村上春樹訳『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』をもっと村上春樹化してみる

こんな感じ。

ぼくがテリー・レノックス----きみと最初に出会ったのは、<ダンサーズ>のテラスの外だった。ロールズロイス・シルバーレイスの車中で、きみは酔いつぶれていた。駐車場の男はその車を運んできたものの、きみの左脚が置き忘れられたみたいに外に垂れ下がっていたので、ドアをいつまでも押さえていなくてはならなかったんだ。酔っぱらったきみは、顔立ちこそ若々しいものの、髪の毛はみごとに真っ白だった。泥酔していることは目を見れば明らかだが、それを別にすれば、ディナー・ジャケットに身を包んだ、当たり前に感じの良い青年の一人にすぎない。人々に湯水のように金を使わせることを目的として作られた高級クラブに足を運び、注文どおり金を使ってきた人種だ。

……微妙に801テイスト(きみぼくテイスト)入れてみました。
しかし、自分を「ぼく」と言う私立探偵フィリップ・マーロウも見てみたいものなのだった*1
本当の村上春樹訳がどうなっているか、というのは、2007年4月号のミステリ・マガジンか、2007年3月8日発売予定の『ロング・グッドバイ』をご覧ください。
→『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー村上春樹・訳/早川書房)(アマゾンのアフィリエイトつき)
別にアマゾンで買わなくても普通の書店で平積みされるだろうとは思いますが。
ついでに、『キャッチャー・イン・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』の北方謙三訳(超訳)も考えてみる。

本当にこの話をお前が聞きたいのなら、まず俺がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどうだったかとか、俺が生まれる前に何をやっていたとか、そんなデイヴィッド・コパフィールド式のくだらねぇことから聞きたがるかも知れない。だが俺は、そんなことはしゃべりたくない。

ものすげぇハードボイルド。
実際、『キャッチャー・イン・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』はハードボイルドを意識した小説なのかも知れず。
ライ麦畑でつかまえて - Wikipedia

ライ麦畑でつかまえて』(らいむぎばたけでつかまえて, 英:The Catcher in the Rye)は、J・D・サリンジャーの1951年発表の小説である。

 

*1:本当は村上春樹は「君」「僕」と漢字で書いているテキストしか多分存在しないと思うんですが、どうも「きみ」「ぼく」のイメージがある。(追記)「ぼく」表記の小説もあるそうです。コメント欄参照。