秦郁彦と林博史がなんで仲悪いのか少しわかったよ

 今日はこんな本を読みました。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実

沖縄戦「集団自決」の謎と真実

沖縄ノート』という著作に、沖縄で米軍との戦闘が行なわれた際に起こった、一般民衆の集団自決は、軍の命令によるものであったと記した作家・大江健三郎と、その版元である岩波書店を被告として、目下、裁判が進行中の「沖縄集団自決問題」。苛烈な戦場となった沖縄で、日本軍と民衆のあいだにあった事実とは? 本書は、軍命令の有無をめぐり、戦史の深層に分け入るとともに、
多くの証言と調査から「沖縄戦の事実」を掘り起こそうとする、貴重な論考集である。論考を寄せる顔ぶれは、秦郁彦、原剛、宮平秀幸藤岡信勝曽野綾子江崎孝笹幸恵。「沖縄戦」の真の姿を考える上で、欠くことのできない一冊である。

 また曽野綾子氏と笹幸恵氏が面白いことを言っていないかと思って読んでみましたが、曽野綾子さんはどうやら大江健三郎さんが「罪の巨魁(巨塊)」と言っていた、と言うことはやめてしまった様子(参考リンク→人が書いてもいないことを書いたと書く(言う)のはカンニンしてください、曽野綾子さん(罪の巨塊))。
 複数の人のテキストが掲載されているんですが、特にぼくの興味を惹いたものは、林博史氏の過去テキストを分析している秦郁彦氏のテキストで、ちょっと罵倒すれすれの感のものがあって面白かった。
 で、この二人は過去にこのようなことがあったのですね。p283-285

 ところで集団自決論争をめぐる彼(引用者注:林博史氏)の言動と対応の手法を眺めて、私は改めて「三つ児の魂、百まで」とか「同じ癖が出たな」との感慨に打たれた。ついでなので、具体例を二つばかり挙げてみよう。
 第一は1986年9月、林が処女作の『近代日本国家の労働者統合』(青木書店)を刊行した直後に、引き起こした「無断利用」事件である。
(中略)
 もうひとつの例は、私とも多少の関わりがあった。1992年に起きた「日本新聞史上では前代未聞の謝罪公告事件」である。
 彼は高島伸欣(現琉球大学名誉教授)と組んで、『中国新聞』の連載記事(郷士師団のマレー戦記)を「日本軍弁明史観」と烙印し、改ざんや誤記が多いとねじこんで謝罪させ、執筆した編集委員(御田重宝)を退職へ追いこんだ。御田の友人だった私が林の『マラヤの日本軍』(1989)のほうが誤記の密度が高いと論評したことをめぐって展開した不毛の「論争」経過は、すでに小著の『昭和史の謎を追う』に詳述したので省略したい。
 閉口したのは、論争の途中で林→御田の手紙のコピーを御田にもらって引用したのを根に持った林・高島の両人が、数年に一度の頻度で「私信を無断で使ったのはけしからん」と、あちこちに書き散らしたことであった。論争はフェア・プレーではなく、手段を選ばずにやるというのが林流の「歴史観」らしいと見受ける。

 ぼくの私感では「論争」を「手段を選ばずにや」ってしまったのは秦さんのようにも思えますが、これでまた興味を持った(読んでみたいと思った)テキストが増えてしまったよ。
 とりあえず、これですか。

昭和史の謎を追う 上 (文春文庫)

昭和史の謎を追う 上 (文春文庫)

昭和史の謎を追う 下 (文春文庫)

昭和史の謎を追う 下 (文春文庫)