キーワード「集団自決」の編集に関して嘘を言うid:abesinzou氏について
こんなところから。
→はてなに対する歴史修正主義者の攻撃に一緒に対抗してください (コメント欄)
ななしさん 2008/03/21 11:09
過去の編集履歴を見る限りでは、キーワード荒らしはどう見てもabesinzou氏のように見えるんだがね。理由は「キーワード形成の合意点」(どういうキーワードの説明なら双方が納得できるか)という妥協点を一度も示さないで、コピペばかりやってる側だから。今からでも遅くないので、対話・合意の姿勢を示してみてはどうかな
abesinzou 2008/03/21 22:59
まずキーワードをオリジナル執筆したのは私でありそれ以前の比較的貧弱な内容を豊かにしました。書き下ろしたのであり何かをコピ−したりしていません。これに対してlovelovedog氏はそれ以前の貧弱な内容に戻すだけの行為しかしておらず、何を書くか?というような対立ではありません、更に氏は自分では項目について知識はないとしているにも関わらず、他人の内容豊富な記述を消そうとしているのであり、その意味では合意を取る事は不可要でしょう。
キーワードをオリジナル執筆したのは私(愛・蔵太)で、比較的貧弱な内容にしておいたのは、各人が自分のブログで充実させればいいことだからです。最初の記述はこんな感じ。
→集団自決@20071120094820
集団による自害。
狭義では沖縄戦など、太平洋戦争での民間人の強制集団死。「集団自決」という言葉は戦後使用されはじめたもので、当時は玉砕と言っていた*1。現在ではその実態が字句と異なるので強制集団死あるいは集団死、または括弧づけで表記されることが多いという者もいる*2。
自決とは元来軍人が自ら死ぬことであり、「集団自決」では判断できようもない14歳以下の子どもも多く死んでいる*3(例えば「チビチリガマ」の死者の1/3は14歳以下であり*4、実際的な事実として幼児なども親などにより無理心中されている。しかし「援護法」の認定により14才以下の子どもも「集団自決」で死んだと認定されており、国(防衛庁)による公的な記録ではこれら子どもも「戦闘協力者」と分類し、防衛庁は彼ら幼児が、日本軍兵士の憂いを除くため自ら愛国的精神で死んだ、とその戦史に記載している*5。「集団自決」という言葉が括弧づけで使われる理由の一端がここにあろう、と言う者もいる*6))。当時、沖縄では米軍に捕まればむごたらしく殺されると、日本軍から教え込まれたが、実際に捕まった時にはまったくそのような事はなく、日本軍(友軍と呼んだ)に騙された、日本軍に死に追い込まれた、という認識がすぐに広まった*7。また玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降した*8ことも、大きな怒りと認識の転換をもたらした。また戦後の歴史家の研究では、全体的な教え込みや、訓話だけでなく、実際にその場面での手榴弾の手渡し、指導などがない場合は住民は死んでいない事が指摘され*9、直接的にも日本軍の存在が集団死の原因であると言う者もいる*10。
軍による強制であることは軍が同居していない場合は住民は死んでいないケースとの比較などから具体的に指摘されている、という者もいる*11。ちなみに、「チビチリガマ」では退役軍人(在郷軍人とよばれる高齢の軍隊経験者)と従軍看護婦経験者の先導と住民の自主的な判断(日本軍の存在・命令抜き)で集団自決が行われ、すぐ近くの「シムクガマ」では集団自決は起こらなかった*12。また「阿嘉島」では、日本軍がいたにもかかわらず集団自決は起きなかったという事例もある*13。
日本軍による強制・命令については、伝聞情報的なものが中心であり、「広義の強制・命令だった」という以上の、実証的に有意なデータを集めるまでに至っているかどうかは断定できない。*14
文科省は、06年の教科書検定において、教科書の沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてを「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘し、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明している(朝日新聞2007年3月30日の報道による)。
それに対し沖縄戦の専門家らはその姿勢を批判している。(沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面 ほか)
だが現在の所は、日本軍の命令・強制、あるいは関与説の否定・肯定両者がデータの信頼性・妥当性のレベルで水掛け論的な論争を繰り広げる状態が続いており、何らかの結論を得るにはある程度の時間がかかるものと考えられる。*15
参考リンク:
→検定意見書:沖縄戦の実態について、誤解するおそれのある表現である。
→原爆と戦争責任 “集団自決”62年目の証言 クローズアップ現代
これをid:abesinzou氏は以下のように訂正。
集団による自害。狭義では沖縄戦など、太平洋戦争での民間人の強制集団死。
「集団自決」という言葉は戦後使用されはじめたもので、当時は玉砕と言っていた。現在ではその実態が字句と異なるので<強制集団死>あるいは<集団死>、または括弧づけで表記されることが多い。
自決とは元来軍人が自ら責任をとって死ぬことであり、沖縄戦でいう「集団自決」では自分で判断できようもない14歳以下の子どもも多く死んでいる(注1)。当時、住民は米軍に捕まればむごたらしく殺されると、日本軍から教え込まれたが、実際に捕まった時にはまったくそのような事はなく、日本軍(友軍と呼んだ)に騙された、日本軍に死に追い込まれた、という認識がすぐに広まった。また玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降したことも、大きな怒りと認識の転換をもたらした(注2)。こうした事から戦後早くに編集された聞き取り記録(1950年「鉄の暴風」)でも、日本軍に命令されたという書き方になっており、その後も体験者の認識はそうした点で一致している。戦後この点に関する歴史家の研究では、(1)皇民化教育により住民が死ぬことに抵抗がなかった全体的な状況がまず重視された、しかしその後研究が進み(2)住民全員を死ぬまで戦闘に協力させる沖縄軍全体の方針(「軍官民共生共死の一体化」という言葉で表現されている)があり、日本軍が最後の瞬間まで住民を利用する方針だったこと、(3)米軍が迫ったら「死になさい」という具体的・直接的な日本軍による訓示が広く行われ、米軍に捕まれば女は陵辱された上で殺され、男は目や鼻を削ぐなど凄惨なやり方で全員殺されるというデマの教え込みがあったこと、(4)実際に米軍が上陸した時には日本軍管理下の手榴弾の手渡しなどを行っていること、などから段階的・具体的に軍による強制がなければおきなかった事態と考えられている。
軍による強制であることは軍が同居していない場合は住民は死んでいないケースとの比較などからも具体的に指摘されている。石家昌家や林博史氏などが指摘する、本島の「チビチリガマ」では退役軍人(在郷軍人とよばれる高齢の軍隊経験者)と従軍看護婦経験者の先導で集団自決が行われ、逆にすぐ近くの「シムクガマ」では集団自決は起こらなかったことからよく理解できると解説している。
文科省は、2006年の教科書検定において、教科書の沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた教科書7点すべてを「誤った理解をする恐れがある」として修正意見をつけ、各社は「集団自決に追い込まれた」などと軍の強制を削除した。文科省は判断基準を変えた理由を(1)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(2)近年の研究では、強制はなかったというのが主流である――などの状況からと説明している。
それに対し沖縄戦の専門家らは、(1)係争中の裁判での片方の主張のみを教科書の記述の参考にするのは間違っている(2)軍の強制を否定する学説はない、とその姿勢を厳しく批判している。(沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面 ほか)、特に軍の強制を否定する学説については、研究者(林博史)自身が「ない」と述べている。
またこうした「集団自決」という事件が沖縄戦における日本軍による住民殺害の一つの現れであり、久米島での虐殺事件などで知られている、スパイ容疑で住民を軍がなんの裁判もなく殺す、いわゆる沖縄戦での住民虐殺と同じ原因だと考えられている。
注記1
例えば「チビチリガマ」の死者の1/3は14歳以下であり、実際的な事実として幼児なども親などにより無理心中されている。しかし「援護法」の認定により14才以下の子どもも「集団自決」で死んだと認定されており、国(防衛庁)による公的な記録ではこれら子どもも「戦闘協力者」と分類し、防衛庁は彼ら幼児が、日本軍兵士の憂いを除くため自ら愛国的精神で死んだ、とその戦史に記載している。「集団自決」という言葉が括弧づけで使われる理由の一端がここにあろう。注記2
慶良間島では、米軍に捕まったら死になさいと訓示した梅沢隊長は、住民が集団自決した後1ヶ月以上も、その任務である特攻をすることもなく自陣に籠もり続け、ついに自決することもなく米軍に投降した。あまつさえ食料事情のよくない中、太った「慰安婦」を連れて投降した。かつて友軍と呼び自分たちを守ってくれると思っていた住民はその姿に石を投げつけた。つまり1945年8月の段階で住民は、本来玉砕する必要はなかったし、日本軍が嘘を教え裏切ったことは明らかだった。米軍が壕を包囲した時、既に保護された多くの住民が自決せず投降するよう呼びかけており、日本軍はそれを「スパイだ」として殺害した。集団自決がおきる上で、日本軍による嘘の情報と、投降しようとすれば逆に日本軍に殺されかねないという状況があり、住民にとって体験的に日本軍により追い込まれたものであることははっきりしていた。参考リンク:
→検定意見書:沖縄戦の実態について、誤解するおそれのある表現である。
→原爆と戦争責任 “集団自決”62年目の証言 クローズアップ現代
ぼくが出典を求めている記述について、明記しないまま単にちょっとくわしく書いた、というだけでは「貧弱な内容を豊かに」したのではなく、「簡潔な内容をゆがんだ記述にした」とも言えるし、そういうのはキーワード編集としてはどうかと思う次第。
ということで、id:abesinzouさんは、以下の点について「出典」を明記してキーワードの内容を豊かにすることを望みます(出展を明記しないで、キーワードの内容をゆがませることを望みません)。
1・「「集団自決」という言葉は戦後使用されはじめたもので、当時は玉砕と言っていた」とされるテキストとその説明。誰がどの書物でそういい始めたのか
2・「強制集団死あるいは集団死、または括弧づけで表記される」者はどういう者が多いのか
3・「14歳以下の子どもも多く死んでいる」ということが記述されている書物と、その引用テキスト
4・「「チビチリガマ」の死者の1/3は14歳以下で」ある、という資料(出版社・著者などのデータを含む)
5・「防衛庁は彼ら幼児が、日本軍兵士の憂いを除くため自ら愛国的精神で死んだ、とその戦史に記載している」という、その戦史の該当部分テキスト
6・「集団自決」という言葉が括弧づけで使われる理由の一端がここにあろう、と言う者の存在
7・「当時、沖縄では米軍に捕まればむごたらしく殺されると、日本軍から教え込まれたが、実際に捕まった時にはまったくそのような事はなく、日本軍(友軍と呼んだ)に騙された、日本軍に死に追い込まれた、という認識がすぐに広まった」というテキストの根拠となるテキスト
8・玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降したという具体例
9・全体的な教え込みや、訓話だけでなく、実際にその場面での手榴弾の手渡し、指導などがない場合は住民は死んでいない事が指摘されているという、その根拠。
10・直接的にも日本軍の存在が集団死の原因であると言う者の存在。
11・軍による強制であることは軍が同居していない場合は住民は死んでいないケースとの比較などから具体的に指摘されている、という者の意見
12・「だが現在の所は、日本軍の命令・強制、あるいは関与説の否定・肯定両者がデータの信頼性・妥当性のレベルで水掛け論的な論争を繰り広げる状態が続いており、何らかの結論を得るにはある程度の時間がかかるものと考えられる。」という状況の根拠
残念な私感ではありますが、abesinzou氏が何度も貼る後者のテキストは「出典の明示」にとぼしく、ウィキペディアやはてなダイアリーのキーワードの記述の不十分な部分を補完する形のものというより、abesinzou氏がどこかで見たり聞いたりした、うろおぼえの(根拠の比較的薄い)情報=嘘というレッテル貼りすら可能な情報の提供にすぎないように私には思えました。abesinzou氏は、キーワードの記述にあたっては、客観的にデータ・資料の確認できる「要出典」の意味を徹底的に理解して、単なるコピペ合戦・編集合戦以上のテキストを再構成していくことを望みます。ウィキペディアの記述やキーワードの語の説明には、自分の日記に書くようなことを書いている(書かれたものを書き直されたら、同じものを再アップする)だけではダメなのではないでしょうか。
(追記)
こんな掲示板ができたようです。
→歴史修正主義の定義について