ジャンル・媒体に対する「愛」をもってつまらなさを語る

 ぼく自身にはなかなか、ジャンルあるいは媒体に対する「愛」がないので、「愛」の裏返しである「憎悪」というか罵倒・貶しテキストがうまく書けないのですが、世の中にはそういうのがたくみな人がいたりするので、ついブックマークしてしまうのです。
 こんなのとか
映画評論家緊張日記: 未来予想図 (2007)
 こんなのとかは、
マンガソムリエ煉獄編:本当にひでえマンガ、あるいはリアルさるまん「アガペ」
 映画・漫画に対する愛がなければ難しいテキストだと思った。
 また、評価の対象になっている創造物が、ある種の低レベルクオリティ(という言いかたも変だな)でなければ難しい芸でもあるわけで、万人に貶される映画がなぜ世に出てしまったのか、みたいな背後関係にはちょっと興味を持つのだった。小説や漫画、音楽などではあんまりそういう例はないですね。アニメならあるのかな、「なぜこのようなものが人の目に触れるようなことになってしまったのか」みたいな作品。広告を含めた金のかけ具合(ダマし具合)が、映画の場合は顕著だからなのか、映画製作者関係がアレなのか。
 しかし昔から、週刊漫画で連載している作品で面白いのって、20本ぐらいあるうちの、せいぜい3つぐらいだった。久しぶりにジャンプを見てみたら、うーむ、どれもそこそこ面白いのだが、毎週話を楽しみにしながら読む、というような作品は見当たらなかった。この状況は「ジャンプはつまらない漫画ばかり載せている」というわけではないのですが(その証拠に、ジャンプの返品部数よりさらに少ない発行部数の漫画雑誌を読んでみたら、明らかにジャンプの漫画より面白くなかった)。人が無関心だったものを「愛」や「憎悪」に向けるほどのエネルギーが、これは漫画に限らずいろいろなものに欠けていると思う。マーケティングとかアンケート至上主義とか、いろいろあるとは思うんですが、クリエイティヴな現場に口を出す人間が多くなってきたり、口を出す人間が頭がよくなりすぎていたりするのがあるのかとか思う。ジャンプ編集部は、入社試験で成績の一番悪い奴を入れるべきだと思うし、実際にそうしているのだとしても、なんかバカ度が足りない気がする。アンケート入れる人間の問題もあるのかな。
 なんか適当に書いてみたけど、思い出したらまた続きを書きます。
(追記)
 ぼくの感覚として「面白くない」は「つまらない」とは違う。「面白がる人間は想定できるが、それは少なくともぼくではない」というのが「面白くない作品」、それに対して「面白がる人間がうまく想定できない」が「つまらない作品」なのだ。