アニメの「感想」に「次週の予想」テキストを入れるのはやめて欲しい(ぼくの中では、な)
これは以下の日記の続きです。
→アニメの感想を放映中から書きまくっている人というのはいかがなものか
読み返してみると、少し言葉が足りなかったかな、と思った。
ちょっと堪忍して欲しい、と思ったのは「話の展開を予想するようなテキスト」で、要するに「来週は○○が××しそうな予感」みたいな奴。ライブで「今週の○○はよかった」「萌え〜」と言っているようなのは、違和感を感じることはあっても抵抗感があるわけではない。テキストとしての価値が、「来週」の「自分」までにしか意味のないようなものを書くのは、書く側にも読む側にも時間の無駄に思える、ということですね。
1・ネット内のテキストは「自分」だけが読むものではない。というよりほとんど「人(他人)に読まれる」ことを大前提に普通は書くだろう(そうでない場合は、パソコン内やリアル手帳日記に書くと思う)。
2・同じく、そのテキストは「書かれた時点とほぼ同時期」に読まれるわけではない。ぼくの日記を検索で来る人は、とんでもない昔の日記を、google検索で来る人がそれなりの数いるため、そういう人をどこまで排斥しないで、というか、がっかりさせないで読んでもらえるか、少し考えて書くようにしています。時事ネタに関する速報性は、ほとんど乏しい(どんどん乏しくなっている)のもそういう辺りが原因・結果です。一般的に日記(ブログ)の過去テキストは読まれない、ということは、ぼくの日記に関してはあり得ないので、多分他の人の日記(ブログ)テキストもそんな気がする。
3・ネットテキストは新聞や雑誌と異なり、時事性(ライブ感のあるもの)を追ったり、書いたりしなくても全然問題はない。去年出た本あるいはさらに昔のものであっても、感想テキストが面白ければそれを読む人間の数はそれなりに存在する。
4・アニメに限らず一般化して言えることかも知れないけれど、ネットの話題は時事性を重視しすぎに見える。これは、「世界」の認識方法の変化もあるのだろうか。いわゆる「古典」原理主義*1、「名作」と言われているものも、新刊(擬似新刊、要するに復刊・新訳)という形のものでないと読まれなかったり、読んだ感想が見られなかったり。
5・ぼくがネットの中で求めている情報は「知っている人は少ないだろうけど、これ、けっこう悪くないよ」的なものなので、アニメのジャンルでそのようなものを見つけ、他の人がどう言っているか検索する(人の意見も見てみる)際に、過去の日記(ブログ)テキストで「来週は○○が××しそうな予感」的テキストを拾ったときのがっかり感ときたら、それはもう。