「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(5)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」の引用を続けます。連載5回目です。

『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録は、伝聞証拠によるもので、そのまま信ずることはできないという前提で、『ある神話の背景』は、集団自決の問題をもち出す。
渡嘉敷島住民の集団自決に関し、赤松大尉は命令を下したおぼえはないという。この“赤松証言”に曽野綾子は重点を置いている。しかし、その言葉の信憑(ぴょう)性をどう検証できるだろうか。もし、これが検証できないとすれば、『鉄の暴風』の記述を崩す根拠とはならないわけだが、『ある神話の背景』で、「赤松証言」の客観的真実性が証明されてはいない。たとえ赤松の命令があったとしても、赤松本人が「私が命令した」というはずはないのである。自分に不利な証言となるからである。命令は、あったとしても、おそらく口頭命令であったはずで、そうであれば、「命令された」「いや、命令しなかった」と、結局は水掛け論に終わるだけである。
 
共犯者の立場
 
この命令説の真相を知っていると思われる人物が二人いる。一人は、赤松の副官であった知念少尉であり、一人は赤松と住民の間に立って連絡係の役目をつとめた駐在巡査安里喜順氏である。この二人とも、『ある神話の背景』のなかで真相を語っているとは思えない。知念は赤松と共犯者の立場にあり、安里は自決命令を伝えたなどとは言い難いので、「自決命令」を否定するほうが有利なのである。
集団自決命令の有無をうんぬんする場合、物的な状況証拠となるのが、あのとき住民の手にわたった手りゅう弾で、それがなぜ住民の手に渡ったかということが問題である。『ある神話の背景』によると、手りゅう弾が住民の手に渡ったのは、防衛隊員が勝手に渡したのであって、「自分はあずかり知らぬ」といったような赤松の談話を載せてあるが、手りゅう弾は、戦力を構成する重要な兵器の一つであって、その取り扱いについては軍の指揮官が責任を負うべきものである。手りゅう弾が住民に渡されて、その手りゅう弾で、住民は集団自決を行っているのだ。その手りゅう弾は、住民の集団自決を結果するような状況をつくり出しているのだ。
 
武器管理の常識
 
昭和二十年三月二十五日、米艦船は慶良間列島に激しい砲撃を加え、翌二十六日、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸、二十八日に集団自決が行われている。最初、陣地の近くに集まった住民たちが、陣地近くの恩納河原に追いやられたとき、米軍の迫撃砲の攻撃をうけて、住民たちは死と隣り合わせの状況にあったことは確かだが、それだけが集団自決を誘発したとは思えない。それを誘発したのは手りゅう弾である。切迫した状況のなかで、手りゅう弾五十二発が住民に渡されたのだが、そのこたおがいちばん重要な意味をもっている。
これだけの手りゅう弾は、装備劣悪な赤松隊にとって、かなりの比重をもつ火力であったはずである。赤松元大尉は、手りゅう弾は、防衛隊員が勝手に住民に渡したのであって、自分は知らぬと言っていたようだが、防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか、その動機や理由が理解できないし、防衛隊員も、また、大切な武器である手りゅう弾を上官の許可なく他人に私たりすると、軍規上、厳しい処罰を受けるおそれがあることを知らなかったはずはないのである。
武器の取り扱いについては防衛隊員も厳格な注意を受けていたはずで、軍隊の指揮官が武器の取り扱いについての注意もなしに武器をあたえることは考えられないのである。
手りゅう弾が、防衛隊員を通じて住民に渡されたことについては、軍の同意、許可、あるいは命令があったとしかおもえない。平時、ピストルの不当所持をさえ警察は血眼になって摘発する。敵前での手りゅう弾のもつ意味は、その比ではない。手りゅう弾は防衛隊員が勝手に渡したのだ、おれは知らぬ、と赤松が言ったとすれば、これは軍隊の常識からみて、まったくのでたらめとしか言いようがない。そんなはずはないのである。

この「手りゅう弾」の問題、つまり「軍の関係者による関与なしで住民の手元にそんな武器が渡るはずがない」という問題はとても重要なのですが、具体的な討論の材料として展開していないのが残念です(このあとの、太田さんのテキストに対する曽野綾子さんの反論でも、その部分は具体的に語られていません)。
「自分はあずかり知らぬ」といった部分の赤松大尉の記述は、以下の通りです。『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』から、p153

「自決命令は出さないとおっしゃっても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」
私は質問をはじめた。
榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵には、これは正規軍ですから一人一、二発渡しておりました。艦砲でやられて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したのです。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います。
赤松氏は答えた。

(太字は引用者=ぼく)
赤松氏の説明と、状況から判断すると、太田良博さんが提起している「防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか」という「その動機や理由」は多分、アメリカ軍の捕虜になって欲しくない、という防衛隊員の考えなんじゃないかと思います。それについて「自分はあずかり知らぬ」(正確には「彼らが勝手にそれを家族に渡した」)という赤松元大尉の答弁は、太田良博さんの言う通り「軍の指揮官が責任を負うべきもの」であることは否定できないでしょう。ただし、その「責任」については、赤松さんの話が本当だとするなら、武器を民間人に配った防衛隊員に対する処罰もからんでこなければならない責任問題ではありますが…。
また、「安里は自決命令を伝えたなどとは言い難い」と、太田さんが思っている根拠をもう少し知りたいと思いました。
 
沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1の前半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01
1の後半:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04
5:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
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これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06