「正確な引用」というのはパラフレーズしていない、という以外に「引用箇所が適切か」という問題もあるわけですが
→「半・一般論」を「ガチ・一般論」として語ったひとについて(追記あり)
最後に、私の「引用」が極めて正確なものであった、という点については反論できなかった、ということでよろしいでしょうか?
最後の奴だけ先にレスするのも何ですが、その「引用」が「はてなブックマーク」におけるapesnotmonkeysさんの「引用」をさしているのなら、またそれが「正確」と言うのなら、石原慎太郎氏の日韓併合発言を「私は百パーセント正当化するつもり」と「引用」するのも「正確」ということになるわけですが、それでもいいんでしょうか*1。
「引用」というのは基本的に全文引用ではなく部分引用になることが多いので、元テキストの意図が十分に読めなかった人*2によって、切り取られた部分が「正確」だとしても「不正確」あるいは「間違った」「元テキスト者の意図とは異なった」形での「引用」になることもあるわけです。
で、ぼくはapesnotmonkeysさんの「引用」について、その意味で極めて正確なものではない、という異議申し立てをしているわけなのですが、そこらへんはわかりませんか。
要するに、apesnotmonkeysさんの、以下のテキスト、
→はてなブックマーク - 愛・蔵太の少し調べて書く日記:今のブームは「マスコミの報道検証」じゃなくて「ネットの情報検証」らしいですが。あと本田宗一郎さんの韓国に関する発言など
2006年06月12日 apesnotmonkeys “「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです”と主張してた人間が、いまになってなにをカッコつけてるんだか。
というような形で、ぼくの主張を伝えるのは間違っている、さらに言うと迷惑している、ということです*3。
これを、たとえばこのように変えてみたら、普通の人にはどう読めるでしょうか。
“当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません”と主張してた人間が、いまになってなにをカッコつけてるんだか。
今になっても何も、というか「本田宗一郎さんの言ったことを正確に邱永漢さんが伝えているかどうか疑問である」と「笹幸恵さんの言ったことをPOWの人が正確に伝えているわけがない」ということとはつながっていることなので、別にカッコつけてはいないですね。
まぁ、あとは順番に。
当該の事例において、SWCらが「4」しか行わなかったということを lovelovedogさんが異論の余地なく論証した、という記憶が私にはないのですが、それが過ちであればご指摘いただければ幸いです。
「なかったこと」の論証は難しいですね。確認できる限りでは1〜3をおこなった、という、SWC及び関係者の証言が見当たらなかった、ということでしかないので、「異論の余地なく論証」するのはむしろ「あった(おこなっていた)」と主張する側に求めてみたいと思います。ところで、ぼくのテキストの中で「SWCは「4」しかおこなっていなかった」と断定的に言っているテキストは、何かありましたか。「蓋然性」ということであれば、事実の確認ができていない以上、好意的に解釈するか、悪意を持って解釈するか、なんですが、たとえば翻訳テキストには普通にある「copyright」表記が「A Woman Retraced the Entire Route of the Bataan Death March Alone - Simon Wiesenthal Center」には見当たりませんね。下のほうには「c Copyright 2005, Simon Wiesenthal Center」という記述はあるようですが、文藝春秋や笹幸恵氏のそれは見当たりません。これについてはどう思いますか。
ええ、私は読んでませんでしたよ。
それはびっくり。
ぼくの場合は「(笹幸恵さんのテキストを読むのは)後回しにした」だけなんですが、apesnotmonkeysさんの場合は「(笹幸恵さんの英文翻訳テキストを読むのは)読む気なんて最初からなかった」という解釈でいいんでしょうか。あれだけ一生懸命、笹幸恵さんのテキスト批判をしていたあげく、
なぜなら、かつて書いたように私の主たる関心は「問題の笹レポートを読まないという選択をわざわざしておきながら、笹レポートの内容が正確に伝えられたのかを問題にしようとする、変わった人物の政治的身振りにあったからです。
という世界観を語ってしまう人と、「世界について何かを語る」のは、ちょっと危険かな、とぼくとしては判断せざるを得ませんね。危険というのは言いすぎかもしれませんが、益にならないような気がするのは確かです。
それからぼくが「読まない」という選択なんて、別にしていないのは、以下のテキストに書いたとおりです。
→「日本の市民団体が外国の人たちを煽っている」と書かれるのが嫌いな人たち
とりあえず基本的な問題として、まず文藝春秋の2005年12月号に掲載された「「バターン死の行進」女一人で踏破」(笹幸恵)のテキストのどの部分がどう間違っていて、どういう抗議をしたのか、みたいなことを見てみないといけないわけですが。
ぼくのどのあたりのテキストを見て、apesnotmonkeysさんは「問題の笹レポートを読まないという選択」をしている、というような判断をしたのでしょうか*4。
英文と和文をセンテンス、フレーズ単位で比較しても意味はなく、全体として(あるいはせめてセクション単位で)比較したうえで「笹論文が日本軍を全面的に免責しているかのような歪曲」がなされているかどうかを判断しなければなりません。
いや、「笹論文が日本軍を全面的に免責しているかのような歪曲」というレベルの歪曲はさすがに歪曲のしすぎなので、POWの人がそこまで歪曲して翻訳した、とまではぼくも言いませんよ。ただ、ぼくが笹幸恵さんだったら「翻訳の過程で日本軍の行為を、私が意図した以上に好意的・肯定的に伝えている部分がある」というような抗議はするかもしれません。あるいは「翻訳する前に私に見せて欲しかった」「copyright表記を入れろ」、とか。しかしカルチャーの違いを伝えるのは難しいですけどね。たとえば「火野葦平」氏に関しては、普通の日本人が知っている程度の知識も、レスター・テニー氏には欠けているわけで(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060506#p1)。
追記かどうか不明ですが、これはどうかなぁ。コメント欄。
訂正:「正当化できるものではまったくない」→「正当化できない」の部分は、勘違いです。後で訂正しますがとりいそぎ御報告まで。訂正の概要は「まったく」に直接相当する英語の語句はないが、英文には原文にはない"of course"があり、結果として笹氏が日本軍を全面的に免罪するつもりのないことをきちんと表現している…というもの。
Apeman | Homepage | 06.15.06 - 12:44 pm | #
全然きちんと表現してないですよ。
"of course"は原文にある「もちろん」に相当し、「まったく」に相当する英語の語句は、直接にしろ間接にしろ存在しません。
「情報は正確に伝わったのか」どうかは、「誰が伝えたか」を知るだけでは判断できないことは自明です。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報は「正確」なこともあるし、「正確でない」こともあります。正確であるかどうかを左右するファクターはたくさんあって、情報を伝えた人物が「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」であるかどうかはその一つであるにすぎません。
ええ〜っ!?
すごくつまらないことをお伺いしますが、「「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報」で「正確」だったものの例は何かありますか?*5 もっと聞くなら、そのような形での情報の流布については何も思わないのですか? たとえば自分自身(apesnotmonkeysさん自身)に関する情報についても?
“「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません”などと断定してしまうひとは、ソースがない2ちゃんねるのコピペを“いや、○○なら言いかねない”と擁護する人間と五十歩百歩であるわけです。
…すみません、吹きこぼしたコーヒーをきれいにするのにちょっとインターバルを…えーっと。なんかどんどん驚きかたがすごくなってしまいます。
それはすごい、です。
「“「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません”などと断定してしまうひと」が、ソースがない2ちゃんねるのコピペを見たときに言う言葉は「いやそれ、2ちゃんねるだから」「○○なら言いかねない? あんた馬鹿ぁ?」ですよ。
「“いや、○○なら言いかねない”と擁護する人間」は、そもそも誰が伝えたか、とか、当人に確認しているのか、なんてことは考えない困った人間ですから、本当。
ちなみにぼくの日記のテキストを「言いかねない」で検索してみたんですが、どうもそれはぼくのテキストには関係のない言葉だったようです。
(2006年6月15日)