿に驚くが、再び嵐の訪れを感じ、キャリバンの上着に潜り込む。そこへアロンゾーの執事ステファノーが徳利を持ってやって来る。恐れおののくキャリバンを発見したステファノーは、キャリバンが発作にかかっているのだと思い込み、酒を飲ませてやる。酒によってすっかり元気になったキャリバンは、二人が精霊ではないことを確信し、彼らを味方につけてプロスペローを倒すことにする。

 ファーディナンドを探し求めて歩き疲れたアロンゾーたちが眠ろうとした時、突然不思議な音楽が聞えてくる。そして、精霊たちが宴会の食卓を彼らの前に運び、食べるようにすすめて消える。一同が食卓につこうとした瞬間、ハーピー(女の顔と身体をし、鳥の翼と爪を持つ怪物)の姿をしたエアリアルが現われる。エアリエルは一瞬にして食卓の物を消し去り、アロンゾー、セバスチャン、アントーニオーの三人に向かって彼らの罪の深さを思い知らせる。三人は半狂乱となり、その場から駆け出して行く。

 プロスペローは、試練を耐え抜いたファーディナンドミランダとの結婚を許す。二人を祝福して、プロスペローは精霊たちに美しい劇を演じさせるが、それが終わりにさしかかった頃、彼はキャリバンたちが自分を殺しにやってくることを思い出す。三人が岩屋にやって来ると、プロスペローは猟犬に姿を変えた精霊たちを使って彼らをこらしめる。

 一方アロンゾーたちは狂ったまま、森に留まっていた。心優しいゴンザーローは、この事態に涙を流し、途方に暮れていた。そのひどい有様をエアリエルから聞いて心打たれたプロスペローは、彼らにかけた術を解いて正気に戻すことにする。そして、今後一切魔術を使わないことを決意する。魔術を解かれたアロンゾーたちは、プロスペローが目の前に立っているのを見て、非常に驚く。プロスペローは、彼らを許し快く迎える。アロンゾーも心からプロスペローに昔の非を詫び、ナポリの隷属国となっていたミラノを返す。そして、もう会えないと思っていた息子が生きてミランダと結ばれたことを知り、非常に喜ぶのである。

 プロスペローは、自分の命令に忠実に従ってくれたエアリエルを解放する。そして、これまでのことを語るために一同を岩屋へと招き入れるのである。

作成:松村優子

要するに、「what's past is prologue」というセリフは、「アントーニオー(アントニオ)と相談して兄から王位の座を奪うことに」したナポリ王の弟・セバスチャンとのやりとりにおいて出てきたセリフです。うまくやれば、あんたはナポリ王になれますぜ、俺たちの時代だ、とそそのかしているワルモノ・アントニオの言葉ですな。日本語訳としては「これからが本番」とか、「さてこれからがお楽しみ」というのは、意訳すぎるかもしれませんが、意味を考えると誤訳ではないでしょう。
さてここで天声人語によるこの語の訳、「過去はプロローグ」という解(歴史の上に未来が築かれるの意を意識した解釈)なんですが、その「歴史」と「未来」というのが、本来はどのような意味があるのか、天声人語の人は分かっていたのか(ちゃんとシェイクスピアの原典に当たってみたのか)というのがはなはだ疑問です。もし分かっていたとすると、「公文書館にふさわしい」という語句は、もっと朝日新聞アイロニーが込められていても不思議はないのですが…。ひょっとして「what's past is prologue」には「温故知新」という論語的な意味しかないと思っているのでは、という危惧を感じました。
俺は、アメリカの独立宣言が置かれている場所にその言葉を掲げた人物(誰がやったかは知りませんが)の行為に「俺たち(アメリカ)はワルモノだぜ。これからもっとワルイことをやるぜ」のような、自虐的なユーモアを感じたし、逆にユーモアを感じさせてはまずいような、たとえば日米共同宣言のテキストに「what's past is prologue」という言葉は、単純に「過去はプロローグ」の意でしかないとしても、使わないほうが無難な語句だとも思いました。
まぁ、シェイクスピアのその言葉の本来の意味を知っている人間は、英語圏でもさほど多くないとは思いますが(多かったら、さすがに公文書館もそれを外すかもしれません)、非英語圏である日本にその言葉を引用する人間(天声人語の人など)は、「公文書館にふさわしい」とは、逆説的にのみ言える言葉だと承知して欲しいところです。さもないと俺および俺のサイトを見ているような人間には笑い者にしかならないでしょう。