日経の記事を検証しないで中国・韓国や全国に情報を流す朝日新聞・共同通信その他と、ネットで検証している人たちについて

こんなニュースがあったわけですが、
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ(NIKKEI NET:主要ニュース)2006年7月20日7時

昭和天皇が1988年、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。 (07:00)

この「いわゆる昭和天皇メモ」に関しては、2006年7月20日日本経済新聞の↑の記事が最初だったわけです。
それを受けて系列のTV東京では、以下のようなニュースを流しました。
A級戦犯合祀に不快感FLASH NEWS)

靖国神社A級戦犯が合祀されていることについて、昭和天皇が強い不快感を示していたことがわかりました。日本経済新聞が入手した当時の宮内庁長官富田朝彦氏のメモによりますと、昭和天皇は1988年、富田氏に対し、A級戦犯の合祀に触れ「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語りました。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降、靖国神社に参拝しませんでしたが、理由は明らかにしていませんでした。

それに真っ先に飛びついたのは朝日新聞だった様子。
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀朝日新聞)2006年07月20日11時12分

昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社A級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。
これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿靖国神社宮司を指しているとみられる。
メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳靖国神社宮司について触れられたとみられる。
昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。
昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。
靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。

    ◇

《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。
個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。

    ◇

靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。
大きな国際問題になったのは、戦後40年の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。
昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。
首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。
自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。
ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。

    ◇

靖国神社に合祀された東京裁判A級戦犯14人》
【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)
東条英機(陸軍大将、首相)
板垣征四郎(陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
松井石根(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
武藤章(陸軍中将)
広田弘毅(首相、外相)

終身刑、獄死】
平沼騏一郎(首相)
小磯国昭(陸軍大将、首相)
白鳥敏夫(駐イタリア大使)
梅津美治郎(陸軍大将)

【禁固20年、獄死】

東郷茂徳(外相)

【判決前に病死】

松岡洋右(外相)
永野修身(海軍大将)

ぼくのこの時点での感想は、そのメモが本物なのか、についてのもう少していねいな「検証」もしないで、「昭和天皇の肉声に近いものだと思う」みたいなコメントをする人を記事にして大丈夫なのかなぁ、と朝日新聞に対して心配しました。「日本経済新聞がこう書いている記事を信じる」という気持ちは、新聞社・記事に対する姿勢として間違ってはいないかもしれませんが、それは「読者」の姿勢で、「記者(報道人)」の姿勢としてはもう少し懐疑的でもいいのでは、みたいな。
で、それはさっそく誰かの手によって韓国に伝わった様子。
昭和天皇の発言、韓国でも速報朝日新聞)2006年07月20日11時21分

昭和天皇の発言、韓国でも速報
2006年07月20日11時21分

昭和天皇の発言」は20日、A級戦犯靖国合祀(ごうし)や首相の参拝に反発している韓国でも各メディアによって速報された。

公共放送KBSラジオは、朝のニュースで論評抜きながら準トップ級ニュースとして報道。通信社・聯合ニュースは「日本の昭和天皇A級戦犯合祀後に参拝中断決心』」との見出しで詳報し、靖国部分のメモも全訳して伝えた。「参拝中断の理由がA級戦犯合祀との事実が明白になったことで、小泉首相ら政治家の靖国参拝に影響を与えるかどうかが注目される」としている。

こういう情報に関しては、朝日新聞は情報が早いので重宝します。
で、このニュースが日本全国に伝わったのは、共同通信による地方紙への配信の様子。
昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感 - 社会ニュース : nikkansports.com共同通信

昭和天皇A級戦犯合祀に不快感

昭和天皇が1988年、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示す発言をしていたとする当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。日本経済新聞が同日付朝刊で報じた。昭和天皇は78年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。
関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは88年4月28日付。昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。
「松岡」「白取」はA級戦犯としてまつられている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。
またメモには「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。
「松平」は最後の宮内大臣松平慶民氏(故人)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。昭和天皇は戦後、靖国神社を八回参拝し、75年11月が最後だった。現在の天皇陛下は89年の即位以降、参拝されていない。

[2006年7月20日11時53分]

小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ」という部分に、共同通信の記者による願望が込められているように見えるのが面白いと思いました(新聞記事は事実を書くもので、願望を書くものではないと思うんですが…)。
これについては、少し調べてみた限りでは以下の新聞に配信されたみたいです(他にもあるみたいですが、とりあえず)。
中国新聞 日刊県民福井 熊本日日新聞 東京新聞 静岡新聞 徳島新聞 中国新聞 河北新報 秋田魁新報 山陰中央新報 四国新聞 福島民友新聞 
靖国に関して比較的熱心な読売新聞は、その日の午後イチにネット内テキストにしたようです。
昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ(読売新聞)2006年7月20日13時1分

昭和天皇A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ

昭和天皇靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)に関し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったとするメモを、当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が残していたことが20日、明らかになった。
昭和天皇A級戦犯の合祀に不快感を示し、自身の参拝中止の理由を述べたものとみられる。参拝中止に関する昭和天皇の発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。
遺族によると、富田氏は昭和天皇との会話を日記や手帳に詳細に記していた。このうち88年4月28日付の手帳に「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」などの記述がある。
「松岡、白取」は、靖国神社に合祀されている14人のA級戦犯の中の松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使とみられる。2人は、ドイツ、イタリアとの三国同盟を推進するなど、日本が米英との対立を深める上で重大な役割を果たした。
また、「松平」は終戦直後に宮内大臣を務めた松平慶民氏と、その長男の松平永芳氏(いずれも故人)を指すとみられる。永芳氏は、靖国神社が78年にA級戦犯合祀を行った当時、同神社の宮司を務めていた。
昭和天皇は戦後8回、靖国神社を参拝したが、75年11月が最後になった。その理由を昭和天皇自身や政府が明らかにしなかったため、A級戦犯合祀が理由との見方のほか、75年の三木首相の参拝をきっかけに靖国参拝が政治問題化したためという説などが出ていた。富田氏が残したメモにより、「A級戦犯合祀」説が強まるものとみられる。靖国神社には今の陛下も即位後は参拝されていない。
富田氏は74年に宮内庁次長に就任。78年からは同庁長官を10年間務め、2003年11月に死去した。

(2006年7月20日13時1分 読売新聞)

話が前後しますが、さっそく当日(2006年7月20日)午前中の記者会見で、安倍官房長官にこの件について質問した記者がいた様子。多分日経か朝日か共同通信の記者だと思いますが。
官房長官、「詳細は承知していない」 昭和天皇メモで朝日新聞)2006年07月20日12時05分

官房長官、「詳細は承知していない」 昭和天皇メモで
2006年07月20日12時05分

安倍官房長官は20日の記者会見で、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言メモが明らかになったことについて「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので詳細を承知していない』との報告を受けている。天皇陛下靖国神社へのご参拝は、その時々の社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討の上、対処してこられたと承知している」と語った。
小泉首相靖国参拝への影響については「総理ご自身が判断される」と述べ、自らの参拝についても「国のために戦った方々に対する尊崇の念、ご冥福をお祈りする気持ちは持ち続けていたい」と明言を避けた。
また、A級戦犯分祀については「靖国神社の判断であり、政府としてコメントする事柄ではない」とし、無宗教の新たな追悼施設建設については「慎重に検討していかなければいけない」と述べるにとどめた。
一方、谷垣財務相は同日、メモが明らかになったことについて、自民党本部で記者団に「陛下の言動を引用して政治的発言をするのは差し控える」と語った。

こちらは日経のニュース。
昭和天皇発言メモに波紋・「靖国」議論が加速(NIKKEI NET:主要ニュース)(13:43)

昭和天皇発言メモに波紋・「靖国」議論が加速

昭和天皇東京裁判A級戦犯靖国神社合祀(ごうし)に強い不快感を示していたことを記録した富田朝彦宮内庁長官のメモを巡り政府や与野党では20日朝からさまざまな波紋が広がった。安倍晋三官房長官小泉純一郎首相が参拝を続けるかどうかについて「首相自身が判断するものだ」と表明。合祀の是非や分祀論の論議が加速しそうだ。
安倍氏は記者会見で、昭和天皇が合祀以降は参拝を見送ったことについて「そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討のうえ宮内庁で対処してきたと承知している」と説明。メモそのものに関しては「宮内庁から『詳細を承知していない』と報告を受けている」と述べた。
自らの参拝に関しては「国のために戦った方々に尊崇の念、ご冥福をお祈りする気持ちは持ち続けたい」との持論を繰り返した。
合祀の是非や分祀論については「政府としてコメントすべき事柄ではない」と答えなかった。 (13:43)

「合祀の是非や分祀論の論議が加速しそうだ」と、ものすごく論議を加速したがっているみたいです。
だいぶ遅れて産経新聞の記事はこんな感じ。
昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感(Sankei Web)(07/20 16:00)

昭和天皇靖国A級戦犯合祀に不快感

富田元宮内庁長官が残した手帳。昭和天皇靖国神社A級戦犯合祀についての発言が書き残されていた=20日午前、東京・大手町

≪元宮内庁長官、発言メモ書き残す≫

昭和天皇靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀に不快感を示していたことを示すメモが表に出たことについて、安倍晋三官房長官は20日午前の記者会見で、「政府としてコメントする事柄ではない」と述べた。だが、自民党内は現在、戦没者の追悼をめぐって、A級戦犯分祀(ぶんし)論、国立追悼施設の建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論など百家争鳴状態にあり、波紋が広がるのは間違いなさそうだ。
政府は、小泉純一郎首相の靖国参拝に関しては「首相自身が判断するもの」(安倍長官)との姿勢だが、首相の参拝に反対する勢力が、今回のメモ発見を利用し、勢いを増すことも想定される。またメモ発見が、首相の靖国参拝に反対している中国の高官が、「A級戦犯分祀論」を唱える自民党古賀誠元幹事長に賛意を示したばかりというタイミングの問題もある。
ただ9月の自民党総裁選に向けて「公になった言葉ではなく、非公式な会話メモで判断するのは、昭和天皇の『政治利用』につながりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。
政府筋は「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」とも指摘する。
また、仮に内心がどうであれ、昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には靖国に勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた事実は重い。靖国の現宮司の南部利昭氏は就任に際して「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)ともいう。
今回のメモ発見でも、「戦没者追悼の中心施設は靖国」(小泉首相)という事実には何ら変わりはない。

 ■「政治利用」に懸念も

昭和天皇が昭和63年、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示されたとする当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)のメモが残されていることが20日、分かった。昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。A級戦犯合祀は昭和53年。
関係者によると、富田氏は昭和天皇のご発言などを手帳などに書き留めており、63年4月28日付で靖国参拝に関するメモが残っていた。昭和天皇が「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになったとしている。
「松岡」「白取」はA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。
ほかに「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが。松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。
「筑波」はA級戦犯の合祀をしなかった筑波藤麿靖国神社宮司(故人)、「松平」は最後の宮内大臣松平慶民氏(同)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。
富田氏は昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた。

【2006/07/20 大阪夕刊から】

(07/20 16:00)

続いて朝日新聞が「韓国の報道」だけではなく「外国の人の意見」も紹介。
「天皇参拝せぬ靖国に首相が行く矛盾」 カーティス教授朝日新聞)2006年07月20日15時18分

天皇参拝せぬ靖国に首相が行く矛盾」 カーティス教授
2006年07月20日15時18分

 <ジェラルド・カーティスコロンビア大学教授(政治学)の話>
昭和天皇が、靖国神社A級戦犯の合祀に強い不快感を示していたことが明らかになったことの意味は大きい。靖国神社参拝問題が、外国にいわれて問題になったのではなく、もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった。
A級戦犯を合祀することは戦争を肯定する象徴的な意味がある。外国から見てもおかしいし、日本の天皇から見てもおかしいということだ。天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している。
天皇の発言が明るみに出たことによって、国内問題としての靖国神社参拝問題がもっと議論されるのではないか。
戦中戦後を通じて天皇だった昭和天皇が「天皇陛下万歳」を叫んでなくなった兵士がまつられている靖国神社の参拝をやめるほど、A級戦犯合祀にこだわっていた。天皇の言葉を次の総理候補も真剣に考えて、靖国神社問題の新しい解決のあり方を考えるべきだ。

ただ、外国の人の場合は、その人がどれだけ日本のことについて知っているのか、また外国でのその人の立ち位置はどのようなものなのか、に関する情報が乏しいので、どうかすると単に「権威づけ」のためだけにコメントを求めているようにしか見えないのが残念なところです。
 
(追記)
ジェラルド・カーティス氏に関しては、以下のところの記述参照。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20060722/p3
ぼく自身ももう少し調べてみたい(調べてみないといけない)と思いますが、メモだけで終わりそうな可能性高いです。カーティス氏に関しては「天皇を敬愛する平和主義者」という印象がありました。「今年の武道館での戦没者追悼式典では、ついに出席者から子供を戦争で失った親がいなくなった。今日の世界で、子供を戦争で失った親がいない国は、日本ぐらいだろう。」(http://kaz4321979.spaces.msn.com/blog/cns!7ECD1CA461DEAA5!382.entry)と似たような言葉は、ぼくの場合は以下のところで目にしました。
皇后陛下のお誕生日(平成17年10月20日)に際して宮内記者会の質問に対する文書ご回答とこの1年のご動静

戦没者の両親の世代の方が皆年をとられ,今年8月15日の終戦記念日の式典は,この世代の出席のない初めての式典になったと聞きました。

元ネタがどこかにあるような気がします。
(以上追記おわり・2006年7月23日)
 
続いて共同通信が、中国様のご意見を紹介。
「障害解消を希望」 中国外務省西日本新聞)2006年07月20日17時03分

「障害解消を希望」 中国外務省

【北京20日共同】昭和天皇靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされるメモについて、中国外務省は20日、「中日関係の障害が速やかに解消されることを希望する」とのコメントを発表した。
中国指導部は小泉純一郎首相の靖国神社参拝に一貫して反発しており、昭和天皇の発言が小泉首相や次期首相の参拝にどのような影響を及ぼすか、慎重に分析しているとみられる。
ある中国人研究者は「中国政府の主張に合致するものだ」と歓迎する一方、「既に亡くなった方の発言」と述べ、首相の参拝問題への影響は大きくないとの見方を示した。

2006年07月20日17時03分

2006年7月20日の夕刊では、毎日新聞も記事にした様子。実際に書かれたのは多分昼ごろだと思うんですが、時系列的にはこのへんにはさんでおきます。
昭和天皇:靖国A級戦犯合祀に不快感「だから参拝していないMSN毎日インタラクティブ)2006年7月20日 東京夕刊

昭和天皇靖国A級戦犯合祀に不快感「だから参拝していない」

昭和天皇が1988年に、靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。

 ◇元宮内庁長官88年メモ

遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまで、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。
「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿靖国神社宮司(故人)とみられる。
メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
昭和天皇は45〜75年8回靖国神社を参拝した。
富田氏は警察官僚出身で、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。87年には昭和天皇が開腹手術を受けることを決断した。03年11月、83歳で死去した。
遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく会話し、書きとめ保管していた。今回の発言については、富田氏が長官当時、直接聞いたことがあるという。
昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】

 ◇分祀論議に影響も

昭和天皇A級戦犯の合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたことは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝がクローズアップされる中、政界に根強いA級戦犯分祀論議に一定の追い風となりそうだ。ただ、靖国神社側は分祀について、これまで強く否定している。
天皇参拝が途絶えたことは、78年のA級戦犯合祀に配慮したとの指摘がもともと政界に強かった。一方で、75年の最後の天皇参拝と合祀の間に約3年の空白があることから、国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因、との反論も根強かった。安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
A級戦犯については、自民党古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可能性はある。
ただ、政界が分祀論議を提起することは政教分離原則に抵触するとの批判があるうえ、靖国神社側は分祀を強く否定しており、状況は複雑だ。【中川佳昭】

 ◇内容信用できる−−「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話

あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。

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 ■富田氏メモ靖国部分の全文■

 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)

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 ■ことば

 ◇A級戦犯

第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づいて開かれた戦犯裁判で、「中心的指導者」とされた被告。終戦間際に連合国側が定めた「平和に対する罪」に該当するなどとして、首相経験者や陸海軍高官ら28人が起訴された。極東国際軍事裁判東京裁判)での48年の判決では、全員有罪(公判中に2人死亡)で、東条英機元首相ら7人に絞首刑が言い渡された。78年10月に絞首刑の7人と公判中や収監中に死亡した7人の計14人が靖国神社に合祀されている。

毎日新聞 2006年7月20日 東京夕刊

ここでも半藤一利さんという、朝日新聞のコメンテイターと同じ人がコメントしています。他にコメントするような人はいなかったのでしょうか。
なお、毎日新聞にはもう一つ、別の記事がありました。
昭和天皇:富田メモ 遺族に戸惑い 研究者らも驚くMSN毎日インタラクティブ)2006年7月20日 東京夕刊

昭和天皇富田メモ 遺族に戸惑い 研究者らも驚く

「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。

 ■お気持ち信じる

「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」−−A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。
正氏は昭和天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯合祀とは無関係だとの立場を崩さない。「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、その後参拝できなくなったのだと思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は陛下の参拝が止まった後のことだ。(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」と言った。
同様にA級戦犯として合祀される東条英機元首相の二男輝雄氏(91)=元三菱自動車工業社長=は「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」と繰り返した。「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」とコメントを避けた。

 ■侍従長回想を裏付け

昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「昭和天皇東京裁判の結果を容認していたから、想像できる範囲ではある」とし、「参拝に反対の立場の人たちからは『昭和天皇でさえも否定的』という声が強まるのではないか。小泉純一郎首相は参拝するのであれば、昭和天皇の判断に、政治の最高責任者として戦争について見解を改めて述べる必要があるのではないか」と語った。一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授は「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも8月15日に参拝をしない理由になるのではないか」と話した。
日本近現代史に詳しい小田部雄次静岡福祉大教授は「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。

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 ■解説

 ◇精査と冷静な分析必要

天皇靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつかの理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」はこのうちの一つを大きくクローズアップした。
宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。また、今の天皇陛下は皇太子時代、69年までに戦後計4回参拝している。
途絶えた理由に挙げられるのは(1)78年のA級戦犯合祀(2)対外関係の考慮(3)公人私人問題−−など。靖国参拝推進派はこのうち(3)を取り上げることが多い。75年8月、三木武夫首相は「私人」の立場を強調して参拝。同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。
だが、今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。天皇参拝を求める以上、遺族側でもこの発言を理由に、A級戦犯分祀論が強まる可能性がある。
一方で、メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。
また、合祀されているA級戦犯14人の多くは陸海軍幹部で、2人は元々からの外務官僚。軍人でもなく、戦死でもなく、靖国神社にまつられることに違和感を語る向きもあった。昭和天皇が何を問題と感じ、それを今後我々がどうとらえていくか。内容について全文を精査し、冷静に分析していくことが必要だろう。【大久保和夫、竹中拓実】

毎日新聞 2006年7月20日 東京夕刊

で、日経は首相の、この件に関する発言を記事にしました。
首相「昭和天皇発言メモ、自身の靖国参拝に影響ない」(NIKKEI NET:主要ニュース)(18:58)

首相「昭和天皇発言メモ、自身の靖国参拝に影響ない」

小泉純一郎首相は20日夕、首相官邸で記者団の質問に答え、昭和天皇東京裁判A級戦犯靖国神社合祀(ごうし)に強い不快感を示していたことを記録した富田朝彦・元宮内庁長官(故人)のメモの発見を受け、首相自身の靖国参拝に及ぼす影響について、「これはありません」と明確に否定した。さらに、「(靖国参拝は)それぞれの人の思いだから、心の問題だから。強制するものでもないし、あの人が、あの方が言われたからとか、いいとか悪いとかいう問題でもないと思っている」と述べ、自身の姿勢に変わりがないことを強調した。
A級戦犯分祀(ぶんし)する必要性に関しては、「一宗教法人に対して、『あああるべきだ』『こうあるべきだ』と政府としては言わない方がいいと思う。議論は結構だ」と述べるにとどめた。今後も靖国参拝を続けるかとの質問に対しては、「心の問題だから行っても良し、行かなくても良し。誰でも自由だ」と応じた。〔NQN〕 (18:58)

さらにくわしい情報は、共同通信が日本全国に配信した様子。
首相発言要旨/昭和天皇の発言メモをめぐり(/Web東奥・ニュース/20060720)

首相発言要旨 昭和天皇の発言メモをめぐり

靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)に関する昭和天皇の発言メモをめぐる小泉純一郎首相と記者団のやりとり要旨は次の通り。

 記者 昭和天皇の発言メモが見つかりました。
 首相 これは心の問題ですから。陛下におかれてもさまざまな思いがおありになったと思いますね。
 記者 A級戦犯が合祀されてから天皇靖国神社を参拝していないことをどう思いますか。
 首相 それは、それぞれ人の思いがあるから、私がどうこう言う問題じゃないと思いますね。
 記者 天皇が参拝できるような状況にした方がいいと思いますか。
 首相 それぞれ心の問題ですからね。参拝されてもいいし、しなくてもいいし。自由ですから。
 記者 戦没者追悼施設として、どのような施設が理想的と考えますか。
 首相 国としてどういうものがいいかは、さまざまな意見があるのは承知してますし、また官房長官の私的な懇談会でも議論がありましたしね。今後検討されていくと思います。今どういうものがいいかはね、なかなか結論が出にくいですね。
 記者 首相の靖国神社参拝に影響がありますか。
 首相 これはありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし。あの方が言われたからとか、いいとか悪いとかいう問題でもないと思っています。
 記者 これからも参拝するということですか。
 首相 いや、これは心の問題ですから。行ってもよし、行かなくてもよし。誰でも自由ですね。
 記者 A級戦犯分祀(ぶんし)について、あらためてどう考えますか。
 首相 これは一宗教法人に対してね、あああるべきだ、こうあるべきだと政府としては言わない方がいいと思うんですね。議論は結構です。

共同通信社

で、今現在(2006年7月22日午後)はこの「昭和天皇メモ」をめぐって、新聞の社説やら何やらで喧々諤々、というのがマスコミと政界の状況、という感じなわけですが。
はて?
ぼくの感じとしては、これまでのところそのメモの「真贋」について言及したテキストの少なさに驚きます。
永田衆議院議員の「偽メール事件」の場合は、情報元がものすごくあいまいなため、マスコミを含めたどこもかしこも、その内容よりも「嘘くせぇ」という部分がクローズアップされた形での言及が中心だったわけですが、今回はソースが「日経」で、内容が「靖国参拝批判派にとって都合のいいもの」だったので少し油断があったのでしょうか。
また情報の流れも、共同通信を中心になかなか面白いものを感じました。
地方紙しか読まない人間、また海外で共同通信の情報しか知らない人間は、「昭和天皇のメモに関する報道」→「それに対する中国外務省の反応」→「昭和天皇メモに関する小泉首相の反応」というような感じで、「中国様がお怒りなのに、その首相の反応は何だ」みたいな感じになるんでしょうか。ちょっとよくわからないです。
で、実はその「メモ」に関してもう少し「検証」をしている人たちが、ネット内にはいたりします。
以下のサイトを参照なのです。
楽韓Web - 日経新聞 昭和天皇A級戦犯合祀に不快感 疑惑まとめサイト
きょうのこりあ: A級戦犯合祀メモと小沢一郎
Let's Blow! 毒吐き@てっく: 日経が
天皇A級戦犯発言報道に関する簡易まとめサイト
オレ速vip⊂二二( ^ω^)二⊃DESTINY | 昭和天皇メモはやはり偽造だった?
画像的に面白かったのは、朝日新聞共同通信が配信した以下の画像なんですが、
http://blog5.fc2.com/l/lovedog/file/tennnoumemo03.jpg
実は、これは「メモ」の一部で、本当はその上部もあって、
http://blog5.fc2.com/l/lovedog/file/tennnoumemo05.jpg
しかも、その「メモ」の前ページの、「裏写りしている部分」をパソコンで解読できた、ということでした。
http://blog5.fc2.com/l/lovedog/file/tennnoumemo02.jpg
結果、解読できたテキストはこんな感じになった、という話。

     63.4.28
xPressとの会見
(1) 昨年は
(1)高松薨去間もないときで
 心も重かった
(2)メモで返答したのでつく
 していたと思う
(3)4.29は吐瀉したがその前で
 やはり体調が充分でなかった
 そxで xxに今年はの記者の
 印象があったのであろう
=(2)については記者も申して
おりました
(2)戦争の感想を問われ、
嫌な気持と表現したが
それは后で云いたい
そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
”嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長
靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである

中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言.
=奧野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも.

その後に、以下のテキストが続きます。

 ■富田氏メモ靖国部分の全文■

 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)

また、メモの左ワキには、このようなテキストもあります。

そうですかが多い
余り官僚も知らず

つまり、新聞の報道・画像では省略された部分が多すぎる、ということですね。
結局ネット者は以下のような結論に、ほぼ達しているみたいです。
オレ速vip⊂二二( ^ω^)二⊃DESTINY | 昭和天皇メモはやはり偽造だった?

6 :名無しさん@6周年 :2006/07/21(金) 07:23:15 id:TaE3C9XH0
【捏造が確定した模様】

まとめ

1 このメモは、「関連質問」、「そうですかが多い」などの注記により、公表された会見の内容をメモったものであることが明らか。
2 当然、「回答者」「質問者」がいるわけだが、富田がメモっていたということは富田も同席したことになる。すなわち最低3名が出席した。
3 ここで既に「回答者」が昭和天皇であることはあり得ないことがわかる。1988年に昭和天皇が会見でこのような内容の爆弾発言をした事実はないからだ。
4 徳川侍従長の引退会見記事の内容が、このメモ内容と一致することから、会見は徳川侍従長の引退会見、「回答者」は徳川侍従長であることが明らかである

ただ、ぼくとしては「徳川侍従長の引退会見記事」およびそれに類似したテキストとして「昭和天皇と50年・徳川前侍従長の証言」(『朝日新聞』一九九五年八月十九日)、さらに徳川義寛侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(岩井克己 聞き書き・解説。朝日新聞社、一九九七年二月)、一八〇〜一八二頁、に目を通してみないと何とも言えません。
このメモが「徳川義寛侍従長の引退会見記事」であり、メモの中の「私」は「昭和天皇」ではなく「徳川義寛侍従長」の可能性がある(あるいは、少し高い)、ということは示唆しておきたいと思います。
あと、もしそれがそうだったとしても、日経の記事は捏造・歪曲の類ではなく「誤報」レベルのものなので、そんなにひどい批判・非難は日経に対しては不要かも知れませんが、ちゃんと検証をしないで何かを言っていた人とかマスコミが、その後どのようなことを言うか、に少し興味を持ちました。「ことの本質はメモの真贋なのではない。昭和天皇に近い人間がそのようなことを言ったのが問題なのだ」みたいな感じでしょうか。
 
(追記)
ブックマークコメントを利用してみたかったので、セルフ・ブックマークをしてみましたが、
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060722/p1
あとで消すような形の利用しかできそうにないので、消してしまうテキストを、メモとしてここに置いておきます。
(ver.1 2006/07/22)「こんな引用テキストばかり多いヘタレエントリーにブクマたくさんどうもなのです。一応ぼくの立ち位置は「徳川元侍従長のテキストを見て(読んで)みないと何ともいえない」、なのです(あとでブクマ消します)」
(ver.2 2006/07/23)「一応ぼくの立ち位置は「「偽造だ」と言っている人もいるが、徳川元侍従長のテキストを見て(読んで)みないと何ともいえない(可能性は考えてみてもいいけど)」、なのです>id:I11(あとでブクマ消します)」
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060723/singan
 
(追記)
このテキストを読んで、マスコミに少し批判的になった人は、以下のテキストと「昭和天皇の発言」に関するテキストを必ずご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060727/memo