曽野綾子証人に対する反対尋問者・新井章さんのしたたかさについて

以下のリクエストに応えてみました。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070221/neta#c
 
ということで、安仁屋政昭さんと曽野綾子さんの、「集団自決」に関する証言を電子テキスト化しようと思いまして、そのテキストを読んだわけですが、1988年4月4日に行われた曽野綾子さんの証言に対する反対尋問者(弁護士)の新井章さんの手法に、ちょっと驚いてしまったわけです。
法廷の仕組みはしらないんですが、この人は反対尋問で、曽野綾子さんが細部を忘れていたり、読んでいないような資料に言及して、それをその尋問の場で恣意的な引用をするんですね。
たとえば、『家永・教科書裁判 : 裁かれる日本の教育 第三次訴訟. 地裁編 第5巻』(ロング出版)(1995.7)のp299、

問175 「渡嘉敷村史」、この366ページの下段、おしまいから六行目以下を見て下さい。「すでに上陸前に、村の兵事主任を通して軍から手榴弾が配られており、『いざという時』にはこれで自決をするように指示されていたといわれるが云々」という記載があるんですが、これは先ほどの御証言ですと御存じないんですね。
答 はい

で、この「自決をするように指示されていたといわれるが云々」の「云々」は、ちゃんと『渡嘉敷村史』で確認すると、こんな感じです。

すでに上陸前に、村の兵事主任を通して軍から手榴弾が配られており、『いざという時』にはこれで自決をするように指示されていたといわれるが、誰が「いまが自決の時だ」と判断し自決を指示したかは不明である。

つまり、村の公式記録でも「軍の命令があったかは不明」なんですが、反対尋問者・新井章さんが引用した部分ではそれは分からない(語られていない)、ということですね。
要するに、云々ではありません。明確に「不明である」と書いてあります。
何ですかねぇ、このしたたかさは。
さらに、反対尋問者・新井章さんは以下のようなことも言ってますが、(前掲書p290)

問103 細かいことはよろしいんですけれども、正規の「渡嘉敷村史」という、編まれたものの中に、兵事主任の陳述とか、また兵事主任の陳述を踏まえた他の資料も踏まえて、集団自決事件の経過が記されてるんですが、お読みになったことはありませんか。

びっくりしないでくださいよ。
確かに『渡嘉敷村史・資料編』では、p369「第二節 渡嘉敷島の戦争体験者」の中で、村の兵事主任富山真順さん(ぼくの「沖縄戦」関連では、あまり重要ではない人物であることですでに有名です)の証言があることは事実ですが、その証言は渡嘉敷島の「集団自決」関連の証言ではなく、「10・10空襲」と一般的に言われている「1944年(昭和19年)10月10日、沖縄本島全域に行われた米軍の艦載機による爆撃」に関する証言でしかありません。
つまり、この新井章さんは、「嘘は言っていない」が「本当のこととは微妙に違うこと」を本当に見せかけることに非常に長けている人(弁護士)だというのがぼくの印象です。
これでは、法廷という舞台で、舞台に不慣れな曽野綾子さんが勝てるわけがありません。
とっさに「はい」「いいえ」以外の答え、たとえば、「『云々』ではなくちゃんと不明であると言っている」「その資料は読んだが兵事主任は集団自決事件については何も言っていない」と答えることのできるような人間は少ないと思います。
この1988年4月4日の、教科書裁判における沖縄出張法廷の証言は、安仁屋政昭さんのに引き続き曽野綾子さんのものも電子テキスト化していく予定なので、わりと長くご期待ください。