次の燃料倉庫はここか、みたいな話

わははははははは、燃えろ燃えろ! 燃えてしまえ!(←嘘です。これじゃ切込隊長BLOGだよ)
↓「小倉秀夫の「IT法のTop Front」」から。
ネガティブ・キャンペーンの押し売り

 日本共産党の活動家たちがドアポスト前まで侵入してくるのを拒む集合住宅があっていいのと同様、第三者に対するネガティブ・キャンペーンをコメント欄でやられるのを拒むblogがあったっていいわけです。わざわざ他人の管理領域まで出向いてその他人がいやがることを繰り返すのは、思想の左右を問わず、身勝手な行為だと思います。

しかしまぁ、ブログとかコメント欄ってそういうものだし。ブログの普及が「ネットで何かを言いたい人」に刺激を与えるのはいいのですが、そういう人ってたいてい「ネットで何かを言われることに慣れていない人」「何かを言われるのが嫌いな人」だったりするのが面白いところです。
blogのコメント欄は、プロパガンダのために万人に開放された領域ではない
「不快」なものは「不快」なのです。

 最後に「若隠居」氏のコメントについて触れるとすれば、訴訟外でいくら説明しても、結局中立的な立場で事実認定を行う権限を有する者がいない場合には、「根拠がない」といつまでも言い続けることは可能であるということはいえそうです。私は、職業柄そういう堂々巡り系の方々の相手をするのは比較的慣れているのですが(電話で堂々巡りの話を5〜6時間し続け、相手が根負けしたころには終電がなくなっていたということも現実にはありますから)、一般の方々はそういう人の相手をしなければならないのかと考えただけで「blogなんかやめてしまおう」とか「特定の思想集団の気に障るような話題は金輪際触れないようにしよう」という気になってしまうかもしれません。
 
 私は、そういう事態こそ避けるべきだと考えますので、相手にしたくないコメントはさくさくと削除するということはblog主の行動として肯定されるべきだと考えるのです。

自分の提示した意見と違う意見がコメントでつけられることを、蛇蝎のように嫌う人もいるみたいですが、正直俺はどうでもいいです。やはり俺は別に言論で仕事している人じゃないから、「俺がこう思っている事実は正しいのだ」というような、確固たる主張や立ち位置がないからなんでしょうか。コメントやトラックバックまで管理しようと思うのは、ちょっと時間的にも無理だし。
他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ
コメント多すぎて読めません。
関連ブログ。
松浦晋也のL/D: 失礼なコメントを削除する
旗旗:まず批判ありきでは駄目っしょ?

意見の違う相手への真摯なコメントと荒し行為は紙一重なんですよね。
たとえば掲示板でお付合いのある右翼の三浦小太郎さんは、左翼系の掲示板に書き込む時、右翼の政治主張、とりわけても歴史認識の問題は絶対に書かないことを自己に課しておられます。理由は「本人の主観的意図に関係無く、相手側から見ればどうしても荒し行為になってしまうから」です。

そういえば、俺はあまり人のブログには書き込みしていないな、と思った。トラバも送らないし。コメントもトラバも、いただくのは嫌いではないですが。
引用を続けます。

今のところ政治的な意見に対する荒し行為は、左派ブログや掲示板に対するネット「右」翼からのもの多いようですが、これは現在ではこういうスタンスからのほうが荒しやすいからで、彼らネットウヨは、20年前にネットがあったら、間違いなく「ネットサヨ」として右派のブログを荒らしていたと思います。よってウヨサヨはこのさい関係ありません。実際、2ちゃん登場以前のネットの黎明期にはこういうネットサヨがかなりいたそうですから。

で、このあと「実際に自分が荒らされたらどう対処するかという問題があります」ということですが、当該サイトの下のところにある「参考リンク」というのはだいぶ参考になるので、リンク先を読まれることを推奨しておきます。