大岡みなみさんからメールが来たわけですが

↓これは以下の日記の続きです
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050208#p1
ちょっと今メールボックスが開けない(ハッキングされ中?)なので、取り急ぎの用件だけ。以下の部分に間違いがあったので、記述のうえお詫び申し上げます。※以下の記述は、メールが読めるようになったら若干訂正するかも。

この記者(元記者)の人は、関係者の一方の言い分しか聞かないで記事を書いている、みたいな感がどうもしてしまいました。

この部分ですが、メールによりますと、
1・「2ちゃんねる」も含めて、「しがない記者」以外の20か所ぐらいの、この事件に関する記述を読んでから身辺雑記/最新版(2005年2月6日)の記述はおこなった。
2・「元記者」ではなく、現在も「記者」である。
とのことです。
「感(感じ)」を受けたのは俺の、あくまでも印象だったんですが、「実際はどうであったのか」に関する記述も、大岡みなみ氏の日記中にあると、俺も誤解はしなかったところ。しかし、それだけ情報収集していながら「ネット右翼に潰された」的な認識しか持てないのは、ちょっと困ったもんだな、と思います。まぁ、この話をしていると、思う・思わないレベルの堂々巡りになっちゃいそうですが。
「記者」を「元記者」としたのは、こちらのミスで、単純にお詫びと訂正するしかありませんです。
あと、テキスト引用するなら、以下の部分は外して欲しくなかった、ということなので、後づけながら掲載しておきます。

「まともな論理」や「筋道立てたコミュニケーション」とはおよそかけ離れた世界で、しかも「集中攻撃」という形で一方的に誹謗中傷するのは、まさに言葉の「暴力」としか言いようがない。こういう袋だたきのバッシングはファシズムそのものだ。やっている連中はいっぱしの「言論」のつもりなのかもしれないが、こんなものは「言論」でもなんでもない。しかも、個人情報をさらして嫌がらせや脅迫まがいのことを平然とやってのけるとは、なんたる卑劣さだろう。4年前に書いたルポ「相次ぐ自宅や職場への脅迫」の状況と同じだ。人として恥ずかしくないのだろうか。

また、今回の件では「実名バラシ」が問題になったようですが、原則としてそれには否定的なブログの人のご意見が大多数だということも言及しておきます。
メールでいただいたテキストと、だいたい同じようなことは、身辺雑記/最新版の2005年2月8日の記述で書かれてたので、是非ご一読ください
一応、それにもコメントしておきます。

 それを大前提として僕の「認識」を述べると、「ブログを主宰する記者が批判者を挑発した」として一方的に攻撃されているが、そもそも最初に「挑発してきた」または「煽った」のは、「攻撃(批判?)」してきた側ではないのか。

どちらがやったか(挑発してきたか)というのは、喧嘩をしたい人の論理ですが、この記者の人は喧嘩をしたかったのでしょうか、それとも挑発や煽りの扱いかたに慣れていなかったのでしょうか(俺の解釈では後者だと思いますが…)。また実際問題としては、「ネットで何かを言う」行為をおこなったほうが、「最初に何かをやった(挑発した・煽った)」側なのでは。
引用を続けます。

さらにその後ネット上で展開されたプライバシーをさらすような言動が、「まともな言論」であるとは到底思えないし、これは嫌がらせや脅迫そのものではないか。

これは、北海道のテレビ局の人の場合がそうだったように、コメントやトラックバックというような言論手段がブログ側から封じられて、他にすることのなくなった2ちゃんねるの人が、コツコツそこのサイトや周辺から情報を集めて暇つぶしをしてみた、というような印象です。結果的に「朝日新聞を、身元隠して擁護している朝日新聞の記者だった」というすごいものが釣れてしまったわけで。俺は前にも言った通り「擁護」は問題にしていませんが、やはり身元ははっきりしておかなくては、というのが感想。あと、身元がバレた場合にも恥ずかしくないような事項だけについて言及していればよかったものを、みたいなことも思います。
引用を続けます。

それからもう一つ。「所属している会社を隠して語った」ことがさも大問題であるかのように攻撃されているが、これは全く見当外れの不当な「言いがかり」だろう。サイトやブログの運営はあくまでも個人的にやっているもので、会社組織を代表して意見表明しているわけではあるまい。

それは正論ですが、「朝日対NHK」の話だと、個人でやっているものでも「朝日新聞の記者」という色目で見られてしまうので、話すテーマをもう少し慎重に選べばいいのでは。野菜料理や子育ての話、中南米のゲリラの話だったら、「所属している会社を隠して」どのようなことを語ろうと、ここまで問題にならなかったでしょう。また、過去にこういう因縁があって、俺は朝日新聞を擁護する(あるいは、批判する)、というのは、「言いがかり」に対抗する手段としてはまっとうです。まっとうな方法を取らないで現在も逃げている「しがない記者」の人には、あまり同情はできません。
引用を続けます。

「立場や思想が異なってもきちんとした議論ができる社会」であるためにはどうすればいいのか。その方策を考えることこそが民主主義社会を支える基本だろう。残念ながら現状はそうではなくて、「ネット右翼」が「大はしゃぎ」(某巨大掲示板群に生息する連中の表現だと「祭り」)している。彼らの多く(すべてではない)にとって、インターネットの掲示板とブログは、最高(最低)のおもちゃになっているような気がする。

えーと、ロンドンにはハイドパークという公園に、毎週日曜日誰でも演台を持ち込んでスピーチすることができる「Speaker's Corner」というのがありまして、それについては「これこそ民主主義だ!」みたいな感じで、中学だか高校の英語の教科書で習った覚えがあるんですが、たいていの演説者はヤジをする人に負けてしまって、演説が続けられない、という話を知ったのは社会人になってからでした。あと、女王陛下の悪口だけはスピーチしちゃいけないってことも。ヤジも含めてそれらもまた民主主義。
「立場や思想が異なってもきちんとした議論ができる社会」などは今のところ俺には必要ないです。というか「議論」そのものにあまり関心がない。立場や思想が異なっている人については「様々な立場や思想の人がいるもんだなぁ」と思ったり、そのような立場・思想を持つに至った根拠を考えてみたり、その根拠は本当に正しいものなのか調べてみたり、ということが、俺の好きなことなのです。ネットに思想や意見や議論を持ち込まれても、百花騒乱で結論が出るものでもないし。
あと、「ネット右翼」というものはあまりよく知らないんですが、ネット内で「左寄り」の人より「右寄り」の人のほうが優勢に見えるのは(少なくとも、アクセス数を含む「人気」とか「声の大きさ」のせいで目立つように思えるのは)、「左寄り」の人たちが望むような現実と、今の現実とが少し離れているせいかな、とも。もっとも俺の判断では、右・左のバランスは普通に取れているように、個人サイト・ブログを見る限りでは思えます。リベラル的な立ち位置でも、検証的に何かを言っていて、面白いところはいくらでもあったりするので。
また人の意見を引用すると、こんな感じですかねぇ。
Soft You Now-backnumber-

愛するものを失う悲しみを切々と歌うフォークも悪の元凶を名指しで攻撃するラップもどっちも反戦ソングとして不完全な気がする。と思って考えているうちこの二つになにが欠けているか気づく。笑いだ。