いや、apesnotmonkeysさんは「私に接点を持っている当事者あるいは関係者」なわけで
なんかどんどん(私的には)枝葉末節的になってきましたが、
→「正確じゃないかもしれない」と「正確であるはずがない」の違いについて
私が
「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです
という発言を引用する際には、当然このエントリによって発生した文脈を念頭においていますから、
「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません。
の方まで引用しなかったのは、その文脈においては後者があってもなくても同じことだからです。
そんな無茶なことを言われても。
引用されたテキストの元テキスト者が「その引用は不正確である(引用箇所が適切でない)」と主張・抗議している段階で「あってもなくても同じこと」というのはないでしょう。apesnotmonkeysさんはもう少し、話せばわかる人かと思ってたんですが。
平行線のままではしかたがないので妥協点として、「はてなブックマーク」のコメントのほうでは、
“「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです”と主張してた人間が、いまになってなにをカッコつけてるんだか。
と言ってるんですが、そこに「引用元のリンク(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060307#p1)」を追加することは難しいですか。こんな感じに。
“「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです”と主張してた(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060307#p1)人間が、いまになってなにをカッコつけてるんだか。
駄目? 何とかそこらへんはお願いします。字数はコメント欄の100字規定を少しはみ出してしまうので、「いま」を「今」にするとか、「“」「”」を半角にするとか、やっかいな調整含みのお願いになっちゃいますが。
で、それはそれとして。
すごくつまらないことをお伺いしますが、「「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報」で「正確」だったものの例は何かありますか?
無数にあるので例を挙げるのに困ってしまいますね。例えばわたしが自分のブログで
id:lovelovedog さんが“「正確な引用」というのはパラフレーズしていない、という以外に「引用箇所が適切か」という問題もあるわけですが”というタイトルのダイアリを書いた
と読者の方に伝えたとすれば、わたしが lovelovedogさんに連絡して「こういうタイトルのダイアリを書かれましたよね?」と確認するまでもなく「正確」ですよね? あとでダイアリのタイトル変えたりしないでくださいね。なんなら“そのエントリにおいて、lovelovedogさんはわたしが「もちろん」という語を見落としていることを指摘した”というのを例にしてもかまいません。これも「正確」ですよね?
あのぉ、すごくつまらないことをさらにお伺いしますが、apesnotmonkeysさんは私に対して接点を持たない第三者なんですか? ちょっと例としては適切ではないと思うんですが。
それでは、ぼくが仮に朝日新聞の記者だとして*1、「id:lovelovedog さんが“「正確な引用」というのはパラフレーズしていない、という以外に「引用箇所が適切か」という問題もあるわけですが”というタイトルのダイアリを書いた」という情報を入手したとします。
普通の記者、というかちゃんとジャーナリストとしての社内教育を受けている記者なら、まず第一にすることは、「そのタイトルのダイアリを書いたのは、本当にid:lovelovedogさんですか?」と、当人に確認することです。
1・当人が肯定して、それが記事になるような内容だったら、それを記事にします。
2・当人が否定して、なおかつその否定が怪しいようなら、別の「当人に対して接点を持っている人間」に確認をして、「否定しているが、ここまでの事実は確認された」という形で、もっと面白い記事にします。
3・当人が取材を拒否したら、「取材は拒否された」という記事を書き、恨みの念をエナジーにして、当人から名誉毀損で訴えられても大丈夫なだけの、別方面からの裏取りをして、もっともっと面白い記事にします。
いずれの例においても、「当人に対する事実の確認」は、第三者には不可欠なわけですよ。
で、ぼくは「笹幸恵さんとSWCとの接点は見当たらなかった。あるというのならあるという証拠を見せて欲しい」と言っているわけです*2。
一応ここらへんもapesnotmonkeysさんに妥協して、「結果として正確だった」という例はあるとしましょう*3。
ぼく自身も徹底的に読み比べてみたわけではないので何とも言えないんですが、「笹幸恵さんのレポート」と「それの翻訳テキスト」に関しては、「結果として正確な部分は多いが、ぼくが笹幸恵さんだったら抗議するかもしれない部分もある」というのは、前の日記で指摘したとおりです(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060618#p1)。
少しぼくのほうでも表現に気をつけなければならない部分がありそうですが、「正確なわけがありません」というのは「間違っているに決まっている」とはいえ、「全然丸っきり正しくない」と同義では、少なくともぼくの意識としてはないんですよ。
それは笹幸恵さんのテキストを英文に直す過程で、笹さんがあたかも日本軍全面擁護的なことを言っているような翻訳をしている、なんてぼくが言っていないのと同じです。ただ、言葉の微妙なニュアンスや、日本人には常識的な人名その他の固有名詞までは伝えていないのは、ぼくの感じたところです*4。
「“「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません”などと断定してしまうひと」が、ソースがない2ちゃんねるのコピペを見たときに言う言葉は「いやそれ、2ちゃんねるだから」「○○なら言いかねない? あんた馬鹿ぁ?」ですよ。
いやまああなたに自覚がない、ということはよくわかりました。わたしにとって lovelovedogさんは「集まっている証拠からは蓋然的な判断しかできないはずなのに、de jure モードで激しく断定してしまったひと」として永遠に…ということはもちろんないですが少しの間、記憶に残るでしょう。
いやまぁぼくにとってもそんなことはどうでもいいので、「「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報」で「正確」だったものの例は何かありますか? じゃないとぼくとしても、何度でも、apesnotmonkeysさんが納得するまで、同じことを永遠に言い続けるかもしれないのですが。
なお、どうしても当人に確認が取れない、歴史となっているような人物・事象については、一般常識的に「正確とされていること」であり、ぼくも「正確なわけはないけど、部分否定以上の否定はできない(判断は保留せざるを得ない)」とする程度の常識はあるので、当人・関係者がすべて死んでしまっているほどの古い歴史的事件に関して、「こういう例があるじゃないか」というのはご容赦ください。
で、いささか「追記」的になってしまうのですが、
さて、このエントリへのコメント欄で、私が追記部分を書くより先に seabass さんからご指摘のあったことなのですが、今の日本には数多くの「翻訳」があふれています。
以下の件について。
思ったんですが、ぼくの「正確であるわけがない」という語の意味をapesnotmonkeysさんは「全然間違っている」というような、全否定的な意味で言っている、と解釈しているのではないですか? 間違ってたらすみません。それはそういう意味ではなくて、ぼくが笹幸恵さんのレポートにからんでも言ったように、「微妙なニュアンスも含めて正確ではない」という意味で、たとえばシェイクスピアの翻訳だったら、根本的な物語は同じでも、テキストはその訳者によって全然違ってますよね。ほんとうに「正確」なものだったら、翻訳は一種類しか存在しないはずです。その「違い」が「不正確にもとづくゆらぎ」で、これは異なる言語の場合に顕著ですが、同じ日本語を使っている人間同士でもけっこうあることです。だから、元テキストが自分に読める言語だったら、著者のメッセージ性が強いものの場合、またそのメッセージに対して異議・抗議を申し入れる場合には元テキストで読むべきだろうし*5、何らかの形での元テキスト者とのコンタクトが不可欠だと思うんですよ。今回のケースでのテニー氏の抗議は、ぼくにはいわば「伝聞情報レベルでの抗議」にしか見えないわけです。何でもかんでも抗議すれば、そして抗議する側が「ひどい目に会った側」の場合は、その抗議が無条件で受け入れられる、という時代ではないので*6そこらへんの判断が、SWCおよびレスター・テニー氏にちゃんとあったのかどうか疑問なわけです。
まぁ、ぼくの意見が一般的かどうかは不明ですが、「日本語の元テキストを読んでもいないくせに、日本人のリベラル仲間にそそのかされて抗議かよ、おめでたいな」という空気は、やはりないとは言えないでしょう。
何度か言及してきた lovelovedogさんの「アツさ」と関連することですが、これと対称的なのは笹レポートの原文に対する lovelovedogさんの熱意のなさです。
あー、これは恥ずかしいことではありますが、前にも述べたとおり、ぼく基準ではまだ「笹幸恵さんのレポート」を読んだ、とは言えないんですよ。表面だけ目を通した、って程度で、中の記述がどういうものに基づき、どこまで正確なのか全然未確認なので。だから、もしapesnotmonkeysさんがこの件について触れるようなことがあるのなら、「いったいいつになったら笹幸恵さんのレポートを、愛・蔵太さんはちゃんと読むのですか」と、ときどきぼくに思い出させてください。
(2006年6月16日)