「スタージョンの法則」の続き

↓以下のところにあるテキストを、試訳。試訳というのは誤訳がありそうだからです。
http://glinda.lrsm.upenn.edu/~weeks/misc/slaw.html


(これは「The Ultimate Egoist(シオドア・スタージョン全作品第一巻)」にジェイムズ・ガンの評として添付されたもので、オリジナルは「The New York Review of Science Fiction」85号(1995年9月)に載せられました。著者の許諾によりここに再掲しました)

スタージョンの法則が最初に語られたのは、フィラデルフィアの世界SF大会の一つの講座で、だった(大会は1953年のレイバー・デイ週末におこなわれた)。ぼくの二度目の大会出席で、記憶にも新鮮に残っている。一昨年のシカゴでは会ったことのないほどの沢山の作家や編集者がいて、そこでぼくはこんな人たちに会った。ランドル・ギャレット、ボブ・シェクリィ、ボブ・シルバーバーグ、ハーラン・エリスン、フィリップ・ホゼ・ファーマー、テッド・コグスウェル(彼はバイクで来た)。若いクソガキばかりの中に、年輩者としてはアイザック・アシモフ、L.スプレイグ・ド・キャンプ、ウィリイ・レイ(彼はシカゴで一度だけ見たことがあった)、その他。忘れたり見落としたりした人もいただろう。そしてテッド・スタージョンは、12弦のギターを持ってきていて、一度「奇妙な果実」を歌った。

スタージョンの法則」として知られることになるそれは、もちろんまだその時点では、テッドによる一つのスピーチの、一つのセンテンスだった。大会は全員で750人ほどのメンバーで、プログラムを分ける必要もなかった。テッドの発言を普通に要約すると、SFはその最もよいものよりもむしろ最も悪いものによって評価されている唯一のジャンルである、ということだ。「ミステリーの話をするときには人は」、記憶によると彼はこう語った、「『マルタの鷹』や『大いなる眠り』を挙げる。ウェスタン小説なら『西部への道』や『シェーン』だ。ところがSFのときには「あのバック・ロジャーズみたいなもん」と言い、「SFの90%はクズだ」と言う。ごもっとも。SFの90%はクズだ。何でも90%はクズだが、クズでない10%が重要なのだ。そしてクズでない10%のSFが、他のどこで書かれたどんなものとも同じぐらいいいものであるか、それらより優れている」

cJames Gunn 1995

おやおや。
↓さっそく俺の以下の記述が反故に。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030510#p6
↓それだったらむしろこちらの説のほうが近いですね。
http://d.hatena.ne.jp/nauboo/20030509#1052432369

当時のSFの置かれていた環境をもう少し考察してみなければいけないのか。今のヤングアダルト・イラスト入り小説よりもっと、小説としては下に置かれていたとか。というより「SFの90%はクズだ」というのが、スタージョン自身が言った言葉ではなく、当時一般的にSFファン中心に言われていた言葉だったんですね。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というテキストに続く最後の4文字、「と云へり」を省略して、「福沢諭吉はこう言ってます」みたいに語るようなもんでしょうか(言ったのは彼ではなくて彼と同時代の人々が言っている、と、言っただけ)。