『機会不平等』(斎藤貴男)というノンフィクション的悪書について

人が一生懸命書いて、出版社や書店の人が一生懸命売っている本をあまり批判的に取り上げたくはないんですが、「伝聞情報の故意・悪質な流布」、いわば情報のチェーンメール化の源泉となっているテキスト、というのは俺自身が否定しておきたい最たるものなので、ちょっと取り上げておきます。

教育改革国民会議の座長、江崎玲於奈氏のインタビューから

人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプトせざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。
ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。

前教育課程審議会会長、三浦朱門氏のインタビューから

できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら『どうせ俺なんか』で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。咋今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。国際比較をすればアメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが、『ゆとり教育』の本当の目的。

今のところ、この二人(江崎玲於奈氏・三浦朱門氏)による、この二つの発言のソース(元テキスト)は、『機会不平等』(斎藤貴男文芸春秋)という本の中以外には存在しません(少なくとも俺には確認できませんでした)。
俺は、斎藤貴男氏がインタビューで言った、と言っていることを否定する材料を持たないし、当のお二人がこのテキストに関して「そんなことは言っていない」と否定するようなことも言っていないので、まぁ言った可能性は高いとは思いますが、第三者による「証言の保証」とか、公的な記録が見当たらないため、現段階では、国による教育に否定的な斎藤貴男氏が、元発言を意図的に歪曲した可能性も考慮してみたいと思います。
世の中には俺ほど懐疑的な人間はあまり多くないとは思いますが、何かに対して否定的な人間が何かについて語る場合は、特定の思想的ベクトルを持たない第三者にも客観的・公的に確認可能な、誰がみても「それはひどい」と思われるような言動その他の何かを挙げて語るべきでしょう。特に江崎玲於奈氏・三浦朱門氏などは、公職の要職として、公教育に対して公の場で積極的に発言している人間なわけで、その中から斎藤貴男氏にとって否定的に扱える材料などはいくらでも得られると思うのですが。
公に言っていることは、たとえば次のようなことです。

教育改革国民会議

【江崎座長】教育改革国民会議の座長を務めることになりました江崎玲於奈でございます。会議の始まりに当たりまして、御挨拶申し上げます。
はじめに総理から座長への要請があったとき、一旦躊躇いたしましたが、考えてみますと私が今日あるのは、私が受けた教育のお陰ではないか、教育への貢献はその責務のように感じましたのでこれをお受けした次第でございます。
今世紀、科学・技術文明は素晴らしい発展を遂げ人類に大きな利益をもたらしましたが、その一方で、地球環境の汚染など深刻な問題を惹起しました。21世紀、我々の文明は軌道修正を行いつつ、新たなフロンティアの開拓や未来への挑戦が活発に行われ、さらなる発展を遂げることは疑いありません。
甚だ単純に考えまして我々の知性、英語ではマインドと言っていいかもしれませんが、能力は大きく2つに分けられると思います。1つは物事を解析し、理解し、判断し、公正に分別する能力、英語ではジュディシャス・マインドと言っているんじゃないかと思います。もう一つは豊かな想像力と先見性の下に新しいアイデアを創造する能力、これはクリエイティブ・マインドでございます。これが総理、あるいは文部大臣が強調された創造力でございますが、この創造力こそ改革、進歩の原動力となって、人類文明を発展させ、今後も発展させるものでございます。もっとも、文明の維持には専ら分別力が求められるでしょう。政府の三権というのがございますが、行政と司法は分別力が必要で、立法は特に創造力が求められるんじゃないかと思っております。
このように2つの能力が相互に作用し合って、一層、力を発揮するのですが、ここで創造力は個性的であり、未知への挑戦だとしますと、分別力は没個性の側面を持ち、既存のものを取り扱うということが言えるのではないか。
ここで問題なのは、学校教育は主として分別力を養成することに努めてまいりました。今後、いかに創造力を育てるかが教育改革の大きな課題ではないでしょうか。
教育の問題は幅が広く、例えば、知識偏重型の教育、いじめ・不登校の問題、核家族化、子ども数の減少、人口の都市集中の中で家庭や地域の教育力の低下など、様々な問題が指摘されております。また教育に寄せる思いや考え方は、非常に多様であると存じます。ここでは、現象論的ではなく、教育の根本にさかのぼって、根本からの議論が求められていると受け止めております。
このような教育の問題に関しまして、多くの分野からの有識者のご参加を得て発足したこの教育改革国民会議におきまして、様々な視点から率直な議論が積み重ねられ、全員の協力によりまして、豊かな成果が上がりますように、座長としても努力してまいる所存でございます。考えてみますと、この国民会議の成果は、ここにおられる我々全員の創造力にかかっていると言えるのではないかと思います。
ところで科学者の創造力は21世紀の中ほどまでに、どんな科学の夢を実現してくれるでしょうか。まず宇宙開拓が一層進むことは疑いがありません。地球以外の生命体の存在が確認されるかもしれません。宇宙旅行も容易になるでしょう。我々に最も近い恒星はケンタウロスのα星でございます。4.3光年の距離にあります。光が4.3年かかるということでございます。光速度の10分の1のロケットができますと、43年、往復が86年かかりますが、これはちょっと長いでしょうか。しかし、我々の遺伝子の秘密が解明されると、老化現象をかなり遅らせることも可能になるに違いありません。
また、脳の研究により、我々の意思、心の働きが解明されるでしょう。そして脳機能に匹敵するペタフロップスのコンピュータ、これは現在の大型スーパーコンピュータというのは、テラフロップスと言っておりまして、これは演算回数が毎秒1兆回です。ペタフロップスというのはこれの1,000倍でございます。これができますと、人間の知力を備えたロボットが誕生し、彼、あるいは彼女が、分別能力だけではなく、ひょっとすると素晴らしい創造能力を備えているかもしれません。その時にはこの国民会議は解散いたしますが、その時点までは会議に対する各位のご理解とご協力をお願いいたしまして、私の挨拶といたします。ありがとうございます。

遺伝子のことには言ってないですね。
チェーンメール化の例。
googleで「人間の遺伝情報が解析され」を検索
googleで「できん者はできんままで結構」を検索
まぁ、あきれてばかりもいられないので、これはこれとして。
たとえば、そのお二人に関しては、教育関係で以下のような本が出ています。
創造力の育て方・鍛え方(江崎玲於奈・講談社)
親と教師の顔が見たい(三浦朱門・扶桑社)
それらにまず目を通し、あるいは→「教育改革国民会議」←の議事録などをネットで読んでみてから、批判に値する部分は批判することでしょう。
俺がざっと見た限りでは、江崎玲於奈さんは「教育における創造力」について、なかなか面白いことを言っているように思えます。
まぁ、『機会不平等』(斎藤貴男文芸春秋)は、物語を作っている人による物語、つまりフィクションとしてはそんなに悪いものではないかもしれません。吉川英治の『宮本武蔵』を歴史書として楽しむようなことがなければ、というような感じですが。しかしいくら面白い本でも「宮本武蔵はこのように言った」と、吉川英治の本からテキスト引用→チェーンメール化するようなことは避ける方向のほうがいいかもです。
一応アマゾンに、この本もリンクしておきます。
『機会不平等』(斎藤貴男・文芸春秋)
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050609#p1