山本弘氏の煽り見出しがひどすぎて萎えるので、鹿野司氏のホメオパシーに関する元テキスト拾ってみた

 こちらのテキストから。
山本弘のSF秘密基地BLOG:鹿野司氏がホメオパシーを擁護
 鹿野司氏のSFマガジンにおけるホメオパシー言及テキストを確認。俺的に要約すると「サンタと同じで、信じたい人の自由」。問題は信じている人が死者を生んでいることで。サンタだって、信じない人でもサンタクロース強盗(って、本当にいるのか?)の被害者いるみたいだからな…。
 しかし、山本弘氏の「擁護」という見出しも煽りすぎだろ。冷静に、鹿野司氏の事実誤認と思われるものを指摘していくだけでいいのに。これでは「鹿野司氏はホメオパシーの擁護者」という、間違ったフレーズが一人歩きしそうだな。
山本弘のSF秘密基地BLOG:鹿野司氏がホメオパシーを擁護

いや、ストレートに「ホメオパシーは正しい」と言ってはいないんだけど、そんなもん信じたってたいした害はないし、信じるのは個人の自由だ、みたいな論法なんである。

 「ストレートに「ホメオパシーは正しい」と言ってはいないんだけど」それ「擁護」と違う。俺に許容出来る表現は「鹿野司氏がホメオパシーについていくつか間違ったことを言っている」。「擁護」じゃ、どこのタブロイド紙と思う。
 たとえば、「日本への原爆投下は正しかった」というのが「原爆投下擁護説」。「日本への原爆投下にもいろいろな考えがある」というのは「擁護」ではない。
山本弘のSF秘密基地BLOG:鹿野司氏がホメオパシーを擁護

 ちょっと待った。「ビタミンK投与をしないケースが一%」というのは、どういう根拠で言っているのか。
(中略)
 どうもホメオパシーを信じる助産師や赤ん坊にビタミンKを投与しない助産院は、けっこう多いらしいのだ。そのパーセンテージは不明であるが、仮に20%だとしたら、毎年1回、死亡事例が発生することになってしまうのだが。

 ここのところは超論理展開すぎてついていけない。「仮に」の幅が1%〜20%では、何かを根拠にして話すのは無理。
 以下のところも参考に。
Togetter - 「鹿野司氏とTAKESANのやり取り」
Twitter / しかのつかさ: @ublftbo 誰かが誰かに対して「それ自明」って ...

@ublftbo 誰かが誰かに対して「それ自明」って言ったら、それは確実に上から目線でしょ。それは言われた人はイヤな感じするだけで、悔い改めたりしないわけです。

ホメオパシーの有効な利用法 - NATROMの日記
 まぁあれこれありますが、とりあえずSFマガジン2010年9月号の、鹿野司氏のテキストを引用してみます。10月号の分はまだ書店に並んでいるので(2010年8月29日現在)、各人はそれで確認してみてください。

ニセ科学
 
 つい先日、山口市で、生後二ヵ月の赤ちゃんが死亡したのは、出生後投与が常識のビタミンKが与えられなかったためだとして、母親が助産師に損害賠償請求訴訟を起こしたってニュースがあったよね。この助産師はホメオパスでやんすの人で、ビタミンKの代わりにレメディを与え、母子手帳にはビタミンK投与の記録をしていたみたいで、ニセ科学による害の典型例として、ネット界隈ではかなり話題になっている。
 母乳で育てられ、かつビタミンKが投与されなかった子は、二千人に一人の割合でビタミンK欠乏症になり、ほとんどの場合死亡する。粉ミルク育児の場合は、粉ミルクにビタミンKが添加されているので、発症確率は減るけど、それでも全世帯数に対して四千分の一で欠乏症は起きる。
 そのため、標準医療では一九八〇年代半ばから、乳児には、出産直後、生後一週間、生後一ヵ月の三回、ビタミンKのシロップが与えられるようになった。これによってビタミンK欠乏症出欠が防げるというエビデンスも九〇年代には確立して、現代の助産師ならこのことを百%知っているはず。
 現在の日本の乳児死亡率は、千出産に対して二・九くらい。まあ三未満。
 この数字には、超早産とか、重度の障害を持って生まれてきた子も含まれている。そう思うと、現代日本の医学ってホントに凄いものだねって思うよね。
 この状況下、つまり二千出産に対して六しか死なない現状で、二千に対して一死ぬような行為は、赦されるかというと、これはまあダメでしょう
 ただし、助産師のもとで出産育児を行う人で、その助産師がホメオパスでやんすの人で、さらにその助産師がビタミンKは与えずレメディだけ与えて、母子手帳にビタミンKを与えたと記載する……ということまで考えると、こういうことが起きる確率はそーとー低いと思われる
 今、年間の出生数は百十万ほどで、そのうち助産院を利用する人は一%くらい。その助産院がホメオパシーを信じて、同じようにビタミンK投与をしないケースが一%あるとしても、二十年に一回しか起きないようなできごとなわけね。
 そういう意味では、ホメオパスでやんすの人たちにとって、この死亡事例はまことに確率的に不幸なできごとだった。
 少し視点を変えるけど、きくちさんは、ホメオパシーのレメディに薬効がないのは自明ツイッターでつぶやいていた。
 でも、そりゃあどうかなあ。薬効がないのが自明なら、誰もそれを望まないよね。言いたい意味はわかるけど、自明という表現を使ってしまうと、それは「知恵のあるものが愚かなものを見下す」ニュアンスを強く漂わせる。同じ問題意識を共有する仲間内なら、こういう表現でもそうだよねそうだよねってみんな思うけど、身近にホメオパシーに傾倒している人がいたとして、その人に向かってこういう物言いをしたら、反発されるだけで、まったく受け入れてもらえないだろう
 ホメオパスでやんすの人がいう、レメディの効果の原理はこんなかんじ。
 標準療法の薬は利くかも知れないけれど、そのぶん自然治癒力を弱めてしまう。でも、薬を薄めてやれば、それを補うように自然治癒力が活発になるはず。で、薬をうんと薄めたもの=レメディを飲むことで、自然治癒力を最大限に引き出すことができるわけですよお客さん。
 おお〜。なるほど〜。それなら利きそうだよね(・∀・)
 この説明原理を、笑止って思う人は多いかも知れない。
 けれど、それと同じように、漢方の説明原理を笑えるだろうか。漢方の世界では、物理的には存在しない「経絡」を前提に「証」をみることで、それぞれの人の個性に合わせた薬を処方する。
 でも、その説明原理の体系は、結局は非現実だ。中つ国の設定が如何にリアルであっても、それはやっぱりファンタジィであるのと同じで、漢方医学の説明原理も、ファンタジィなんだよね。
 ホメオパシーについては、オレもそう深掘りしたいとも思わないけれど、欧米では古くからある伝統医療だから、やっぱり漢方医学に匹敵する複雑で深淵っぽい説明原理の体系はあるのだろう。
 こういう説明原理は、何か特別なものを求めている人の心にはフィットする。
 実際、ホメオパシーにはまる人って、ある程度お金持ち(レメディ高いからね)で、教養レベルも決して低くない人が多いんでないかと思う。ロハスとかそんなかんじだしな。
 b訪印での標準療法ではなく、助産院での出産や、助産師の介助のもと自宅出産したいと望む人はそれなりにいて、これがまた、酷いことになってしまうという話もちらほら耳にする。そういう話を聞くと、心が痛むよね。
 ただ、標準療法を選ばないということだけをとって、愚かだとか、いい加減で無責任な人とかいう決めつけはできないと思うのね。むしろ、今回のできごとみたいなのは、助産婦側も彼女の思う最善のサービスを提供しようと信じた結果こうなったんだろうし、お母さんもたぶん、お子さんが亡くなるまでは、良い体験をしていると感じていたんじゃないかな
 標準のプログラムを選ばず、違うことをためそうという人は、やっぱ何か特別な体験を望んでいるのだろう。
 標準医療には、出口をぱっちんってはさみで切っちゃうとか(切らないと裂けてかえって酷いことになりがちだから)なんかイヤンな感じのこともある。それに、産婦人科医も数が少ないので、必要最小限のことはやるにしても、いろいろ不満を感じることがあるはず。病院ってのは、基本的にそうで、これやって、はい次これやってみたいな、こちらの人間性が若干無視されるような局面が生じやすい。
 ただ、極めて確率の低い問題が起きても、簡単には死に直結させないようなケアは行われる。
 いっぽう、標準的でないプログラムには、不安を感じた時すぐそばで受け止めてくれたり、出産のすべてのプロセスを味わい深く体験させてくれたりというような配慮は行われるのだろう。そのいっぽうで、低い確率でしか起きないけれど、深刻な事態への対処能力は低い。
 人の心は弱いものなので、こういう特別さを求めがちであり、それは懐疑論者だってそうなんだよね。たとえば、いちはやくiPadを手に入れて見せびらかしたい気持ちと、水中出産とか特別な秘技のもとに我が子を産みたい気持ちは、本質的には同じものだ。汝ら、罪無き者から石を投げよ。
 特別な体験には、特有のベネフィットがあるのだから、それを安易に否定することはできない。ただ、それにはリスクがともなうことがある。だから、もし知り合いが何か特別なことを試みようとしていたとして、それによって被るかもしれない、既知のリスクを知っているかどうかは訊いてみることはできる。でも、そこから先に踏み出すのは、ちょっと余計なお世話なのかもしれないなあ。

 鹿野氏がどこをどう間違っていた(いたと思う)のかは、以下のサイトのテキストをご覧ください。
山本弘のSF秘密基地BLOG:鹿野司氏がホメオパシーを擁護
 
 面倒なので、「プロフィール」の「用語集」に「擁護」を追加しました。
「擁護」という語の定義に関するご意見は、コメントでは受け付けますが、うまく対応できないと思います、すみません。
 言わずもがなのことですが、このテキストは鹿野司氏を擁護するものではありません。