剣豪・小野次郎右衛門(神子上典膳)と将軍・徳川家光のスベらない話(from『絵具屋の女房』)
読むの二度目のような気がするけど。
- 作者: 丸谷才一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/03/10
- メディア: 文庫
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エッ、宮本武藏は実在しなかった?何故なら「彼には滑稽な逸話がない」と丸谷さんは言います。それに比べて将軍家御指南番・神子上典膳なんか、西瓜の皮ですべって転んで、いい味だしてます。その他、天皇制と養子の話、甘栗を巡るマジメな論考、インディアンが野球をすると…など、名エッセイをお楽しみ下さい。
この「神子上典膳」というのが、今日の話の「小野次郎右衛門」あるいは「小野忠明」なんですが、
→神子上典膳 - Google 検索
徳川家光の御指南役を、ちょっとしたヘマで遠島になったところから、丸谷才一のテキストを引用します。p97-99
(前略)その流刑地で次郎右衛門のしたことがおもしろい。
この島において、畑のもの、瓜、西瓜を盗み食ふ者があつて、こいつを捕へようと島中の百姓がワイワイ寄つて来たが、この泥棒が大勢に手傷を負はせたあげく、瓜小屋に立てこもつた。しかも小屋のまはりには西瓜の皮を並べ、捕手の者をこの皮によつて辷らせる。
困り果てた百姓たちが、次郎右衛門に頼んだ。
次郎右衛門はただちに引受け、押つとり刀で駈けてゆく。
百姓たちは、
「瓜の皮で足を辷らせてはいけませんよ」
とどなつたが、耳にもかけずに走つてゆき、果して、瓜の皮に辷り、あふむけに倒れた。
待ち受けてゐた泥棒は、拝み打ちに打ちかけたが、次郎右衛門は小野派にて神妙と呼ぶ太刀を使ひ、倒れながら抜き払ひ、上へ払つたので、曲者の両腕ははらりと落ちた。
(中略)
さて、流刑の地におけるこの武勲はたちまち上聞に達し、元の禄を賜はることになりました。家光としては、何か理由をつけて勘弁してやりたくて、待ち構へてゐたのでせうね。
江戸表に帰つた次郎右衛門が御前にまかり出る。
家光はこのとき、かう考へました。
次郎右衛門は遠流の地にあつて、しばらく剣術の修行を怠つてゐる。ところが自分は日夜、剣に励んできた。一つ立合つてみようぢやないか、と。
そこで次郎右衛門が恭しく毛氈の端に両手をついて拝謁したとき、家光は木刀を構へてただ一打ちと振りあげた。
そのとき次郎右衛門は、毛氈の端を取つて、ぐいと引く。
家光はずでんどうと転んだ。
これによつて家光の次郎右衛門に対する信頼はいよいよ増したといふのである。
(後略)
講談だったらこんなオチもわかるんですが。
以下のところにも、面白いエピソード載ってます。
→日本武術神妙記2
以下のところでは、講談テキストが楽しめます(「小野次郎右衛門」で検索すること)。
→近代デジタルライブラリー | 国立国会図書館
検索して見たら、「耳袋」の現代語訳テキストの読めるところが見つかった。
→耳袋
→耳袋を読む:目次
→小野次郎右衛門、島流しにあうこと(召し帰されること)
さりげなく、すごい。