株と骨董との優雅な関係について

lovelovedog2006-01-21

ライブドアの話でどのサイトもにぎやかですが、俺のサイトも他人事ではないので(略称がどっちもLD…LIVE DOOR:LOVEDOGというだけのことですが)、今日は骨董の話をします。なんか株というのは骨董と似ているな、ということで。欲しがる奴、売る奴、いいかげんなことを言ってニセモノをつかませる奴、とかいるんですが、要するに「欲しいと思う人がいれば、どんなものでも売れる」という、これは骨董に限らず資本主義原理みたいなものですか。
ということで、『この骨董がアナタです。』(仲畑貴志講談社文庫)(→amazon.com)の話をします。コピーライター・仲畑貴志さんの、自分と骨董にまつわる話(短編小説みたいな感じのもの)をまとめた本なんですが、どこまで本当なのかよくわかりません。その中から、「信楽蹲(しがらきうずくまる)」という一編をまるまる引用してみます。
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それでは。

寒い夜であった。マスターはひとり台所で冷酒を飲んでいる。かつてなら、愛用の古備前徳利に黄瀬戸六角盃で『三千盛』のぬる燗というところだが、今では、あれほど大騒ぎをして 蒐集した骨董も、伊万里の豆皿一枚すらない。きれいさっぱり借金のカタにとられてしまったのである。
江戸末期の伊万里小皿まで持って行かれるくらいだから、店はもうとうに他人様のものになってしまっている。さいわい、住み込み店員のために借りていた安アパートの契約が、あと数ヶ月残っていて、とりあえずそこに寝泊りしている。
マスターが包丁を持ち、カミさんが店まわりと帳場を仕切り、盛んな頃には八人もひとを使って大繁盛という料理屋であった。その凋落のきっかけを、他人は骨董のせいにするが、じつはマスターの見栄っぱりと意固地と器量のなさが原因である。だいたい、和食屋の主人でありながらマスターと呼ばせてよろこんでいるようなところを見ても、軽佻な心と浮薄な腰、そのくせ、かたくなな頭というようなところがうかがえるではないか。
マスターは、骨董を見る眼の育たない人だった。店がならんでいれば有名な店を選んだし、複数のモノを見せられたばあい、かならず高価なほうを買うという、いわゆるブランド志向であったから、結果、失敗は少ない。しかし、ときには冒険心というものに動かされ、見知らぬ骨董屋に入ることもある。入って、てきとうにモノを見て出てくればいいのだが、つい買ってしまう。
今から五年ほど前、ふらりと入った店で手に入れたのが、問題の信楽の壷である。高さ二十糎ほどの”蹲(うずくまる)”と呼ばれる室町時代後期の壷で、そのかたちが、ちょうどひとが蹲っているようにも見えることからそう呼ばれるのだが、侘茶の世界で蹲というと、掛花入れに使えるようなサイズの、もっと小振りなモノを想像するが、骨董古陶磁の商売では二十数糎でも蹲と呼ぶ。蹲といえば価値が付加され、高く売れるからである。
口辺から底に至るまでの胴回り一周、ようするに全面これ段だら模様の壷である。窯の中で、いったい何事が発生したのか。信楽独特の赤く発色した健康的な肌もなくはないのだが、暗緑色の自然釉がべっとりと流れる部分、その釉薬が剥落して白く粉を吹いたように見える部分、ビスケット肌の部分、黒く焼け焦げた部分、何ものかがくっつきはがれた部分と、じつに複雑な表情が段だらにまじりあい、えも言われぬ景色を生み出した、混沌、不穏、異相、叫喚、泥濘、奇景というような有様の壷である。
新しくモノを得ると骨董好きを店の座敷に招き披露の宴を張る。そこに信楽段だら模様壷を出した。一瞬、座のひとびとのあたまの天ぺんから「!」がとびだす。が、驚愕するひとはいても驚嘆するひとはいなかった。席ではいつも無責任な主張が飛びかうものだが、そのとき誰が言ったか、「この壷は、いやな気を発している、もつひとによくないことがあるかもしれない」という発言があり、そのひとことが、場にいたひとの胸に不吉な空気感とともに残った。
じっさい、その壷を買った頃から客足が途絶えはじめた。それは、どこの店でもおなじく、世の不景気風のなせるわざであって、決して信楽段だら壷のせいなどではなかったのだが、もともと骨董という、なにやら胡散臭い趣味にたいして批判的であったカミさんをはじめとする彼に近しいひとたちにとって、不穏な壷は恰好の攻撃目標になった。
親族と店のおもだった者が集まり、策を練る。
骨董をやめてくれればいちばん良いのだが、そのまえに、あの壷だけはなんとかしなくてはというのが、出席者の総意であった。
では、誰がどう談判するかとなると、みんな遠い目をして黙り込み、視線を交えようとしない。
「ようがす、あっしが、おおそれながらと、はなしてみやしょう」と、店長がヤカン頭に巻いた手拭いを威勢よく取り払い、まかしてあんしん」と険しい目に合わぬセリフを言った。
歳はマスターより五つ上。大学ではラグビー専攻もレギュラーにはなれず、卒業して庭師をめざすが挫折。新宿二丁目のバーで隣り合い意気投合する。以来、マスターの右腕として十八年、苦楽をともにしてきたという自負があり、ふたり肩を組んで『兄弟仁義』を歌うほどの仲であると、激して語った。
ある夜、店がハネた後、店長はマスターに意見するべく奥の座敷に入った。と思ったら、十分もたたぬうちに飛び出してきて、そのまま暇をとってしまった。
なにが、ふたりのあいだにあったのか。一部始終を聞いたという上方出の仲居の証言がある。「へえ、座敷の前にずーっとおりましてん(なぜいたのかは不明である)、はじめのうち、店長がいろいろいうたはりました、ほんなら、いままでだまってはったマスターはんが、壷やのうて鍋釜のこと、いいださはったそのとたんですわ、店長いうたら、なきそうにゆがんだかおで、とびだしてきはりました、あては、こらえらいこっちゃとあわててにげました、はあ」
店長が去り、店員に動揺が拡がった。店の景気も好転するきざしはなかった。あの、不穏な壷さえなければという思いは、今では全員の悲願のように共有された。
そこで、母親の登場となった。
大正十年生まれの母親は、末っ子であるマスターを溺愛し、つねに良き理解者を装っていたため、「死んだとうちゃんが、保証人だけにはなるなと、つねづねいってたからね、骨董には気をつけるんだよ」と脈絡のない注文をつけるにとどまっていたが、さすがに壷の存在を捨て置くことはできず、店の危機は家族の危機と大きな腰を上げたのである。
母は談判した。しかし語気は甘く「あの、気味悪い壷は、なんとかしましょうねぇ」と、リュウマチで腫れた膝をさすりさすり訴えたようなしだいで、効果があるわけがない。
マスターは、江戸っ子の板前という職能イメージ上、鉄火振りを装ってはいるが、根はマザーコンプレックス。じつに器量の細い人間であって、失敗や不首尾の前に立つと母の顔色を窺うようなところがある。それだけに、母親への期待は大きかったから、彼女の不首尾はみんなをひどく落胆させた。
ついに、最後の策がとられることになった。アルバイトで来ている、マスターの姪っ子十五歳が、手を滑らせて粉々に割ってしまうという作戦である。こどものいないマスターは、この姪っ子をわが子のようにかわいがっていたから、叱責の度も弛かろうとかんがえたのである。
今様音楽コンサートのプレミアム付き入場券で説得成功。姪っ子の手によって、壷は、みごと粉々に割れた。
一見落着、メデタシメデタシと言いたいところだが、不思議なことに、壷が割れたその日を境にして、店をとりまくすべての人間関係が加速度的にギスギスと険悪の度を増して行ったのであった。額のたてじわ、突きっぱなす声、思いやりのない動き、責任の転嫁、連絡の不正確……そんなのが増え出した店が壊れるのは早い。
マスターは思う。あの壷があった頃はよかった。客足の悪さも、入金のとどこおりも、素材の質の低下も、経営の未熟も、仕入の失敗も、すべて壷のせいにできた。不都合のすべてを壷に押しつけることによって、どれだけひとの和が保たれたことか。言ってみれば、あの壷を中心に、みんながまとまっていたのだ。
壷は、さまざまなぬれぎぬをすべて引受け、ただ黙然と蹲っていたのであった。

ちょっと芥川龍之介を思わせるような結末です。
『この骨董がアナタです。』(仲畑貴志講談社文庫)、お買い求めはこちら→amazon.com。3回も宣伝しておけばもういいか。
ちなみに、「蹲」というのは「つくばい」とも言って、たとえばこんな奴みたいです。
信楽焼陶器の蹲【水流電動つくばい】
なんかこういうの、郊外のDIY店で見たような記憶が。
(補足)
すみません、骨董の「蹲」と、DIYショップで売っているような「つくばい」とは少し、というか全然違うものみたいらしいです。コメント欄を参照してください。