マッカーサーが日本のアジア太平洋戦争/大東亜戦争/第二次世界大戦を「防衛戦争/自衛戦争」だと言った、という件について

 以下のところから、
産経「正論」、大物を出す。 - 黙然日記
 以下のテキストを読んで、
「【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 政治家・官僚にお願いしたい事」コラむ‐オピニオンニュース:イザ!

【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 政治家・官僚にお願いしたい事
 
 ≪「卑屈度」が増すばかり≫
 
 麻生太郎さんが総理になられた。麻生さんのお考えには共鳴するところが多いのだが、安倍晋三内閣の外務大臣の時の「日本は東京裁判を受諾して国際社会に復帰した」との発言には重大な錯誤があったと思う。しかもその錯誤は多くの保守系の政治家や官僚、そしてほとんどすべてのサヨク系の政治家やジャーナリストの強い「思い込み」になっていると思われる。改めて訂正をお願いしたい。
 戦後を体験した人間として不思議に思うのは、敗戦直後の日本の政治家が、チャイナやコリアに卑屈でなかったことである。それが講和条約締結から時間が経(た)つにつれて、だんだん卑屈度が増してきているという印象があるのだ。その理由としては、ハニー・トラップやマネー・トラップ(女性やお金の誘惑)が利いているのだと推測する人も少なくない。それも少なからぬ効果を発揮しているのだろうが、もっと深いところで、サンフランシスコ講和条約第11条についての外務省の解釈がいつの間にか変わってきたことに、日本政府を卑屈にさせる根本原因があると考えられるのである。
 
 ≪「裁判」と「判決」の混同≫
 
 その第11条は、「日本は東京裁判の諸判決(Judgments)を受諾し、それを遂行する」という主旨(しゅし)のものである。ところが、外務省はいつの間にか「裁判」と「判決」を混同し、それを政治家にレクチャーし続けているのだ。たとえば今を遡(さかのぼ)ること23年前の昭和60年11月8日の衆議院の外務委員会において、外務省見解を代表した形で、小和田恒氏は土井たか子議員の質問にこう答えている。
 「…ここで裁判(極東国際軍事裁判東京裁判)を受諾しているわけでございますから、その裁判の内容をそういうものとして受けとめる、そういうものとして承諾するということでございます」
 この時点で日本の外務省の正式見解は、裁判と判決をごっちゃにしているという致命的な誤りを犯しているのである。
 例の第11条を読んでみたまえ。そこには「諸判決(Judgments)を遂行する」としている。もしJudgmentsを「判決」でなく「裁判」と訳したら、日本政府が遂行できるわけはないではないか。東京裁判を遂行したのは連合国である。その裁判所は死刑の他に無期刑やら有期刑の諸判決を下した。その諸判決の期間が終わらないうちに講和条約が成立し、日本が独立したので、「その刑期だけはちゃんと果たさせなさいよ」ということである。
 東京裁判は、いわゆるA級戦犯の誰も受諾、つまり納得していない。たとえば東条英機被告の『宣誓口述書』を見よ。受諾したのは判決のみである。他の被告も同じだ。これは敗戦国の指導者たちとして捕虜状態にあるのだから逃げるわけにゆかないのだ。
 
 ≪東京裁判の誤った評価≫
 
 裁判と判決の区別を小和田氏はしていない。小和田氏を代表とする外務省の見解は日本政府の見解として、政治家を縛っているのだ。裁判受諾と判決受諾は全く別物であることを示している古典的な例で言えば、岩波文庫にも入っている『ソクラテスの弁明』である。
 ソクラテスアテネの裁判で、青年を堕落させたというような罪で死刑を宣告され、獄に入れられた。ソクラテスもその弟子たちもその裁判には不服である。ソクラテスは脱獄をすすめられた。しかしソクラテスはそれを拒否する。「この裁判は受諾し難いが、その判決を受諾しなければ、法治国家は成り立たないからだ」と言ったのだ。
 裁判と判決の違いの現代的例を一つあげておく。これは前にあげたこともあるが、実にわかり易(やす)い例なので、外務省の人にも容易に納得していただけると思う。
 戸塚ヨットスクールで生徒が亡くなったので、戸塚宏氏は暴行致死、監禁致死で告発され、入獄数年の刑に処せられた。彼は裁判に納得しなかったが、法治国家の市民として判決に服して入獄した(ソクラテスと同じ)。獄中で彼は模範囚であり、何度も刑期短縮の機会を提供された。しかし、彼はすべて拒否した。というのは刑期を短縮してもらうためには「恐れ入りました」と言って裁判を認めなければならない。彼は業務上過失致死以外の罪状に服することを拒否し、刑期を満期勤め上げて出てきた。
 東京裁判マッカーサーの条例で行われたものであるが、後になって彼自身がアメリカ上院で日本人が戦争に突入したのは主として「自衛」のためだったと証言しているから、「侵略」戦争の共同謀議というA級戦犯の罪状のカテゴリー自体も消えていることを外務省に知ってもらいたい。(わたなべ しょういち)

サンフランシスコ講和条約第11条についての外務省の解釈がいつの間にか変わってきた」ということは知りませんでした。この件についてご存知のかたは、コメント欄ででもレクチャーしてください。
 サンフランシスコ講和条約第11条に関するぼくの解釈は以下に述べた通りです。
「サンフランシスコ講和条約のjudgmentsは諸判決であって裁判ではない」って、いつ誰がどこで何時何分何秒に言った
 ぼくの判断では、「昭和26年(1951年)10月17日」の「「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」で以下の通り述べているように、

昭和二十六年十月十七日、衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄外務省条約局長はサンフランシスコ講和条約は「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております」と答えている。

「いつの間にか変わってきた」という事実は確認できませんでした。
 それから、
日本は東京裁判史観により拘束されない―サンフランシスコ平和条約の正しい解釈

筆者(注:佐藤和男氏)は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。

 この「当代一流の国際法学者」として挙げられている「アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レス」という諸氏について、くわしいことを知っているかたは教えてください。
 参考リンク。
東京裁判は、その「判決理由によって拘束されるなどということはない」と言っている人たちは誰なのか
 ここまでは今までの復習みたいなもので、今回のメインはマッカーサーの「アメリカ上院で日本人が戦争に突入したのは主として「自衛」のためだったと証言している」という部分に関する解釈です。
 たとえば、こんなテキストとか。
マッカーサーの演説2008年10月日

 マッカーサーは上院軍事外向委員会(昭和26年5月3日)で次のように演説する。
 
 我々は日本を包囲した。日本は8千万人に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島にひしめいているのだということを理解していただかなくてはならない。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。これほど巨大な労働力をもっているということは、彼らは何か”働くための材料が必要”ということを意味する。かれらは工場を建設し、労働力を有していた。しかし手を加えるべき原料を得ることが出来なかった。
 
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他に多くの原料が欠乏している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切れば、1千万から1千200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、主としてセキュリティーのためであった」。
 
 セキュリティーをどう訳すかが問題であるが、”安全保障の必要、つまり生存”と訳したい。この演説は日本の新聞でも報道された。ところが、朝日新聞の縮刷版をチェックすると、”セキュリティの為のこの部分がない”。いかに当時の新聞が悪質であったかである。
 
 東京裁判をやらせた、マッカーサー自身がセキュリティの為の戦争であったと明言しているのである。侵略戦争などとは一切言っていない。

 ちょっと朝日新聞の縮小版をチェックしてみたくなりましたが、一応その前に、マッカーサーの「演説」の元テキストが以下のところにあるので紹介しておきます。
マッカーサー米議会証言録
同 57ページ
ダグラス・マッカーサー - Wikipedia

マッカーサーアメリカ議会証言録
 
引退後の1951年5月3日、上院軍事外交共同委員会で朝鮮戦争における中華人民共和国へ対しての海上封鎖戦略についての証言の中で、

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.[6]と答弁した。

この発言に関して小堀桂一郎は「これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです」と訳している[7][8]。

日本人が戦争に突入したのは主として「自衛」のためだったと証言している」という、渡部昇一氏の解釈はどんなもんかなぁ、と思った。普通「自衛」といえば、どこかの国に攻められる、という前提があって、自国を守るために戦うようなものだとぼくは解釈していたのですが、そうでない「自衛」(広義の自衛)もあるのかな。「失業対策」「雇用のため」の戦争、というのも妙な話ですが、「security」は文脈的に考えると「失業者を出さないため」の「安全保障」ではないかと思うのですが。「主として」と「大部分が」の違いも少し気になる。
 この件に関しては、以下のサイトのテキストが参考になると思います。というか、参考にしました。
◆ 美しい壺日記 ◆ マッカーサーは大東亜戦争を自衛戦争とは言ってない

◯戦争の動機(目的)が仮に自衛だったとしても、戦争の内容が侵略だったら意味がない、あのナチスでさえ防衛戦争と言っている
◯この証言は大東亜戦争についての証言ではなく、日米開戦のみを語っている
◯そもそもこの証言は、当時の大統領トルーマン朝鮮戦争の戦略で意見の分かれ解任されたマッカーサーが帰国後に3日間にも及ぶ膨大な量の証言の中での、まったく重要でないごく一部にしかすぎない
◯この証言の前後を読むと、ようは中国の赤化を恐れ、空爆を主張し解任されたマッカーサーが、中国海上封鎖戦略についての質問の中で、いかに自分の戦略が正しかったを対日本戦略を例に出し話しているだけである
◯証言の後半では、「日本は、準備して急襲した利点を生かして」と語っているのだから“security”を「安全保障」や「自衛」と訳すのは間違いである
南京大虐殺を否定する輩によるプロパガンダの手法と同じで、都合のいい一部の文を抜き出し、誤訳、歪曲しているだけである

(太字は引用者=ぼく)