「夢の球場」(フィールド・オブ・ドリームス)はシカゴでもニューヨークでもなく、ここにある。ちなみに日本にも

ここにあります。
Field of Dreams Movie Site - Tourism Info - Baseball
って、何がなにやらよくわからないと思うので、少し説明をしますと。
1・まず、1989年に『フィールド・オブ・ドリームス』という、野球をテーマにしたファンタジー映画が作られまして、
2・その撮影場所に、アイオワ州の「ダイアーズヴィル」というところにある農場が選ばれてロケがおこなわれたわけなんですが、
3・その映画を見た人々が、そこを「聖地」にして、毎年何万人もが訪れる場所になった、
という次第。
映画は、こういうのです。
フィールド・オブ・ドリームス - goo 映画
フィールド・オブ・ドリームス - goo 映画:あらすじ

ある春の夕暮れ、アイオワ州のとうもろこし畑で働いていたレイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)は、突然「それを建てれば彼がくる」という幻の声を聞き、畑をつぶして野球場を建てる決心をする。妻のアニー(エイミー・マディガン)は夫の思いを遂げさせようとレイを温かく見守るが、町の人々の反応は冷やかだった。1年が過ぎたある日、娘のカリン(ギャビィー・ホフマン)が野球場に19年のワールド・シリーズで八百長試合のかどで球界を追放されたシューレス・ジョー(レイ・リオッタ)が現われるのを発見する。その日を境に、シューレス・ジョーとともに球界を追放されたシカゴ・ホワイトソックスの8人のメンバーが次々と姿を現わした。
(後略)

別にホラーやミステリーではないので、全文紹介(ネタバラ)してもいいんですが、このラストはぼくにとって最大の号泣映画だったのでした。
で、今日はその「聖地」を紹介している、こんな本について。
『夢の球場の巡礼者たち -それからの「フィールド・オブ・ドリームス」』(ブレッド・H・マンデル/草思社)(amazon)
この本では、ラストシーンはこんな風に書かれています。p45-46

ランシング家、アメスカンプ家(引用者注:「球場」を提供した持ち主の2軒の家)、そしてダイヤーズヴィルのほぼ全住民が、クライマックスのシーンのために参加した。新聞の広告に応じて、球場に来る最初の訪問者たちを演じるため約千五百人が自分の車に乗って、夢の球場に続く道路に並んだのだ。
周囲のコミュニティは自主的に外の明かりを消して真っ暗にし、各車はカーラジオをつけて地元のラジオ局にダイヤルを合わせ、ユニバーサル・スタジオのヘリコプターからリレーされる指示にしたがった。それによってラストシーンが成功した。ケヴィン・コスナーとドワイヤー・ブラウンが父と息子のキャッチボールをしているとき----それは大人の男どもの涙を誘う---ダイヤーズヴィルのエキストラたちは球場へと車を連ね、ハイビームを点滅させて、エンディングで地平線まで続くライトの輝きを作った。

要するに、地元が全面協力の映画です。
こういう映画撮影の「聖地」を訪問する、というのは、日本でもNHKの大河ドラマのロケ地などが観光名所になったり、映画・アニメ・エロゲなどいろいろなもので実行する人がいるので珍しくはないのですが、『フィールド・オブ・ドリームス』の場所は、単なる映画撮影がおこなわれた場所、というだけではなくて、映画そのものが強烈な癒し・救済系映画だったために、その後「癒しを求めにくる人の聖地」として、もう宗教的な場所になってしまった、というわけですね。
この『夢の球場の巡礼者たち』という本の中では、子供を亡くした父親とか、子供を認知できなかった父親と息子の○年ぶりの和解とか、家族の絆とか、語られているエピソードがやたら父親と息子の話が中心なのが少し、日本人の感覚的にはうっとうしいのですが(たいていの日本人は、父と息子の関係についてはここまで感傷的に饒舌にはならないと思います)、まぁとりあえず父親と十分にキャッチボールをしたことがない子供が読むと、共感する部分は多いと思います。p201

ほかのスポーツの熱心な愛好者からは極端な単純化といわれるかもしれないが、事実、人は教えられずともサッカーボールを芝に投げることができるし、少年はほとんど本能的に初歩的キックやトラッピングの技を真似ることができる。一人の子供にバスケットボールやフープ回しの見本を見せれば、その子はすぐさま熱心にバスケットにボールを入れようとしはじめる。だが野球に関しては説明してくれて、投げ方、補給の仕方、打ち方を指導できるパートナーが必要で、そのパートナーは実際にキャッチボール、打撃用ピッチングができなければならない。ある種のスポーツは、紹介されたらすぐに楽しめるが、野球は初歩の能力を習得し、試合をするのに必要な技術をいくつか習得するまでは楽しみとはならない。

ていうか、ぼくの場合はこの映画は「ドリームス・カム・トゥルー」と「生者と死者との奇妙な関係」という2点で、日本人好みを押さえていると思った次第です。日本人は死んだ人が好きで、それを要にした「泣かせ」のパターンを作るといいのかな、みたいな。
野球は宗教、野球選手は神、というのは、日米双方で野球少年だったことのある(少なくとも、野球に過剰の拒絶反応を持っていない)世代の人には共通の認識、というか常識なわけなんですが、その常識がうまく伝授されていかなかったところに、野球番組の視聴率低迷があるような気がします。もういっそジャニーズの人たちに野球をやらせるという番組を作ったほうが、視聴率は全然稼げそうです。
で、一応本日のネタのオチなんですが、この『夢の球場の巡礼者たち』には、こんなことが書いてありました。日本人とこの映画について。p206-207

日本の文化に野球が浸透していることと、故人を敬う伝統があることからすれば『フィールド・オブ・ドリームス』がライジング・サンの国でヒットしたのは当然かもしれない。すぐに日本からのビジターがダイヤーズヴィルにやって来るようになったのも、うなずける。1990年、東京でのプレミア上映会以来、日本人ツーリストは途切れることなく、日本のメディアも頻繁に夢の球場を取り上げた。
アメリカ人が牧歌的風景にひかれるのとまさしく同様に、日本人にも農村への郷愁がある。若者が職を求めて都会に流出するため、農村の共同社会が消えつつあることを、日本人は心の拠りどころの喪失とみなす。野球を愛し、農村の消失を悲しみ、アメリカ的なものに魅力を感じる文化において、ダイヤーズヴィルの夢の球場と、それを生んだ映画はシンボルとなった。

なかなか適切な、「なぜこの映画が日本でもヒットしたか」という分析ですが、そのあとにこんなテキストが。

フリーランスのコピーライター、ホリ・ハルヨシも映画とそのロケ地を崇めるようになった。
そのあげく、とうとう広島の北にある高宮という小さな町の稲田を、トウモロコシ畑と球場に変えてしまった。

ということで、お見せしましょう、これが日本の「フィールド・オブ・ドリームス」です。
どりーむリーグ〜トップページ〜
別に「地方の、ホームグラウンド持ちな草野球チーム」というイメージになっちゃいますが、それはそれ。
この写真なんか、いい味出してると思います。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200605/12/10/a0047310_13262167.jpg
ここからいろいろ見られます。
DREAMFIELDの管理人室
ただ残念なことに、この野球場は、2006年いっぱいで終了、とのこと。
ドリームフィールド

DREAMFIELDは、本年をもって閉鎖いたします。

少しがっかりです。
ここにその歴史が載ってますが、
DREAM FIELD

(前略)
1996年 アイオワの“ドリームフィールド”
    〔映画「FIELD OF DREAMS」の舞台となった野球場)から
    『ゴースト・プレイヤーズ』が来場し親善試合
(中略)
2000年 歌手・俳優の松崎しげる氏が来場
    カープOBチーム来場(津田恒美メモリアルゲーム)
(後略)

なかなかのものです。
閉鎖の理由はやはり「後継者難」なのでしょうか。気になるところです。
(2006年5月14日)