「帝王切開」の真実

今日は人のネタで失礼します。日本語の「帝王切開」って言葉は少しヘンじゃないの、というところから。
↓逅游日乗(2004年3月7日)
http://d.hatena.ne.jp/taro3/20040307#p1


実はドイツ語Kaiserには「分離する・切除する」という意味もあって,ラテン語sectio caesarea(切開切除)をKaisershinittで「切開切除」(shinittは「切開する」)とするのは,ちっとも誤訳ではないそうだ(むしろ直訳すぎるくらいだ)。 誤訳はラテン語→ドイツ語ではなく,ドイツ語→日本語で起こったのだという。

ハナシをややこしくしているのは,ユリウス・カエサルという名前である。 実は,カエサルという語は,そもそも「切る・分ける」という意味の言葉だったとか。 だとするとユリウス・カエサルというのは,「ユリウス一門の分家」というくらいの意味だろう。 ラテン語の甥っ子くらいに位置する英語にも,ハサミscissors,分離scissionなどの単語に「切る・分ける」の痕跡が残っている。 名門の出であることをアピールしようとしたガイウスさんのユリウス・カエサルという名が,後に「皇帝」の代名詞になっちゃったといういきさつなわけね。 で,こういうバックグラウンドのない日本で,ドイツ語Kaiserの第一義をそのまま使っちゃったと。

そのあとに小プリニウスの、もうひとつの誤解を招くテキストがあります。
要するに、「帝王切開」はある種の誤訳だけど、その誤訳が生まれるには様々な事情があったということですね。
そのあとに、元テキストは以下のように続きます。

賢明なあなたならもうご承知だろうが,なんらかのメディアを通してしか知識を得られないスキームでは,「現在もっている知識に誤りがまだあって,真実とやらがまた別にある」という命題を否定することは全く不可能だ。 知っているところまでを真実と見なすと折衷するしか,手がない。 だからだれが「帝王切開」を哂えるのだろうかと思う。

なんなら,自身で経験したことですらも,その解釈によっては誤り(より合理的でない)となる可能性を含んでいる。
#予知夢の類なんかが好例だろう。 「その人の夢をみた次の日にその人が死ぬ」という事象は,確率的には日本で年間数人程度に当たり前に起こるが,その事象をオカルトにする人はとても多い。

このスキームにあることを謙虚に受け止めるなら,個人は,消化できる以上のペースで増殖し続ける情報空間を,ただひたすら漁り続けることくらいしかできない。

そして,その解釈再統合の妙に自己満足を覚えることくらいしか。

納得する、というか、納得せざるを得ない言葉です。
しかし、「実はドイツ語Kaiserには「分離する・切除する」という意味もあって」というところから、本当は疑ってみてもいいのかも知れず。