追記・米軍機墜落事故直後の状況に関する国会答弁

JANJANの記者の人に教えていただいたので、少し長いけど転載します。太字は引用者=俺によるものです。
昭和53年04月14日・参議院 決算委員会より
↓国会議事録で検索してみてください
http://kokkai.ndl.go.jp/

○安武洋子君 血液検査には一人約一万円かかる。二千人ぐらいの人を検査しなければならない。これは大変なことだと思うのですね。私は、こういう悲惨な事故を引き起こした原因の究明というものは、これはちゃんとやらなければならないと思うのです。で、米軍によるこの事故の被害者への救済対策についてお伺いしたいわけなんですけれども、まずファントム機墜落直後の防衛庁のとった措置についてお伺いしておきます。
 昨年の十月五日の参議院内閣委員会の中で、当時の三原長官がお答えになっていらっしゃるのですけれども、日本人の被害者の救出をしないで米軍パイロットだけを救出したのは問題だと、こういうふうに指摘したのに対して、米軍パイロットだけを救出したということについて過ちがあったかどうか検討している、こういうことを御答弁なさっていらっしゃいます。もう相当日時がたっておりますので検討なさったと思うのですけれども、どのような間違いがあったというふうに御検討になったでしょうか、これは長官にお答えいただきとうございます。
国務大臣金丸信君) 先ほど皮膚の移植のお話も出たわけでありますが、この事件は私が就任する前の事故で、そのときの事態の話は聞いたのですが、三原長官のそのお話につきましては私は聞いてはおらなかったわけでありまして、その問題をどのように処理しておるか、どのようにしてあるのかつまびらかにいたしてはおりませんが、ただ私の聞くところによりますといわゆる米軍の飛行士が落ちた、救難活動をしておったというような話、それと同時に一方のはどういうような手を打ったかということにつきましては、つまびらかにいたしておりません。しかし私は、まことに気の毒だった、遺憾な事故だったと。
 ただいま、子供が死んでおるのにもかかわらずお母さんはまだ知らないというような状況。実は私はロートルですから皮膚ももうたるんできておる。このたるんでいる私の皮膚でも、使っていただけのであるならばひとつ私も提供してもいいというような気持ちは私は持っておるわけでありますが、果たして私の皮膚が使えるのやらどうなのやら、これも医学のことでありますから、もし使えるということであれば使っていただきたい、こう考えて、非常に気の毒だという考え方を持っていますが、詳細につきましては政府委員から答弁させます。
○安武洋子君 それは政府委員の方から答弁していただきますけれども、こういう重大な事故すらお引き継ぎにならないんですか。私はこういういまの御答弁というのは、何とこういう事故を軽視なさっていらっしゃるか、そういうことがありありと見えると思います。私はそれに抗議をいたします。そして事務当局の御答弁を伺います。
○政府委員(伊藤圭一君) 事故当日、午後一時二十三分救難隊を発動いたしまして、S62というヘリコプターが一機救難に向かっております。一時二十五分ごろに現場付近の黒煙を発見いたしまして、三十分ごろその黒煙の上に行っているわけでございます。そのときにパイロットが上空から現場を視認いたしましたところが、すでに消防車が現地に参っておりまして、救援活動が行われているというふうな認識をいたしたようでございます。そこで、すでに救援活動が行われているということでございましたので、ヘリコプターのパイロットといたしましては、御承知のように、通常航空機の事故がありましたときには、一番ひどい被害を受けるのがパイロットであるというのが常識的に考えられるわけでございます、そこでパイロットの救出に向かいましで、そしてその帰りに再びその状況を見ましたところが、すでに放水なんかも行われているということで、そのまま帰ってきたようでございます。
 そこでその救難の活動の事態といたしましては、十分ではないにしろ一応の任務を果したというふうには考えておりますが、さらにそのパイロットが、御承知のようにパイロットは余り傷もいたしておりませんでしたので、その帰りの時点でもう一度その現場の状況を確認し、そして航空隊に帰った上でその状況を的確に報告をするという必要もあったのではないかというふうに判断されます。
 同時にまた、陸上救難隊というのも発動いたしておりまして、四十数名の者が現場に向かう準備をしておったわけでございますが、すでに救難活動が行われているということで、距離も十八キロばかり離れたところでございましたので、その陸上の救難隊というものは出ていかなかったわけでございます。この点につきましても、かなり大きな火災が起きているというような状況からいたしますと、むだになってもその救難隊というものが一応現地に行ってその状況を把握し、やるべきことはやらなければならなかったのではないかというような反省をいたしているわけでございます。

「昭和52年10月05日・参議院 内閣委員会」の三原朝雄防衛庁長官の答弁も転載したほうがいいかな、とも思ったんですが、「そこらへんは究明中」的なことしか言ってなかったんで略しときます。興味のあるかたは確認してみてください。

この政府委員・伊藤圭一さんの発言は生々しい公的記録として興味深いものでした(国会議事録で俺が検索した際には、和枝さんその他関係者の固有名詞が出てなかった答弁なのでうまく見つからなかったテキストでした)。なんで自衛隊機が救援活動をおこなわなかったか、ということに関しての、国会答弁を見ての俺の解釈は、すでに消防車が動いてたりなどして、特にすることはない、という判断をしたから、ということでしょうか。墜落現場の状況を確認し報告するため、ヘリが帰りにもう一度現場上空を飛んだということ(ここらへんで子供に石投げられたんでしょうか)、および自衛隊のほうでも陸上の救難隊が向かう準備をしていたこと、消防車はとても早く(事故が起きてから5分ぐらいで)現場で活動をしていたこと、などが新しく知ることのできた事実でした。
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http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20041020#p2