日記とテキストの堕落との関係

webサービスに日記書くと堕落する理論(←BLOG界の出来事

あれだ…読者が<お客様>という考え方は、書き手にとっては、ノリノリで演奏してるのを腕組みして聴かれてるようなものだ。書き手として、別にそれが失礼とかいうふうには思わないけど、そういう態度で、あれはつまらん、これはクソ、みたいなことをあちこちで言ってるのなら、同じ読者としては、ちょっと、お近づきにはなりたくないな、なんて思う。

本文もですが、それに添付してあったid:rAdioさんの以下のコメントも興味深かったです。

私の手法は昔ながらのニュースサイト風(ムーノーとか)ですので、やはりmixi日記ではどうもしっくりこないものがありますね。
というか、自分のためだけの日記というより、人に見せて面白がってもらって、そうすることで自分の欲求も満たす、というものになってますね。まあ、日記よりさらに自己満足的なのかも知れませんが。
人様に見せることを前提にしてはいますが、飽くまでも自分のために書いているという、なんともおかしなものが、私にとっての「Web日記/blog」になりますね。

日記猿人の時代から、特に大多数に向けて書いているわけではない(とはいえ結果的にパブリック要素を持っている)日記的テキストというのは存在してて、それらをつまらないと思う人たちも存在してましたが、その相互にコミュニケーション的なものも昔はあったんですが、今は分離の度合いが進んでいるようです。身内とか特定少数のために書いている人は、やはりパブリック要素に乏しいメディアを利用したほうが、人生の苦労が少ない分だけしあわせなような気もします。俺が嫌なのは、そういう人間がパブリックである宿命を持っている存在(為政者あるいは国家権力とか)を、プライベート感覚で、中途半端な情報を元に批判しはじめるテキストが混じってしまう時でしょうか。これについて語ると長くなりそうなので少し保留。
↓そこから、以下のところへ。