「絵文録ことのは」の人の、オリジナリティに関して言っていることに何か言ってみる

以下のところから。
稚拙な印象操作を駆使する記事には、「一次情報」に当たることが重要

私は常に「一次情報に当たろう」と言い続けている。少なくとも、書き手としてはその姿勢は絶対に崩せない。この場合なら、列挙されたURLが本当にそういう内容なのか、自分で見た上で判断すべきだ、ということだ。
というわけで、列挙された48のURLを見てみた。なんと、そのうち11はブログですらない。列挙する意味があるのか、と問わねばなるまい。

と、なかなか興味深いテキストになっているのですが、一つだけ。

クリエイティブ・コモンズも、他者の創作に対して最大限の敬意を払いつつ、それを生かして新たな創作物を作るにはどうしたらいいか、という発想が原点にある。アールヌーヴォーは日本の浮世絵から多大な影響を受けた。日本の国風文化は、その前に唐の文化を受容した上で、それを消化吸収して作り上げられたものである。オリジナリティとは、言い換えれば、いかに「消化吸収」して自らの血肉として取り入れたかということではないか。いかに取り入れたものを「昇華」していくかが問題ではないのか。

こんなところから。
アートコラム artegne.plus:「アール・ヌーヴォーを知る」

Vol.1 えっ?アール・ヌーヴォーって店の名前?世紀末が生んだ装飾芸術
アール・ヌーヴォーの原点は、19世紀半ばにウィリアム・モリス(※1)が提唱したアーツ・アンド・クラフツ運動(※2)にあります。「美しく住む」というスローガンのもとに広まったこの運動は、一般市民の芸術と生活に対する「美意識」を大きく変えました。その後、世紀末に流行した美術と工芸(装飾美術)の総称を、現在アール・ヌーヴォーと呼びますが、当時はまだアール・ヌーヴォーという呼び名はありませんでした。実は、アール・ヌーヴォーというのは、1895年にサミュエル・ビングというドイツ出身の美術商がパリで開いた店の名前だったのです。その店は、室内装飾を工芸家ヴァン・デ・ヴェルデに依頼し、ビングの目にかなった作家たち−ティファニー、ガレ、ミュシャなど−の工芸品や日本の浮世絵などを扱っており、結果的にそれらの作家たちが立役者となり、後に店の名前だったアール・ヌーヴォーという言葉が広く一般的に使われるようになったのです(当時は「ミュシャ様式」「ギマール様式」など、作品の様式は各作家の名前で呼ばれていました)。

東京国立近代美術館工芸館:日本のアール・ヌーヴォー 1900−1923:工芸とデザインの新時代

ヨーロッパでのアール・ヌーヴォーの大流行を目の当たりにした日本人の美術家たちは、そこに日本美術からの影響を感じ取っていました。アール・ヌーヴォーの源泉には琳派をはじめとした日本美術からの影響があったのですが、それがいわば逆流現象を起こして日本の美術家たちに作用し、西洋の模倣ではない、日本独自の表現を摸索する動きがみられるようになるのです(図7)。

ということで、正確には「日本の浮世絵から」というよりは「(浮世絵を含む)日本美術から」と記述するのがいいのではないかと思った。
もう少し調べてもいいんだけど、ぼくにはフランス語はさっぱりなので、うまく「一次情報」に当たれない。
ぼくなどは山岸涼子のバレエ漫画『アラベスク』を最初に知ったので、ミュシャを後から知って驚いた。ダダもブルトンも宇宙人とか怪獣の名前だったしなぁ…。シャルル・アズナブールというシャンソン歌手もいたりしますが。
別に「絵文録ことのは」の人が「稚拙な印象操作を駆使」しようとしているとは思いませんし、「学ぶ=まねぶ」である、というのには同意見です。
「パクる」と「真似する」とはまた微妙に違うんで、少しややこしいんですが。