「サンフランシスコ講和条約のjudgmentsは諸判決であって裁判ではない」って、いつ誰がどこで何時何分何秒に言った

見出しは(ひどい)演出です。
漫画家の小林よしのり氏が「SAPIO」2006年9月27日号の『ゴー宣・暫』で以下のことを言ったわけですが(一応確認しました)p81-82

今のメディアにはもう何も期待できない。
わしは今までインターネットで
保守を名のる者を
批判してきたが、
あえてそのネットの者たちに
共闘を求めたい。
彼らに期待する。
 
わしの「ゴー宣」は、このとおり
描いて発売まで3週間もかかる。
今後、講和条約第11条の件で
デマを流している知識人がいたら
ただちにネットで攻撃してくれ。

 
わしはインターネットの
使い方は不得手だ。
どんなやり方があるのか
知らんが、東京裁判
呪縛から日本を
解き放つために、ネットを
最大限利用してくれ!
 
わしの力の限界を
超えてくれ!

(太字は引用者=ぼく)
これは釣りですね。
まぁ、立ち読みした程度で何か言っている人は別にして。
…なんか「ネット右翼よ、そのイナゴ力(りょく)を発揮してくれ!」みたいな発言ですが、どうなるんでしょうか。
ぼくは、世間で声の大きい人に従うことは、左右問わず頭の働かせ具合を少し怠けている人に限定されている、という認識があるので、そのあたりの展開に興味を持ちました。
ぼくがさらに興味を持ったのは、「講和条約第11条の件」で、小林よしのり氏が「その中のjudgmentsは『裁判』ではなく『諸判決』だ」みたいなことを言っているわけですが、それはそもそも誰が言いはじめたことなのか、ということでした。
歴史的な根拠をたどると、どうも「昭和26年(1951年)10月17日」までさかのぼるみたいですが(条約調印は昭和26年(1951年)9月8日、1952年4月28日に発効)、最近の国会では2度ほど「質問主意書」の形で質問と回答のやりとりがあったようです。
「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書(平成十七年十月十七日提出)

(前略)
4 昭和二十六年十月十七日、衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄外務省条約局長はサンフランシスコ講和条約は「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております」と答えている。また、同年十一月十四日には、大橋武夫法務総裁が衆議院法務委員会で、「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える」と述べている。
一方、昭和六十一年に当時の後藤田正晴官房長官が、「裁判」を受け入れたとの見解を示して以来、現在の外交当局の見解も後藤田見解と同様となっている。
判決あるいは裁判の効果を受諾したとする場合、裁判の内容や正当性については必ずしも受け入れないが、その結果については受け入れたと解釈できる。一方、裁判を受諾したとする場合は、日本は「南京大虐殺二十数万」や「日本のソ連侵略」等の虚構も含め、満州事変以来一貫して侵略戦争を行っていたという解釈を受け入れたことになる。
日本政府が見解を変えた理由は何か。
(後略)

衆議院議員野田佳彦君提出「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書(平成十七年十月二十五日)

(前略)
平和条約第十一条は、前段の前半部分において、我が国が極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾することを規定しており、これを前提として、その余の部分において、我が国において拘禁されている戦争犯罪人について我が国が刑の執行の任に当たること等を規定している。このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである。
(後略)

サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書(平成十八年六月六日提出)

(前略)
一 サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈について
 1 先の質問主意書でも示したように、昭和二十六年に西村熊雄外務省条約局長が「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております」と答弁し、大橋武夫法務総裁は「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える」と答弁しているのに対し、昭和六十一年に後藤田正晴官房長官は「裁判を受け入れた」という見解を表している。
 「諸判決・裁判の効果を受諾する」といった場合、裁判の内容や正当性については受け入れないが、その「裁判の効果」については受け入れたと解釈できる。
 「裁判を受諾する」といった場合は、「南京大虐殺二十数万」「日本のソ連侵攻」などの虚構や、日本は満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという歴史解釈、法の不遡及罪刑法定主義が保証されていない点などがあるにもかかわらず、裁判の正当性を全部受け入れたと解釈できる。
 政府は、西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の「判決を受諾する」「裁判の効果というものを受諾する」という答弁と、後藤田正晴官房長官の「裁判を受け入れた」という答弁とでは、意味にいかなる相違があると考えているのか。
 2 1において、昭和二十六年の西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の見解と昭和六十一年の後藤田正晴官房長官の見解に意味の相違があるのならば、先の答弁書における「このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである」という回答と矛盾する。政府は、昭和二十六年から現在にいたるまでに、いつ、いかなる理由により見解を変えたのか。昭和二十六年の見解と昭和六十一年の見解が異なる理由をあらためて問う。
 3 平和条約の正本は、英、仏、西の三カ国語のみであり、日本語訳は効果をもつものではない。その条約正本の一つである仏語条文によれば、「日本が何を受諾したか」に関する平和条約第十一条の箇所は、“Le Japon accepte les jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pour l′Extre^me−Orient"となっている。prononce′sは「(言葉を)発する」「述べる」「宣言する」「言い渡す」という意味であり、prononce′s jugementsは「判決(複数)を言い渡す」という慣用句である。言い渡されるのは「判決」であり、「裁判」は言い渡されるものではない。ここから見るならば、平和条約第十一条の意味は、「日本は裁判を受諾した」のではなく、「日本は諸判決を受諾した」ものと解釈すべきと考えるが、政府の見解を問う。
 4 3の質問につき、もし政府が「諸判決」ではなく「裁判」を受諾したと解釈するのならば、その解釈は、平和条約第十一条仏語条文の“Le Japon accepte les jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pour l′Extre^me−Orient"の箇所をどのように翻訳することにより導き出されるのか。
(後略)

衆議院議員野田佳彦君提出サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問に対する答弁書(平成十八年六月十六日)

(前略)
極東国際軍事裁判所において、ウェッブ裁判長は、judgmentを英語で読み上げた。我が国は、平和条約第十一条により、このjudgmentを受諾しており、仏語文の平和条約第十一条も同じ意味と解される。なお、judgmentに裁判との語を当てることに何ら問題はない。
(後略)

東京裁判に関するぼくの見解・意見は、以前に述べたものとあまり変わるところはありません。
森岡正宏衆院議員が本当は何て言ってたのかわかりました

俺自身の見解としては、極東軍事裁判がそもそも裁判として妥当なものかどうかという疑問があるんですが(「事後法」によって「戦勝国(被害者?)」が裁く、というイメージが強くて、これではジャッジというより懲罰的色合いを感じます)、法律にくわしい人の解釈はどうなんでしょうか。
しかし、今それを蒸し返して「東京裁判は無効だ」みたいなことを言うのは、もう一度戦争をするぐらいのエネルギーがいりそうなうえ、得られるものは死者の名誉回復(あるいは、戦勝国側の死者の汚名貼り付け)ぐらいしかないので、いち日本国民の俺としては「しょうがないから我慢してやる」ぐらいな感じです。しかし、戦勝国でもない国中華人民共和国大韓民国)のほうがあれこれうるさいのは何なんでしょうか。

で、国会で質問主意書を提出した野田佳彦議員の考えをたどると、別に小林よしのり氏の漫画を読んで思いついたわけじゃなくて、一応ある大学教授の意見などもあるんじゃないかと。
サンフランシスコ講和条約第十一条の正当解釈

英語のjudgementは、法律用語として用いられる場合、日本語の「判決」を意味する。スペイン語のsentenciaは、判決または宣告された刑を意味し、「裁判」という意味を含まない。しかし外務省の邦訳文では、判決(the judgements)が裁判(trial)と誤訳されている。大原康男教授が、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏に取材したところ、藤崎氏から「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と言われたという(1)。
(1)【大東亜戦争の総括】380p

サンフランシスコ条約11条の訳語

国際法学者、佐藤和男氏
 
サンフランシスコ条約で日本が受諾したものは東京裁判の判決か裁判かの問題で、条約の日本語文が誤訳であるとの誤った説があります。この説の震源は、国際法学者の佐藤和男氏ではないだろうかとの気がしたので、ちょっと確認しました。
『judgments は法律用語として使われる場合、日本語の「判決」の意味に用いられるのが普通であり「裁判」を通常意味する trial,proceedings とは区別されるべき』
となっていて、誤訳とは書いてありませんでした。佐藤氏は『裁判を通常意味するtrial,proceedings』と書いています。日本語の日常語で「裁判」は「法廷」の意味に使われることが多いと思います。法律用語では「裁判」とは「法廷」の意味ではなく、「判決・命令・決定」を合わせて言います。佐藤氏はjudgmentsの訳語は「裁判」では無いと言っているのではなく、日常語の裁判が意味する「法廷」ではない、と言ってるので、正確な記述です。
 佐藤氏は『裁判を通常意味する』と書いていますが、ここの部分を『裁判を意味する』と軽率に誤読した右翼作家や英文法学者などが、いい加減な発言を繰り返しているに過ぎないのでしょうか。それにしても、誤読しやすい文章です。わざと、書いていますね。
 
2005年10月31日

日本は東京裁判史観により拘束されない―サンフランシスコ平和条約の正しい解釈

ところで、十一条の日本文では「裁判を受諾する」となっている点が問題です。サンフランシスコ対連合国平和条約(昭和二十六年九月八日調印、翌二十七年四月二十八日発効)は、日本語のほかに、等しく正文とされる英・仏・西語で書かれていますが、アメリカのダレス国務長官が原案を起草したという歴史的事実にかんがみ、まず英文の十一条から検討してみましょう。初めの部分は次のとおりです。
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
これで見ますと、日本文で「裁判を受諾する」となっている箇所は、英文では accepts the judgments です。英語の judgments は法律用語として使われる場合、日本語の「判決」の意味に用いられるのが普通であり、「裁判」を通常意味する trial,proceedings とは区別されるべきことは、例えば権威ある法律辞典 Black´s Law Dictionary の説明からも明白です。そこでは judgment は、The official and authentic decision of a court of justice upon the respective rights and claims of the parties to an action or suit therein litigated and submitted to its determination.(司法裁判所が、同法廷に提起されてその判定が求められている訴えないし訴訟の当事者の、それぞれの権利ならびに請求に関して下す、公式かつ有権的な決定)と説明されています。以上から、英語の本文では、問題の箇所は「判決を受諾する」意味であることが明瞭です。
 
※初出 佐藤和男著『憲法九条・侵略戦争東京裁判』(原書房、再訂版)
     佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』(明成社)より転載

Amazon.co.jp: 大東亜戦争の総括 展転社 (1995/07)
Amazon.co.jp: 憲法九条・侵略戦争・東京裁判 原書房 (1985/06)
Amazon.co.jp: 世界がさばく東京裁判 明成社; 改訂版版 (2005/08)
『世界がさばく東京裁判』は、webcat plusで検索してみると「1996.8」が最初の版が出たあたりなので、参考テキストとしてはこれと『大東亜戦争の総括』あたりかな、と。
えー、この件に関しては、右左どちらかに与すると面白い意見が聞けなくなりそうなので(ていうか、左右どちらかの人から嫌なことを言われそうなので)、傍観ということで。
とりあえず「英語ができないという理由で反米になった(日本語が通じるという理由で親台湾になった)と、ぼく自身は思っている小林よしのり氏が、英語の単語とかテキストの解釈で『みんな俺を応援しろ〜』というのには、ちょっとついていく気には今イチなれない」ということが言いたい感じです*1
ネット内での影響力がある何人かの人間が「よしりんにこの件に関してはついていかない」と、自主的に言ってもらえるとありがたいのですが。まぁ「ついてっちゃダメだよ!」までは言わなくてもいいですけどね。
あと、私的感性として「裁判を受諾」という語は、日本語感覚的にものすごく変なんですが、法律用語にはくわしくないので、それでいいのだ、と言われるとどうにも。
ちなみにgoogleだと「裁判を受諾」「判決を受諾」どちらで検索しても、東京裁判サンフランシスコ平和条約以外のものがなかなか見当たらないのでどうしよう。
最後に参考テキストとして、こんなのを紹介しておきます。
極東ブログ: サンフランシスコ講和条約についてのメモ

ようは、極東国際軍事裁判所の判決によって執行された刑について、日本が主権を回復したからって勝手に執行取りやめとかするんじゃないよ、というだけのことではないのか。とすれば、受刑者の存在しない今、もう終わった話ではないかと思うが。

政府答弁書に突っ込んでみる-国を憂い、われとわが身を甘やかすの記:イザ!(本文とコメント両方)

(前略)
サンフランシスコ講和条約の正本(正文)は英語、仏語、スペイン語の3カ国語で書かれており、問題の部分は仏語、スペイン語とも「裁判」とは訳せないそうです。これは複数の国際法学者や、大学で語学を教えている先生に確かめました。また、現役の外務官僚(英語ぺらぺら)からも「外務省訳が間違っている」と聞いたことがあります。
仏語文と同じというなら、だれがみてもこれは「判決」でしょう。一体何が言いたいんだ、おい。
(後略)

2006/07/23 10:12
Commented by cccpcamera
(前略)
英語の法律用語でjudgmentとは、日本語の法律用語の「裁判」で正解です。
日本が受諾したのは裁判ではなく諸判決だと、一部の人たちは、日本語にならない、おかしなことを吹聴しています。
まず、日本語の法律用語で「裁判」とは、「判決」「決定」「命令」を合わせていいます。広辞苑などの国語辞典で「裁判」を調べれば明らかでしょう。広辞苑では3番目の意味です。もっと詳しく知りたい人は、刑事訴訟法第五章(第43条から46条)をご覧ください。
極東軍事裁判所では、判決が下されましたので、この場合、裁判と判決は、完全に同じ意味になります。ウェッブが読み上げたjudgmentは「判決」なので、当然に「裁判」です。日本が受諾したのは裁判ではなく諸判決だなど、絶対にありえません。
また、刑事訴訟法46条を見れば明らかなように、裁判とは書面で交付するものですので、当然、読み上げられるものです。『「裁判」を読み上げたりしませんから』など、ありえない事です。
なお、沖縄返還協定でも、「judgments」は「裁判」と正しく訳されています。もし、沖縄返還協定第5条4で、「judgments」を「判決」と誤訳していたらどうなっていたか、考えたこと有りますか?

この人のブログは以下のところで、
cccpcamera blog
サンフランシスコ条約11条の訳語−「裁判」とは何か「判決」とは何か: cccpcamera blog
早い話が、以下のテキストにまとめてある人と同じなんですが、
サンフランシスコ条約11条の訳語
ここで「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」の人が言及している、「複数の国際法学者や、大学で語学を教えている先生」「現役の外務官僚(英語ぺらぺら)」とはどこの誰なのか、また「cccpcamera blog」の人以外にも「沖縄返還協定」の中の「judgments」について言及している人はいるのか、あるいは他にも「judgments」の訳語の例はあるのか、少し興味を持ちました。
要するに、「俺だけじゃなくて他のえらい人も言っている」「この条約の中の語には他にこんな翻訳の例がある」「小林よしのりも言っている」「佐藤和男という大学のえらい人が言った」だけでは、ネット者をついていかせる力としては弱いんじゃないかな、と。
ていうか皆さん、「サンフランシスコ講和条約のjudgmentsは諸判決であって裁判ではない」って、そもそも誰が言ったから言ってみてるんでしょう? 誰が違うことを言っているから「その説は間違い」って言っているんでしょう?
(2006年9月10日記述)
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060916/hanketu
サンフランシスコ講和条約に関するテキストについてのメモ
 

*1:英語力の面その他で誤解がありましたら申し訳ありません、小林よしのり様。英語以外の言葉を積極的に覚えようという意志をあまり感じさせないアメリカ人の姿勢にはぼくも抵抗感ありますけどね。