昔の新聞記者の横暴について

青空文庫に、水上滝太郎の「新聞記者を憎むの記」というテキストが入っているのには驚いた
新聞記者を憎むの記(『貝殻追放』中)
これは、文学者・水上滝太郎が洋行から帰って来たときに、新聞記者の取材を受けて、ほとんど言ってもいないことを言ったと書かれたことに憤慨しているテキスト(エッセイ)で、現在の朝日新聞・NHK問題を見ると、さすがに当時よりは少しはましになっているとは思いますが、変わらない部分のほうが多いことを感じさせられます。
↓こんな例は、今はちょっとないとは思いますが

 二人のタイムス記者と稱する者が大きな風呂敷包を持つてやつて來た。自分は勿論ヂャパン・タイムスと信じてゐたので、そのつもりで話をしてゐた。彼等は巧妙に調子を合はせてゐる。自分は教はりはしなかつたが、慶應義塾の高橋先生は今でもタイムスに筆を執つて居られるか、といふ問にも、然りと返事をしたのである。さうして約卅分は過ぎた。すると二人の中の一人は俄に話をそらして、實は今日は別にお願ひがあると云ひながら、その持參の風呂敷を解いて、「和漢名畫集」といふものを取出し、それを買つてくれと云ひ出した。創立後幾年目とかの紀念出版だといふのである。自分は勿論斷つたが、それならお宅へお買上を願ふから取次いでくれといふので、爲方なく奧へ持つて行つた。母は買つてやつて早く歸した方が無事だと云ふのである。馬鹿々々しい、こんな下らない物をとは思つたが、母の心配してゐる樣子を見ると心弱くなつた。とう/\自分はなけなしの小遣から「和漢名畫集」上下二册金四拾圓也を支拂はされた。
 ところが後日聞くところによると、このタイムス社は、ヂャパン・タイムス社ではなく、日比谷邊りに巣をくつてゐる人困らせの代物であつた。自分は自分の人の好(よ)さをつくづくなさけなく思ふと同時に、かゝる種類の人間の跋扈する世の中を憎んだ。

↓報道によってひどい目にあった部分の描写は、今でも通じるところがありそうです

 あまりにくだくだしい捏造指摘は自分ながら馬鹿々々しいから止めるが、日本新聞界の兩大關と自稱する毎日朝日の記者が、一人の口から出た事を、全然違つて聽取つた事實を、此の二つの記事を對照して見る人はあやしまなければならない筈だ。二人とも全然自分勝手な腹案を當初から持つてゐて、記事の大部分は、自分に面會する前に原稿として出來上つてゐたのだらうと思ふ。たゞ彼等が一致した事は、自分の黒い衣服を紺背廣だと誤り記してゐる一事ばかりであつた。毎日記者は「ハハハハハと語り終つて微笑せり」と結んだが、朝日記者は「苦し氣に語つて人々と共に上陸した」と記してゐる。人を馬鹿にした話である。二人揃つてやつて來て、二人で質問しながら、お互によくも平氣で白々しい出たらめを書いてゐられるものである。馬鹿、馬鹿、馬鹿ッ。自分は思はず叫ばうとして、目の前の紳士の存在を思つて、苦笑した。
 どうも新聞記者といふものは嘘を書くのが職業ですから困ります、と云ひながら、その新聞を持主に返へした。それでも貴方のお話を伺つて書いたのでせう、と若い紳士はいかにも好奇心に光る目で自分を見ながらきき出した。自分は不愉快な氣持で食事も咽喉(のど)を通らなくなつたが、簡短に神戸港内の船中で二人の記者に迫られて四五の問答を繰返したのが、こんな長い捏造記事になつたのだと説明した。さうして肉刀(ナイフ)をとり、肉叉(フオク)をとつて話を逃れようとした。すると相手は給仕を呼んで、菓物とキユラソオを命じ、卷煙草に火をつけて落ついて話し出した。食後のいい話材を得た滿足に、紫の煙は鼻の孔からゆるやかに二筋上つた。
 自分が如何に説明しても、彼は矢張り新聞の記事を信じるらしく、少くとも廢嫡問題の將來に最も興味を持つ心持をかくしてもかくし切れないのであつた。兎に角才能のある方がそれを捨てるといふのは惜しい事ですから、などと一人合點で餘計な事をいふのである。自分は苦笑しながら食事を終つた。

↓あと、こんな批評・批判とか

 自分は決して新聞記者を、社會の木鐸だなどとは考へてゐないが、彼等が此の人間の形造る社會の出來事の報告者であるといふ職分を尊いものだと思ふのである。然るに憎む可き賤民は事實の報告を第二にして、最も挑發的な記事の捏造にのみ腐心してゐる。さうして新聞記者といふものに對して適當なる原因の無い恐怖をいだいてゐる世間の人々は、彼等に對して正當の主張をする事をさへ憚つてゐて、相手が新聞記者だから泣寢入のほかはないと、二言目には云ふのである。それをいゝ事にして強(こは)もてにもててゐる下劣なるごろつきを自分は徹頭徹尾憎み度い。同時にこれらの下劣なるごろつきの日常爲しつゝある惡行を、寧ろ奬勵してゐる新聞社主の如きも、人間社會に對する無責任の點から考へれば、等しく下劣なる賤民である。自分は單に自分自身迷惑した場合を擧げて世に訴へようとするのではない。それよりも一般の社會に惡を憎み、これに制裁を加へる事を要求鼓吹し度いのだ。
 根も葉も無い捏造記事の爲に、幾多の家庭の平和を害し、幾多の人々の社會生活を不愉快にし、幾多の人の種々の幸福を奪ふ彼等の行爲を世間は何故に許して置くのか。
 繰返して云ふ。自分は新聞記者を心底から憎む。馬鹿馬鹿馬鹿ッ。その面上に唾して踏み※(にじ)[#「足へん+爛のつくり」、23-11]つてやる心持で、この一文を草したのである。

最後の「馬鹿馬鹿馬鹿ッ」が強烈です。
短いテキストなので、ネット上で読むのも、プリントアウトして読むのもそんなに時間はかからないと思いますが、メディア・リテラシーについて何か考えていたりする人は必読です。