なんで左寄り系の言論はネットでネタにされやすいのか

で、ついでなんですが、
「バターン死の行進」問題まとめ--「ネタ」のシニシズムについて

北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)を読んでいただきたいのですが、その要点だけを述べれば自分が関わる対象を「ネタ」と称するシニシズムを問題にしているわけです。

読みましたよ。これは全然「「ネタ」と称するシニシズムを問題」になんかしている本ではありませんでした。シニシズムに関する言及は、ないことはなかったんですが、これは1960年代から2000年代初頭にかけての「反省」とそれをメタ化する手続きに関しての社会学的考察について述べている本です。(→北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』は、文学趣味のない三十代ぐらいまでの男性には面白い本なんだろうなぁ、と思った。

ということで、次は『世界』のバックナンバーをどこかで探して読まなければいけない気分ですが、これも課題としてはだいぶ先になりそうな。

なぜ左寄りの人とかがネットでシニシズム系のネタにされやすいか、は考えなければならないことですが、別にそんなに深く考えなくてもいいんじゃないか、とも思ってます。だいたい「裏でこの人たちは、こんな風に関係している」というのは、シニシズム系のネタではありません。
ちょっとヒントとネタみたいなことを言うと、左寄りの人たちは
言葉の力を信じている
からなんじゃないかなぁ、と思います。
ぼくは、ネット上の言葉も含めて、言葉とその力については、信じることが極めて少ない人間です。「話せばわかる」とか「自分の言葉が正しいと、いつかわかってもらえる」などとは、ほとんど思っていません。
言葉が人を信じさせる力は、もともと弱いものでしたが、それがネットという環境の中で、さらにどんどん弱くなっている、というわけです。
もう少しうまいことが言えそうな気がするので、少し考えてみます。
(2006年6月15日)