谷崎潤一郎『蓼食ふ蟲』に出てくる人物のモデルになった「和田六郎」とは誰なのか

lovelovedog2006-01-22

ということで、大村彦次郎『文士の生きかた』(ちくま新書)(→amazon)を読んだわけですが、 これは昔の作家というか、文士らしい生活をしていた人たちの話で、十三人の作家の生涯が語られています。男女関係や執筆の裏話なども含めて波乱万丈な人たちばかりで、その中に谷崎潤一郎がありまして、「和田六郎」という弟子と、潤一郎の妻・千代の恋愛をモデルにした『蓼食ふ蟲』という小説の話が出てくるわけです。 p165-166

「蓼食ふ蟲」は潤一郎と千代の離婚を前提にした、微妙な夫婦生活のディテールが巧みに嵌め込まれた作品であった。これより前、実生活では妻の千代と八歳年下の和田六郎という青年との間に、恋愛関係が生じた。六郎の父和田維四郎(つなしろう)は当時著名な鉱物学者で、貴族院議員であった。震災の年、谷崎夫婦は避暑先の箱根のホテルで、和田一家と識り合って以来、懇意の仲になったが、息子の六郎は早熟の文学青年で、岡本の谷崎家に住み込み、京都へ陶芸の勉強に通ったりしていた。若い六郎と千代との間にひそかな恋が芽生えると、潤一郎はこれを黙認するばかりか、むしろ二人をそそのかすような態度を示した。千代は妊娠し、ほどなく胎児は流産した。潤一郎はこのことを執筆中の「蓼食ふ蟲」の中で、同時進行的に扱い、作品はさながら実験小説風な趣を呈した。

鬼畜というか猟奇というか波乱万丈です。ところが千代のほうはいろいろあって、和田六郎とは別れ、前から話があった佐藤春夫と結婚することになるんですが、ここらへんも話していると長いので、まぁこういったところにあるテキストを参考に。ええとまぁ、なんでサンマが苦いかしょっぱいか、という話と関係があります。
佐藤春夫
大村彦次郎『文士の生きかた』の引用を続けます。p167

だが、千代の離別はジャーナリズムの好餌となり、世間では夫婦の交換事件のように誤って喧伝された。とくに人妻だった千代が不倫の当事者として非難され、娘の鮎子までが通学していた女学校から事実上の追放処分を受けた。和田六郎は東京に戻り、一時は放蕩に身をまかせたが、後年、佐藤春夫に師事し、江戸川乱歩の推薦で、探偵作家大坪砂男として文壇にデビューした。

日本のミステリーについてはあまりくわしくないので、ここで大坪砂男の名前が出てきてびっくりしました。というよりはっきり言って腰が抜けました。まぁ、大坪の名前を普通に知っている人には常識なのかもしれませんが。
しかし、江戸川乱歩谷崎潤一郎佐藤春夫など、当時のミステリー業界と文壇との関係・人脈についてものすごく興味を持ちました。
鉱物学者・和田維四郎については以下のサイトなど。
和田維四郎 その人物と日本鉱物誌
和田維四郎鉱物標本
ドイツへ渡った和田維四郎コレクション
で、このサイト、すごいです。
鉱物趣味のページ
しかし、鉱物とミステリーの二つを趣味にしている人はあまり多くないと思うので、この父子の両方を知っている人も多くないでしょうねぇ。
大坪砂男については、たとえばこんなところに略歴が載っています。
探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-お-

本名和田六郎。1904年(明37)、東京牛込生まれ。筆名はホフマンの「砂男」からとった。
父は鉱物学者の和田維四郎で、東大教授、八幡製鉄所所長、貴族院議員を歴任し、従三位勲一等。
東京薬学専門学校卒。谷崎潤一郎の弟子や警視庁刑事部鑑識課勤務(玉ノ井バラバラ事件などを手がける)、画商を営んだりした。画商を辞めたきっかけは客に誤って贋作を販売したためらしい。
処女作は「苦楽」海外版に掲載された「二月十三日午前二時」である。そのほかに、弟子であった都筑道夫が保管している長篇私小説がある。
(中略)
江戸川乱歩は、香山滋、島田一男、山田風太郎高木彬光大坪砂男戦後派五人男と呼んだ。
1965年(昭40)、肝硬変と胃癌のため死去。

で、やはり気になるのは、谷崎潤一郎の長女・鮎子さんなんですが、どうやら泉鏡花夫妻の媒酌で、佐藤春夫の甥・竹田龍児氏と結婚している様子。
泉鏡花略年譜・弐

(昭和)14年 1939 66歳 4月24日 佐藤春夫甥竹田龍児と谷崎潤一郎長女鮎子との結婚の媒酌をする。

さらに、こんなのとか。
猫を償うに猫をもってせよ - 谷崎潤一郎詳細年譜(昭和十四年まで)
猫を償うに猫をもってせよ:「谷崎潤一郎」でarchive検索
こんなすごいものも「はてなダイアリー」にあるなんて、はてなはすごいなぁ。