『ホテル・ルワンダ』を非政治的ベクトルから見ると「デュベ萌え」になるのだった、と書いたらブクマにさっそく党派性な人がトホホなコメントを
ということで、やっと『ホテル・ルワンダ』を見てきたわけですが。
デュベ萌え。
え、デュベって誰かというと、主人公(ルセサバギナ)のそばにいつもいた、ツチ族のデブです。
ルワンダ軍の兵士にビールを配ろうとしてつまづくデュベ(ドジキャラ)。
ホテルの滞在客(白人)が立ち去ろうとしている雨の中で立ちつくす主人公に、傘を差し出すデュベ(ご主人様思い)。
ルワンダから他の国へ行くヴィザが出たので、トラックで出ていこうとする主人公を、半泣きで見送るデュベ(結局立ち去ることはなかったのですが)。
ああ、なんかすべてがいとおしい。
映画の内容は、思ってたよりも「家族を守ろうとする」という姿勢が強く出ていて、政治的な信念をルセサバギナに感じない(感じさせない)ところが微妙にハリウッド映画的で、そこらへんの評価が難しいところ。
あと、これを啓蒙的な映画として見るなら「加害者の視点」で見たほうがいいんだろうけど(加害者にならないように、みたいな啓蒙は意味あるのです)、俺の場合は「ツチ族」、つまり「虐殺される側」の視点で見たほうが怖いので(正直言って、虐殺する側で感情移入できるキャラが皆無、というのもあります)、その視点で見てしまいました。虐殺することの回避は啓蒙的教育で何とか可能かも知れないのですが、「自分たちが何かの属性を持っていることによって虐殺される」ということが回避できない恐怖というのは、これはもう、ものすごく嫌な恐怖なわけで。
そういう意味で、日本人の原体験(父母や祖父母から語り継がれている擬似体験)としては、「終戦後の満州や朝鮮で起きたこと」みたいなものが、この映画で語られていることに近いのかなぁ、と思いました。フツ族の民兵や兵士が、あの国の人や○○軍に見えてくる、という。
(追記)
→http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060318#p1
2006年03月16日 synonymous 『「 『そりゃあ町山さんには、虐殺している側が日本人に見えて普通だと思いますが』」なんでも党派性で見てしまう病は、このような発言に現れる。 (補)党派性というより属性ってことでしょうか。』
俺は別になんでも党派性(属性)で見ているつもりはないのですが、そのように見えたら少し自分の行動について反省してみる必要があるですかね。
補足すると、当たり前のことですが、町山さんの視点については、特に肯定的とか否定的とかいう意見はありません。