ブックマーク・RSSから(2006/11/20)

約ひと月ぶりぐらいに復活してみます。
あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。
愛・蔵太の少し調べて書くblog」のほうへの転載・リンクお願いは中止しました(あちらではまた別の企画やろうと思案中)。


G*E*E*K:その「利用規約」は有効ですか


今はどれだけ主流な方法かわかりませんが、個人サイトのトップページを含むコンテンツに入る前に「ENTER」というボタンが表示された「表紙」を表示するサイトが有りますが(いまでもアダルトサイトには年齢認証のためにありますね)、そこに規約を書いたところでその先のページにリンクを張られて、あるいは検索サイトから来られてしまっては読めないので無意味です。
利用規約に同意する・しない、という選択肢があった上で「利用規約」の有効がある、という当たり前の意見。

a woman from inside out(女性を内側から描く)


a woman from inside out
↑骨格から描いている女性のデッサン。別にこのくらいの絵ならそこまでしなくても、と思った。

●数理科学美術館


数理科学美術館入口
↑数学とか全然わからなくても、とにかく美しい画像が見られます。viaあけてくれ日記

マサンドラ・ワイン ホームページ


マサンドラ・・・このベールに包まれたヴィンテージ・ワインが、日本で発売されました。
↑1938年のもので4万円とか。いくらなんでも安すぎるです。

永字八法:一次資料の信頼性


講師の教授は、こう言った事実を通じて資料保存の大変さと大切さを理解しつつ実践して欲しいと締めくくった訳だが、日本の近代歴史問題について語る上でのヒントにもなっていると私は思った。すなわち、日本国内でみつかった戦前戦中の資料は、その出所を徹底的に洗う必要がると言うことだ。怪しげなものであれば捏造を疑ってかかるべきであろう。むしろ、アメリカ公文書館から見つかった物の方が信頼性は高い。このことは、どの立場で発言するにしても留意しておくべきことと考える。
↑一次資料っぽく何かを捏造することは割と混乱期のものに関しては簡単かと思ってしまう。

ガ島通信:道警と道新の手打ちを阻止できるか「道政・道警・裏金問題を考える」シンポ開催


ところで、このシンポのタイトルなのですが「北海道はこれでいいのか」となっていて、北海道全体、住民に呼びかけるようなものになっていますが、道民に大きな責任があるとは思えません。道新はこれでいいのかのほうがふさわしいでしょう(いろいろ考慮した結果「北海道」というタイトルになっていることは理解できます。道新はこれでいいのか、としてしまえば最初から道新や道新系列のテレビなどで紹介されることはないでしょうから…)。大谷氏が言うように裁判で本当に手打ちするのか、何人の社員がシンポに参加して、その記事は紙面でどのように扱われるのか。道新の姿勢こそが問われているのですから。道新社内の心ある新聞人の勇気に期待しています。
↑10月29日(日)、「道新が道警と手打ちしないように」おこなわれるもの、だそうです。

この際、言いたい放題=別冊版:創●学会員の業務妨害事件


判決は懲役1年、電話機1台没収。なんと実刑です。この程度の軽い犯罪で初犯で実刑は異例です。判決理由で裁判官は「今後も『一日一回に限定して電話をする』と述べるなど、反省の情に乏しく、再犯の可能性は著しく高い。一定期間矯正施設に収容し、矯正教育を施すのが適当」などと述べました。
↑宗教上の理由で迷惑電話をかけ続けた被告。裁判内容を読んで古い言葉だけどぼくもズッコケた。

めくるめけ日々(うすた京介公式個人サイト):ウィキペディア


あと「くるり」等のミュージシャンやお笑い芸人と交流が…とありますが、交流っていうか一回挨拶しただけみたいなのがほとんどで、別に友達ではないんですよ…ていうかなりたいよ友達に。なんか悲しくなってきちゃったよ。
ウィキペディアの記述に、本人が自ら間違いを指摘。ギャグ漫画家はネタと真実の区別が難しいです。

佐藤立志のマスコミ日記:これっておかしくないかい


問題なのはオリックス。04年から外資が50%を超えていたが、一時60%を超えていた時もあったのだ。しかも政府の規制緩和の旗振り役をやっていた。これっておかしくないかい。さらに自民党売国奴の連中は、外資からの政治資金を受けることを合法化しようとしている。こんなことがまかり通ったら、北朝鮮の在日企業が政党に堂々と寄付できることになり、容認できない。自民は学校で日の丸、愛国心教育を進めている一方で、政治家は売国的な政治資金規正法の改悪を進めようとしている。ろくでもない。
参議院で西岡議員が経済財政諮問会議外資の社長が入っているのはおかしいのではと追及、という話。

天漢日乗:八世紀の日本人が見た中国典籍はなんだったのか


日本書紀』には、中国の典籍から表現を借りている部分が幾つもある。一々、何を参考にしたとは書いてないから、その部分を探すのも、国文や国史の研究テーマの一つになっている。現代なら盗作だの剽窃だのと問題になるけれども、基本的にお手本に沿って作文してるわけだから、オリジナリティは問題にならない。それよりもできるだけ典故を用いて文章を綴ることが名文の条件の一つだから、現代の文章観とは大いに異なる。
↑原典が何かということはネット時代になって少し楽になったが、何を手本にして書いたかはわからない、とか。