諸般の事情で、Twitterからは距離を置くことにします。あと娑婆の話

諸般の事情で、Twitterからは距離を置くことにします。
もう少し具体的に言うと「俺にはTwitter向いてないかも…」ということで。
さらに具体的には、以下のツイートと、それに対するブックマーク。
http://twitter.com/kamekoo18/status/24404862707

日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。迷惑かけずに生きられるわけない。

 こんな、情報源不明のネタテキストに、みんな真面目にコメントしすぎ。若干の賢者もおりますが。
はてなブックマーク - Twitter / kazu: 日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが ...

u-chan ネタ, asia 「インディアン、ウソつかない位」眉唾っぽい

俺が知っているインド人はそんなこと教えてない*1
多分アメリカでは「アメリカ人は○○と教えているが、日本人は××と教えてる」という伝聞情報がツイートされてるんだろうな。日本人が教えてもいないことを
とりあえず、はてなブックマーカーの賢者によって、いくつか元ネタらしきものを知ることはできましたが。
人に迷惑をかけているのだから他人も許してあげなさい|きらきらママ製造所☆ゆっき〜の食べてキレイ♪

日本では「人に迷惑をかけたらいけません」って教えるけど、インド人は子どもに「お前は人に迷惑をかけて生きているんだから人のことも許してやりなさい」って教えるんだって。
 
だから「迷惑かけたらあかんって悩む必要ないし他人に迷惑かけられても許してねって考え好きやわぁ」
 
と友人が言うので私もそれ共感できるわ
 
っていうとすっごく喜んでくれました

2010年5月19日。
インド人種見解

周囲の迷惑なんて気にしなくていい。迷惑をかけるのは当たり前なのだから。迷惑をかけずになんて生きられるはずが無い。
確かに、人に迷惑をかけるかわりに、自分がやられる立場になったらそれを受け入れている場面を数多く目撃した。

2008年12月。
他人に迷惑をかけている - ユースネット湘南の仲間達

先日読んだ本にこんなことが書かれていました。
日本の家庭ではよく子供に「他人に迷惑をかけてはいけません」と話すそうです。
しかし、インドでは子供に「あなたは他人に迷惑をかけているんだよ」と話すそうです。それは、自分は他人に迷惑をかけているんだから、他人から迷惑をかけられても赦して(ゆるして)あげなさいということらしいです。

2007年4月21日
「読んだ本」が何なのかものすごく知りたい。
 最新情報だと、これが出所説。確認しよう。
般若波羅蜜多心経岩波文庫 中村元 紀野一義 訳註より)

サンスクリット語では、此岸を"サハー"、彼岸を"パーラム"と言います。

漢訳仏典では、"サハー"を「忍土」と訳しています。わたしたちが住んでいる現実世界がサハーですが、ここはいわば満員電車の中のような世界です。全員は座れません。立たねばならない人も大勢います。座っている人も、心理的圧迫を受けます。また、肌と肌が触れ合ったり、女性の長髪が隣の人の顔にかかったり、足を踏まれたり、いろいろと迷惑を受けます。そうした迷惑を、わたしたちは耐え忍んで生きねばなりません。"サハー"は「耐え忍ぶ」といった意味であり、それで「忍土」と訳されるのです。

 忍土=サハー=娑婆。

あるときわたしはインド人と話していて、
「日本では真の宗教教育が行われていない。それで日本の教育はおかしくなっている」
と言いました。するとインド人は、当然のことに、「じゃあ日本では、どんな教育をやっているんだ?」と訊いてきます。そこでわたしは、
「日本では、親は子に、学校の先生は子どもたちに、
"他人に迷惑をかけるな!"
と教えている。こんな教育はおかしいだろう・・・・・・」 
と答えました。それでインド人は、わたしの言わんとすることを納得してくれました。だが、横にいた日本人には通じません。当然ではないか!?そう教えて、なぜいけないのか!?日本人はそうわたしに尋ねました。
だから、わたしは、それじゃあインドでは、こどもたちがどう教わっているか、インド人に聞きなさいと応じました。インド人はニコニコしながら、
「わたしたちは子どもたちに、"あなたは他人に迷惑をかけているのですよ"と教えています」 
と答えてくれました。わたしに言わせるなら、これが本当の宗教教育なんです。
わたしたちは他人に迷惑をかけているのです。
(中略)
インド人は、わたしたちは他人に迷惑をかけずには生きられない存在だ。わたしたちは自分がかける迷惑を赦されている。だから、わたしたちは他人の迷惑を赦さねばならない。
互いに赦し合い、迷惑をじっと耐え忍びつついきるのだ。それがこの娑婆の生き方だ。

 原文読むと奥深いよ! 140字じゃとても足りない。(2010年9月16日追記。今思案中…→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100916/indo

≪観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。≫
(観自在菩薩は般若波羅蜜(ほとけの智慧の完成)を実践されて、すべてが「空」だとわかり、あらゆる苦しみを克服されました)
観自在菩薩は奴隷であることをやめて、自由人になった菩薩です。彼がどうして自由人になれたかというと、出家したからではありません。在家のままでいたのですが、般若波羅蜜を実践したからです。その般若波羅蜜の実践によって、「すべてが"空"である」と悟ることができ、それでいっさいの苦しみを克服されました。だから、わたしたちも観自在菩薩にならって般若波羅蜜を実践し、すべてが、「空」だと認識し、苦しみを克服すべきです。

 俺個人としては、このテキストから「あなたは他人に迷惑をかけているのですよ」に飛ぶ解釈も少し捻りすぎな気もしますが。
 そんなわけで、出所に言及しているのは、はてなブックマークの人にはいるけど、Twitterではちょっと見当たらなかった。にもかかわらずリツイートの多いのに軽く絶望した。なんかもう、訓練された情報弱者向けツールとしか思えなくなってしまう。
 東京水没も、小沢優勢も、普通はそんなに信じないだろ
 とはいえ、俺ぐらい疑り深い人間はネットにはそんなにいない自信はある。
 ぼくが自分の目で確認できなくても存在が信じられるものは自分の尻の穴だけです。(←極論)
 あと、今のTwitterユーザー対象にテキスト作ってたら、絶対そのうちに俺がひどい誤情報を流す可能性が高い(今でも際どい誤情報は流しぎみ)。
 
(追記)
 以下の部分を見逃してました。痛恨。
般若波羅蜜多心経

ひろさちやさんの著書「こだわりを捨てる」(般若心経)からの抜粋です。

 岩波文庫ではなくて、『こだわりを捨てる―般若心経』(中公文庫)のほうを探して読めばいいのか。
 
(2010年9月16日追記)
これは以下の日記に続きます。
なぜ「インドでは、「○○」と教えるそう」というテキストがダメに感じるか

*1:脳内インド人です、すみません。でもまぁ、実在インド人でも、住んでる地域や所属するカーストによっていろいろだと思うよ