情報をちゃんと入手しないうちに、嘆いたり怒ったりする人がいるわけで

http://www.haloscan.com/comments.php?user=biogon21&comment=E20060223231222&doctitle=HONEYBABY::weblog&docurl=http://village.infoweb.ne.jp/~honey/iblog/

(前略)
もう一つ、文春が英語バージョンを提供すべきだった云々は、十条さんがおっしゃるように後づけの理屈くさいですね。「煽った」という表現に潜むバイアスを指摘されたことをうけての。
(後略)
Apeman

いや、別に今回の件に限らず、日本人は英語による情報発信をちゃんとしていないので誤解されている、というのは俺がずいぶん昔から言っていることだし、「相手の言葉や文化がわからないことによるコミニュケーション・ミス」は、しばしば日記のネタとして扱っていることなんですが。
ただ今回の文春の件については、そのことについてはもう少ししっかり言及しておけばよかったというのは反省材料です。
で、これなんですが、
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060221#c

# 田中 『本来、http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060219#p3 へのコメントなのですが、こちらにという誘導が同ページにあったので、ここに書きます。

外国の人はほとんど日本語が読めないし、日本に対する情報も限定されている中で、「ここでこのようなことが言われている(書かれている)」という情報があった場合、元テキストに当たることがないまま抗議してしまう

なにも情報が伝わらないよりは、要約のかたちででも、伝わるほうが望ましいでしょう。
公刊できるレベルの翻訳には、相当のコストがかかります。商業誌が記事を英訳して売って、もとをとれるかどうかが問題です。多くの雑誌にとっては、まず目次の英訳、ついで英文要約の作成あたりが限度ではないでしょうか。英語圏以外の学術雑誌がよくとるスタイルです。その場合、英訳タイトルや要約のような中途半端な情報がひとり歩きする(全文は日本語版しかないので多くの人は読めない)という事態はさけられません。それはまずい、全文を英訳しないならタイトルも要約も英訳するな、とおっしゃるんでしょうか?
本気で商業誌の記事全文の英訳を発展させるには、国が出版助成金を出す代わりに、その雑誌掲載記事の翻訳(2次著作物)に対する権利を放棄させるとか。で、ボランティアが英訳した記事ファイルをおく e-print archive をつくり、ついでに一定期間経過後に原文記事ファイルもそこに置く、と。そんなことをいう前にまず政府刊行物の英訳を増やせという意見もありますが。
機械翻訳の技術が発展すれば自動的に解決する可能性もありますね。スウェーデン語→英語の機械翻訳は一度やったことがあるんですが、ほぼ問題なしでした。日本語と朝鮮語の間の機械翻訳もかなり高精度だときいています。しかし、日本語と英語のように文法がおおきくちがう言語間の翻訳は、むずかしいようです。
(後略)

元テキストを書いた人間が「要約のかたち」にする、あるいは少なくともその翻訳されたテキストの「要約」をチェックできるような状況でないと、「伝わるほうが望ましい」どころか「伝わらないほうがまし」という事態にもなりかねないんじゃないでしょうか。
以下は、ちょっと今回の文藝春秋とは離れて、一般論として語りますが、俺自身が、たとえばイランの「文藝春秋」的な雑誌に掲載された、ペルシア語で書かれたテキスト(記事)について、「お前のワルクチを○○という人間が言っている」と言われて、その要約をその「言っている」という人間の手によって見せられたら(あるいは、全文翻訳を見せられたとしても)、抗議とかする前にまず事実確認をします
記事を書いた人間は、自分のことについてどれだけのことを知っているか、雑誌に記事を載せた人間による「要約」(記事内容の、主旨を正確に伝えてあるもの)、などなど、俺を焚きつけようとする側が、いかに善意や信頼関係で結びついている関係だとしても、相手側の言い分を聞かないで異議の申し立ては少ししにくいのですね。
だから、あるテキストに関しては、要約か全文か、の問題より、誰の手によって要約・全文の翻訳がされたか、が重要なことになります。
というのが俺の考えです。
自分の考えを第三者(善意や信頼関係で結びついていない関係の人)に要約されて、その第三者の友人・知人に「××という考えを持っている○○という人間がいる」という噂を立てられたり、抗議をされてもかまわない(伝わるほうが望ましい)と思うような人間も、あまり多くないとも、俺は判断します。