渡辺多恵子の『新選組!』(三谷幸喜脚本)批判

渡辺さんがなぜ三谷さんの作品を「同人誌レベル」と言ったのか、については、その根拠は俺にとっては割と分かりやすいものだったので(その口調とか「お前が言うな!」的部分での問題はともかく)、ちゃんと『新選組!』を見ておけばよかったかな、と反省。見ていないものの批評・批判についてはどちらの応援もできません。
ただ一つ、渡辺多恵子さんの記述で気になったことがあったので引用(本来なら元テキスト製作者がある意志を持って削除したテキストを、このような形であっても引用していいかどうか、自分自身でもよくわからないですが、元テキスト製作者から何らかの連絡がありましたら、その連絡にそって対処したいと思います)


 それからもう一点、これだけは譲れない事。
「近藤周助(周斎)が武士だから、養子に入った勝太も武士身分になった。」という設定。 これが史実だと思いこんでいる人はかなりいる様なんですが、それを物語る史料は今現在出ていないはずです。 もしあるのなら私の不勉強ですので是非教えて頂きたい! 「司馬先生が書いている」とか「研究家の誰それが…」ではなく、必ず<当時のどの史料で明らかか>を教えて下さい。
 小説家も研究家も間違った事はいくらでも書いています。 「刀が使えるなら武士だろう」、その程度の認識で新選組を描いているフィクション作家も腐る程います。 マンガなんて言わずもがなです。

 でも、周助がどこかの殿様か幕府に召抱えられたという記録がない限り、農家の5男坊に生まれた周助の身分は生涯農民のままなのが常識。 強いて言えば剣術師範として生計を立てていたのだから、士農工商に含まれない中間層の身分であったとは言えますが、決して武士ではなく、名字も帯刀も公式に許されたものではなかったはずなんです。
 だからこそ近藤さんは、「真の武士になりたい!」という志を、子供の頃から新選組に至るまで持ち続けていられたのであって、決して養母に身分の事でいじめられたのが悔しくて「武士になってやる!」と決めたなんて、器の小さい男だと思わないで頂きたい!! もう、ホンットにお願いしますよ!!

 真の武士というのは、主君あるが故に武士たらんと思うものであって、決して自分のプライドの為になるものではありません。 「バカにされて悔しいから」なんて思う時点で、既にどうしようもない非武士根性ですよ(もちろんプライドばかりで主君を思わない<由緒正しい名ばかりの武士>が大勢いた事も事実ですが、それはここでは関係がない。)。 そんな彼らにこの先いくら「真の武士とは…」なんて語られてもちゃんちゃらおかしいし、薄っぺらにしか聞こえません。

 『風光る』の中でも描いていますが、近藤さんやトシの育った多摩という土地の農民は、他藩の農民とはハッキリ違って、天領の百姓だというプライドを高く持っていました。 だから多摩の人間には徳川への忠誠心が生まれた時から育まれているんです。
 つまり彼らが幼くして武士になりたいと思ったその先には必ず徳川があり、「将軍様のお役に立ちたい」という思いがあるのが基本なんです。 そうした人物の背景を一切無視して、なんであんなクダラナイ理由で武士を志した事にしたのか…三谷氏の気持ちが私にはまったくわかりません。 

…「剣術師範として生計を立てていた」というよりも、近藤周助は天然理心流という剣道の流派の家元で、養子相続という形ではありますが、近藤勇も幕府や藩に所属してはいないとはいえ、苗字帯刀が正式に許されている「武士」だったと思うのですが。それを証明する史料としては、天然理心流の道場主が「名字も帯刀も公式に許されたものではなかったはず」ということを否定するようなものがあればいいんだろうけど、そのようなものはどこかにありそうな気がします。「士農工商に含まれない中間層の身分」というのが、江戸時代にはたしてあったのかどうかという疑問も。「農家の5男坊に生まれた周助の身分は生涯農民のままなのが常識」というのは、養子相続の制度があるので、少し大変だけれども身分の農→士というのは、長男でない限りは可能なのでは、と思います。
なおこの件に関しては、俺は「近藤周助は武士だったのかどうか」ということ以上の興味は特にありません。俺自身もあまりそこらへんの知識は豊富ではないので、どなたかくわしいかたがおりましたらサポートでも。