最近の人は「すばらしい」ものに金なんか出さない。自分のためになるものに金を出す

このエントリーを読んで思ったわけですが。
法務だけど理系女子の綴るblog: ダメだと思うものにお金を払ったらダメ

だから、本当に買うものやお金を払うものは選ばないといけないし、自分が良いと思うものには積極的にお金を払いたいなあ、と思いました。それは、自分が信じる政治家に一票を託すのや、良いサービスをされたら笑顔を返すのや、好きな人が喜ぶことをしてあげることと同じだなあ、と思います。

たとえば、レストランなどは普通に生活するだけなら、固定客がある程度いて、売り上げがいくらぐらいあると、どの程度のことができるか(維持できるか)という見込みはあるわけだし、本を書いている人なら固定読者○万人(場合によっては○千人)いれば毎年何冊本を出して、そのためには毎日何字分ぐらい書けば食えるか、ということもわかるわけです。
それが、テレビに紹介されたり映画化・TVドラマ化されたりすると、よくわからなくなってしまう。
「自分が良いと思うもの」ではなく「人が良いと言っているもの」に金を出す人が、世の中には圧倒的に多いわけで。
まずいレストラン、ヘタな小説家は論外ですが、それではどうすればいいかというと、クリエイターの側は「ひたすら腕をあげる」だけでいいのか、という問題ですね。
宣伝したり、出すものをを時代に合わせたり、原価をおさえて味と値段のバランスを考えたり、とか。
本の場合だと最近、本当に「自分のためになるもの」「人が面白いと言っているもの」しか売れないのかなぁ(企画が通りにくくなっているのかな)と、出版されるものを見ていると思います(ここ何年か、ぼくは日本で出版されている本の「タイトル」だけは全部目を通しています)。
その「ためになり具合」が、生活を精神的に豊かにするものではなく、物質的に豊かにする(はっきり言ってしまうと「金儲け」みたいな?)方向に行っているのも悲しいことであります。
「金は欲しいがそんなにはいらない」という、金を受け取る側の人間の考えと、「金は払うけど、その金は自分のためではなく、受けとる人のために使う」という、金を出す側の人間の考えがうまくいくといいのですが。
「この本はあなたの役に立ちます(出す金以上の金をあなたにもたらします)」的な本の売り場(売り面積)が広がっているのがちょっと気になっているのでした。
「ここでメシを食うことが、あなたの商談・人脈作りにつながります」的なサービスをしているレストランみたいな感じ?