ブックマーク・RSSから(2006/10/17)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。
ミラーサイトとのアクセスバランスがあまりよくないので、元ネタリンクしていただけるようなら以下のところにお願いします。
愛・蔵太の少し調べて書くblog(今のところ、あちらのほうをこちらより少し早く更新するようにしています)


ウィンドバード::Recreation:萌え萌えな三国志とか西遊記とかを適当に考える遊び


主人公の劉備はどこにでもいるような平凡な中山靖王劉勝の末裔。ひょんなことから二人の美少女と義兄妹の契りをかわし、彼女たちとともに中原の制覇を目指すことになる。ぐーたらな竜とかロリな鳳凰などをハーレムに加えつつ、はたして劉備漢王朝を再興することができるのか――?
↑これって登場人物が多いほうが楽しいような気がする。

mediologic.com/weblog:マス広告は全否定されるべきものなのか? マスをネットに置き換えるっていうような文脈自体がおかしいよ。


どうなんでしょう。テレビCMを否定し、ネット広告が凄い、なんていう話自体が、なんかの脅威論みたいですけど、実際にはそれぞれをうまく使いこなせばいいんであって、「テレビCMはダメ、これからはネット」なんて話を“広告界のキーマン”が話をしてたりすると、“広告界”自体お寒いですよね。そんなんでいいんでしょうか。
↑テレビCMはきびしい時代になってはいますが、完全否定するようなものではない、というご意見。

たまごまごごはん:「赤ずきん」についてしらべてみた。


こんな感じで「シンデレラ」や「白雪姫」なんかと比べて、わりとアクティブな活躍の多い「赤ずきん」。もともとの話は、おおかみに食べられちゃう女の子なのに、なしてこんなに時代を超えて愛されてるんでしょうね?やっぱ、ただの教育物語ではこうはならないと思うですよ。そんなわけで、ちょっとあてずっぽうに、自分論を立ててみます。
↑背後に隠されている性的シンボルが、大きいお友達の潜在的需要と関係あるんでしょうか。

見てから読む?映画の原作 :【映画】Random HouseとFocus Films、ロス・マクドナルドの「ギャルトン事件」のオプション権を取得


Random HouseとFocus Filmsは ロス・マクドナルドの「ギャルトン事件」(The Galton Case)のオプション権を取得。
↑ロスマクの小説ってプロットが複雑すぎてクリスティほどには映画には向かないと思うんですが。

新冠町レ・コード館


2005年4月1日現在のレコード寄贈枚数 683,550枚 データベース登録枚数・曲数、260,125枚 / 1,602,790曲
油井正一さんのジャズコレクション8,500枚とか、横溝亮一さんとか、その量に圧倒される北海道の資料館。

吹風日記:「人一倍」は何倍か、いちにさんし よんさんにいち、言葉という生命


井上ひさし『日本語観察ノート』に面白い問題が出てきます。1,2,3,4…と数え上げるとき、「いち、にー、さん、し、ごー、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」と数える人が多いでしょう。では、数え下げるときは? 「じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ごー、よん、さん、にー、いち」ではないですか? 4と7の読み方が変わっています。
↑数に関する読みかたとか、いろいろな考察。

いつも旅ごころ:酔っぱらいで「抑止」


週末の夜、山手線で家に帰ろうとしたら、御徒町でストップ。わが家のある駒込駅付近で、線路内に人が立ち入ったとのこと。私のするどい勘によれば、酔っぱらいに違いない。田端までの乗客が京浜東北線に乗り換えるなか、ホームに出てぼんやりと復旧を待った。そこで目に入ったのが、ホーム端に光る「抑止」の表示。ここ何十年も「運転席かぶりつき」なんてやっていなかったから、こんな表示が出るとは知らなかった。
↑「山手線は全線、車上ATC化されて、信号がなくなった」という話から、「抑止」という専門語が出る。

顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える:平気でうそをつく人たちー虚偽と邪悪の心理学 M・スコット・ペック


「平気で嘘をつく人たち」には日常的に他人を、また自分も無自覚に欺いているおぞましい人々ばかりが登場するが、そのなかでも最もおぞましいのがある小学生の男児に関する報告である。この本の著者はカウンセラーで、自身のクリニックに託された児童のカウンセリングの様子を本書に納めているのだが、あるときそこへ自殺で兄を亡くした男の子がやってくる。
↑なんかものすごく嫌な話(エピソード)なので、覚悟を決めてお読みください。

映画とネットのDIARY:スクリーンクォータ制


韓国の映画館は年間146日間、韓国映画を上映しなければならないと決められた制度。7月から半分の73日にするとのことだったが、そうなったのだろうか。この言葉をGoogleで検索してみると、スクリーンクォーターと間違った記述が多い。検索結果の最初に出てくる著作権マニアのページのコメント欄で指摘されているようにScreen Quota(割り当て)が正しいようだ。キネ旬総研とか毎日新聞とかも間違っているのが面白い。どう考えても146日は4分の1(quarter)じゃないですよね。どっちを入れても検索結果に出てくるGoogleはえらいと言うべきか。
↑この「クォータ」は「Quota(割り当て)」が正しいんだけど、あちこちで間違われている、という話。

英語で!アニメ・マンガ:「シークエンシャル・アート」って何だ?


「世界に広がるMANGA(1)」という当ブログのエントリーで出てきた「シークエンシャル・アート」という言葉に註とも呼べない註を付けたらコメント欄でその言葉について質問がきた。そこで返事を書いていたら長くなってしまったので安易に「また今度別エントリーにして書きます」なんて答えてしまったのだが、「シークエンシャル・アート」の意味を取り上げたら、「コミックス」の定義みたいな話になってしまう。今でも意見が分かれて議論になっているような「定義」の問題をシロウトが簡単に書いちゃっていいのかなぁっと心配になってきた。
↑「連続的芸術(シークエンシャル・アート)」、要するにマンガ。それに関する長い説明と用語の歴史。