「ブログ・ルポ」という新しいネット・サービスについて

面白そうなので参加してみたよ。
ブログルポ〜記事単位で人気ブログをランキング〜
説明は、以下のところなど。
ブログルポって何?
ランキングが上がったりすると原稿料がもらえるらしいけど、よくわからない。
何かについて宣伝したいところ(映画とか)と、宣伝するというより「それについて話をする」という形で参加したい人たちのニーズを考えた、うまいシステムだと思いました。
本のコーナーなんかを見ると、意外にもシブ目の本が多くて驚いた。
おすすめの本の感想記事一覧 byブログルポ
なんか、こんな感じなので、一応紹介をしてみます。
投稿記事数を増やすには

あなたのブログに「ブログ・ルポのTOPページ」へのリンクを貼り、紹介をして下さい。
あなたのブログ経由でルポを訪れた人がユーザー登録すれば、あなたが紹介したことになります。
 
リンクは、テキストリンクでも、バナーリンクのどちらでもかまいません。
 
紹介者数が1人増えるごとに、登録可能記事数が1記事増えていきます。

「ボツ」になっているはずの新聞記事が全部読みたい

今の新聞記事のありかたを問題にして、俺は以前以下のようなことを述べましたが、
新聞や既成のマスコミが、インターネット・ブログ文化に対抗する3つの方法
そこで俺は以下の方法を挙げました。

1・ネット上の記事テキストは「過去ログ」として、他からの言及(リンク)に耐える形で半永久保存しておく。
2・ネット上の記事テキストで語られているものについて、「公式」にネットで公開されているもの(元データ)は、記事中に元データへのリンクを貼っておく。
3・記事を書いた人間の記者名を明記する。

ここでさらにもう一つの方法を挙げてみます。

4・自社の中にいる「新聞記者」が書いた記事は、一応ウラを確認して全部ネットに掲載する(ボツ記事というものを存在しないようにする)。

もちろん、根も葉もない「伝聞情報」を、新聞社が自分のサイトで「これは○○という記者が書いたものなので、弊社とは関係ないです」という言い訳つきで載せるのはまずいでしょうが、新聞記者・ジャーナリストとしてある程度の訓練を受け、それなりに取材して書いた記事でも、「スペースの問題」でボツにする、ということは今までの新聞では多かったと思います。
心配いりません、インターネットの中には、ものすごくたくさんのスペースがあります
新聞のサイトの人は、インターネットの「メディアとしての特質」を全然知らないか、あるいは無視しているんじゃなかろうか、と思えるのは、その特質を利用しているように思えないからで、これだったらマスコミがインターネットに負けてもしかたないですね。
新聞社はインターネットの自社サイトに、新聞に掲載された、あるいは掲載を前提としたすべてのテキスト(記事)を置き、過去に書かれた記事を全部アーカイブとして置き、言及されている固有名詞・元ソースのすべてにリンクを貼るのです。そうすることでようやく多分「インターネットは新聞を殺さない」ものだ、ということがわかると思います。
しかし、そういうことをしないと、殺されはしませんが死にます
新聞やテレビは、見せたいものを選択して(編集して)読者・視聴者に見せるものではなく、読者に選択させるための情報を提供するメディアになるわけです。
で、読者に「何が面白かったか」ということを、記事や番組の内容で選ばせる(投票させる)という方法もあります。記者の報酬は得票数の多さを参考にする、と。
つまらない記事とか、ありふれた主張だけのテキストは駆逐されて、より「読者の望んでいる記事」および「その記事を書く記者」が生き延びるのです。
ちなみにこれは、「Web2.0」以前の技術です。
 

「○○さんに全面的に同意」と言っている人が、「まったく同意できません」と言われると「いくらなんでも言い過ぎだろう」と言う不思議

こんなテキストから。
「中立」にどれほど価値があるのか、「バランス感覚」がどれほど貴いものか。(作文書いたんだけど、これじゃ先生に叱られるかな)

kmizusawaさんに全面的に同意。あらゆる態度・ふるまいは政治的であって、「絶対的な中立性」なんてのはあるはずない(あるのは相対的or見かけ上の中立性)。付け加えれば、「天皇に戦争責任を求める(左派的)」ことも政治的だし、「あの大戦は仕方なかった(右派的)」てのも政治的。さらに「そんな大昔のことなんて興味ない(無関心)」てのも、現状を変える気が一切ないという意見の表明だから政治的だし、「どの意見にも一理あるからどれも尊重すべきだよ(多様性礼賛)」てゆうのも、あらゆる可能性の中からひとつを選択しませんよっていう意見の表明だから(つまり事なかれ主義的だから)政治的だよなぁ。。。

(太字は引用者)
そのテキストに関しては、俺のほうでは以下のところで否定したわけですが、
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060415#p2
それに対してこんな反論が。
「まったく同意できません」はいくらなんでも言い過ぎだろう。(作文書いたんだけど、これじゃ先生に叱られるかな)

「まったく同意できません」じゃなく、「同意できない部分があります」の方が適切ではないかな(以下強調部分参照)。あ、あれか、「迷いもなくバシッと言う」レトリックか。みのもんた・レトリックか。細木レトリックか。

いやまぁ、俺は基本的には「同意できない部分があります」的なことを言う人間なんですが、何かを全面的に肯定している人は、全面的に否定される覚悟は当然持っているだろうと思って、そんな表現をしてしまいました。
こういう文章のレトリック・叙述方法は、俺の本意ではないので(多分こういうことから人間同士の戦争というのははじまりそうな気がします)、今後id:terracaoさんが、何かに対して「全面的に同意」と言う際には、「全面的に同意しない」という意見が出てくることを少し心の中で意識する(そういうテキストが出てきても「言い過ぎだろう」なんて言わない)、みたいなことを表明していただいたら、元テキストは「あんまり同意できません」という表現に改めようと思います。
しかし、「あらゆる態度・ふるまいは政治的」というのはどうかなぁ。たとえば野球の解説で「このバッターは右へ飛ばす癖があるので、外野はもう少し右翼寄りに守備をシフトしたほうがいいですね」と言ったりする野球解説者の発言は、政治用語に使われている言葉が出て来てたとしても「政治的」じゃないでしょう。世の中のたいていの態度・ふるまいは非政治的です。その論法だと、「あらゆる態度・ふるまいは野球的」と、野球好きの人は言うことができるし。「俺、野球に興味ないんだよな」という発言も野球的。
 
(追記)
その後、こういうリアクションがありました。
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20060415/1145109876
あまり言うことが思いつかないので、リンクのみです(そのうち思いつくかもしれません)。