『差別』という日本語、わかりますか(from『世界屠畜紀行』)

 読みかけなんだけど、めっさ面白いです。

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

★『世界屠畜紀行』(内沢旬子/著/解放出版社/2,310円)【→bk1】【→amazon
↓内容紹介の引用。

「食べるために動物を殺すことを可哀相と思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じる文化は、日本だけなの?」屠畜という営みへの情熱を胸に、アメリカ、インド海外数カ国を回り、屠畜現場をスケッチ!! 国内では東京の芝浦屠場と沖縄をルポ。「動物が肉になるまで」の工程を緻密なイラストで描く。

 イラストのテキストが、ぼくの疲れた目には少しつらいけど楽しい。こういうの苦手な人にはおすすめしませんが。あと、韓国の人とかを異常に嫌ってる人にも非おすすめかも知れず。
 引用2つ、とりあえず。
 p033。

もし日本も文永・弘安の役(1274年・1281年)のとき嵐が吹かずに元軍(モンゴル帝国)に攻め込まれていたら、肉をもっとおおっぴらに食べるようになっていたかも知れないし、異様なほど強いタブー感覚も薄れたかも知れない。ちょっと残念。

 ええ〜!?
 著者の価値観は、肉>モンゴル>韓国>日本なのかも。
 ぼくがコーヒー吹いたのは以下のテキスト。イランの屠場での話。p086。

(著者)「あのさ、さっきもたくさんたくさん説明したけど、『差別』という日本語、わかりますか? ペルシャ語にはあるのかなあ。たとえば、エビちゃん(引用者注:イラン人のガイドの名前)が、日本で外国人、イラン人だというだけで嫌な目にあったりしなかった? 日本では、肉屋さんへの差別だけじゃなくて、韓国・朝鮮人をはじめとして、よその国から来た人に対しても差別があるでしょう?」
 途方に暮れて、帰りの車の中でたずねると、
「わかりますよ。私、全部わかってますよ。日本でたくさんあったよ。私が働いていた会社の社長はカンコクジンだったよ。カンコクジンは良くないね。私が働いたお金を少なく言っていて、ずっと自分のものにしてた。私、ずいぶんがんばって取り返そうとしたけど、ダメだったんですね。いくらだと思う? 80万円だよ」
「ひええっ、そんな大金……。ってそうでなくってね、えーと」
イスラムでも仏教みたいに動物を殺さない考え方もあるよ。それに肉の仕事している人たちも、動物を殺してかわいそうと思って、昼からは花を売ったり育てたりする仕事をしtげる人もいるんだよ。本当だよ。私、知ってるんデスよ」
 あ、あかん。完全に誤解している。彼は差別される人=悪いことをしている人と思っているのだった。

 エビちゃんの解釈では「よその国から来た人=悪いことをしている人」なのか。日本語難しいです。それはそうと世界各国で「差別」とはどういう語が相当し、それぞれの概念はどのようなものなのか、とても興味を持ちました(が、多分その国の人でないと完全には理解できないとも思った)。
 あるチェコ人の、こんな言葉。p102。

差別は全然ないですよ。第一、私たちは社会主義時代に育ったから、職業の差別は全然ないんです。たとえば、お手洗いのおばさんでも、大統領夫人でも変わりません。同じように話しかけるし、あいさつする。これだけは、社会主義で良かったことかもしれませんね

 …少し怪しい。
 あるモンゴル人の、こんな言葉。p119。

モンゴルの人たちは、見知らぬ訪問者でも歓迎してくれるんですよ。客が自ら名乗らなければ、名前も聞かないまま歓待する。でもあのとき(引用者注:共産主義時代にモンゴル遊牧民の暮らし方を調べに留学した小長谷有紀さんという女性が、政府の目を盗んで遊牧民のゲル(テント)に一泊したという、そのときの話)は、彼らもまさか、訪れた客が日本人だとは思わなかったでしょうね。モンゴル語はヘタやけどブリヤート人で、まちの子だから馬に乗れないんだろうな、ぐらいに思っていてくれたようです(笑)

 こっちのほうはあんまり差別という考えがなさそうかな、とも思う。