(2)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(2003年9月5日)

しかしネットでいくら検索しても、具体的な史料・資料を明記してあるサイトはなかなか出てこないですな。中にはこんなのがあったりして。
http://www.kya-k.com/kawasaki/kawasaki.htm


 当時、日本にいた同胞の総数は8〜9万人。うち東京に1万2000〜3000人、神奈川には約3000人いたと言われる。全体で6000人、そして神奈川で4000人という犠牲者の数がどれだけ大きいかは一目瞭然だろう。
ていうか、住んでる人以上の犠牲者(虐殺の被害者)を出すのは、はっきり言って無理。日本人にはよくわからないギャグか何かですか。
↓日本、韓国、の歴史問題について
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/01/12/gmain.html

地震が発生した時、日本当局が、「朝鮮人が暴動を起こし、日本人を殺している」よいう流言蜚語をまき散らしたため、6000名が虐殺される大惨事を経験した。〜(韓国教科書)。

*全世界が注目、救援の手を差しのばしてくれた中、一部新聞報道により混乱、第一師団、近衛師団、海軍、が出動警備したが自警団に拠る殺人事件は275件有り、767名の犯人は裁判で裁かれている。

*「韓国教科書」の6000名、という根拠分からないが、プロパガンダ紙で上海に居た、(金 健氏、関学出身)が3680名虐殺されたと記事にしている。 (独立新聞、李相協氏、調査)慰問班の、朱栄幹氏と一週間の調査で6661名〜6268名と発表。

  (独立グループ)が虐殺2861名、警察による殺人577名、騎兵隊による殺人3100名、未確認殺人3249名と分からないものが多い。

*各県、近衛、第一師団、警察資料多数有り、6000名は地震でなくなつた人全体の事で無いか?。

どうもこの、金健という人が作ったプロパガンダ紙と、独立新聞・李相協という人がキーワードのようです。「6000名は地震でなくなつた人全体の事で無いか?」というのが説得力がありそうです。
↓このサイトではこんなことが
http://mickeysa.hp.infoseek.co.jp/nagai/nagaipa/nagaipa01/nagaipa01.html

 1923年9月1日、関東大震災の際、恐怖と不安におののいている人々は朝鮮人による放火や井戸への毒物投入の流言を広めた。この流言は警察の連絡網を通じて全国に流され、9月3日には軍の通信機関−海軍省船橋送信所を経由して、各地方長官に朝鮮人暴動が真実であるかのように伝達された。そして放火・毒物投入・掠奪を信じた日本人によって、多くの朝鮮人が虐殺された。殺害された朝鮮人の総数について政府は公式の発表をしていない(総督府の発表では832人、「金承学調査書」では6,415人)。
とりあえず、「金承学」と「金健」という名前でヒットする史料・資料に意味がありそうですが…。
↓さらに、「ハングル板きほん用語解説」から
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/9959/2ch/word.html#関東大震災朝鮮人

関東大震災朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだなどのデマが広まり6、7千人の朝鮮人が虐殺されたとされていますが…
【死者数】 『 死者数の調査は当然さまざまな調査で食い違いが見られるのだが、死者数は当時の
内務省調査で400−600人
・新聞記事の総数で1400人
震災の数年後やってきた
朝鮮人の調査で6400人
それでこの6000人って数字だけが一人歩きしているのさ。どこを見てもわかるのだが軍隊、警察は朝鮮人を保護する方向で働いている。デマを作った(?)のは新聞。朝鮮人を殺したのは民間の自警団。ただし震災に乗じて不穏な活動をしていた朝鮮人がいたのも事実ワシは自業自得だと思うがのお。あ、ここで書いた死者数ってのは虐殺された朝鮮人ね、震災死は入っているかどうか知らんけどねあと、当時、関東にいた朝鮮人は2万人程度だって左翼本ですら書いているよ。2万のうち6000人殺されたらどうなるよ? 』『奇っ怪な事に、関東大震災の時に虐待を目撃したのは、在日コリアだけなのですよ。当時、日本人も、在日台湾人も、中国からの留学生たちも、目撃しておらぬのですよ。(しかも、証言者する在日コリアは,仮名を使用している)当時の警察関係者の話によれば、「混乱を恐れ、我々が真っ先に朝鮮人を保護したのだから、そんな馬鹿な事がある筈がない」との事。まあ、戦前も戦後同様、不良朝鮮人犯罪が横行し、朝鮮人に対する評判が極めて悪かった事は事実ですがね。韓国には「恨(ハン)」と呼ばれる気質がありましてな。彼らは、例え自分側に原因があろうと、受けた恨みは永遠に語り継ぐと言う伝統がござる。無論、その恨みを語り継ぐには、誇張や湾曲や虚実を混ぜる事も必要となる訳で。』
姜徳相滋賀県立大学教授)】 『「関東大震災」(1975.11 中公新書)。この本の著者・姜徳相滋賀県立大学教授)は、関東大震災に関するコリアンの「最高権威」視されている姜徳相でありまして、この者が「軍隊・警察が朝鮮人を大虐殺した」とデマ工作を働いて来た中心人物だと言っても間違いありません。』『姜徳相は、歴史の改竄・歪曲・捏造の第一人者です。「関東大震災」は、その典型といったところで、原資料の歪曲、摩り替え、改竄のオンパレードですね。他でも、姜は「事実この時期(関東大震災時)の治安責任者だった水野練太郎(注、内相)、赤池濃(警視総監)、石光真臣(第一師団長)のトリオはすべて3.1独立運動(大正8年)の時に朝鮮で鎮圧に当たった現場の指揮官である」(関東大震災七〇周年記念行事実行委員会編「この歴史永遠に忘れず」p143)と言っていますがこれは実は大嘘。まず、前記の3.1暴動ですが発生したのは大正8年3〜4月でした。一方、震災当時の水野内相ですが、彼が朝鮮総督府政務総監に起用されたのは、事態が鎮定された後の9月です。就任当日、斉藤新総督と共に爆弾テロに襲われた水野総監ですが、にも関らずハングル新聞の発行や結社の自由を認める等、政治的自由の拡大を断行した人物でした。』『姜は、他でも資料集(姜徳相・琴秉洞編「関東大震災朝鮮人」1963・みすず書房)でも、水野内相談話を改竄しております。一体誰が、こんなデマ屋に滋賀県立教授なんて地位をくれてやったのでしょうか?姜を知る、ある拉致問題の専門家は、呆れ顔で「お話にならない」という風にだけ評していました。』(全てコピペ)
ここでまた「姜徳相」という興味深い人名のキーワードが出てきました。