河谷史夫

現在朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」を担当している人なんですが、昔の俺のテキストを見てみたら、こんなのがあったので、「河谷史夫」で検索して来る人の参考のために再掲載。今はどこかに行ってしまってるし、今の俺の気分とは違うんで、当人・関係者から異義があったりしたら訂正・削除します。


小林よしのり+竹内義和『教科書が教えかねない自虐』(ぶんか社・本体1200円)という本が出ていたので、とりあえず買ってみる。「自虐史観」の肯定・否定というのは多分に政治的・イデオロギー的な問題で、そういったものへのコメントとか主張は意図的に私のホームページでは回避しているのだが、頭の痛くなったことが一つだけあるので、これについてちょっとだけ述べる。

頭が痛くなったのは、「お笑い反戦自虐本の世界・責任とれ編」で紹介されている、『平和の風景』(朝日新聞社会部・すずさわ書店・1400円・1981年発行)からの引用文だ。あなたは、以下のような文章を読んでも平気でいられるほど、「文章力」(文章の持つ力、という意味でもある)に対しての感度が鈍いか?

(引用はじめ)
 何かが、私たちのまわりで起きているのではないか。この社会のどこかが、確実に変化しているのではないか。いつの間にか。気づかないうちに。いま、気軽にものがいえない雰囲気はないであろうか。みんなが同じ合唱をする時代が、再びこないといいきれるだろうか。
(引用おわり。『教科書が教えかねない自虐』P222での「引用」より引用。余談だがこの本の引用は、引用の手法によって適切かどうか疑問が残る。だって原典のページ数が書かれてないと、原典当たって文脈読んでみようと思ったら超メンドーなんだな。余談おわり)

(引用はじめ)
 一年が過ぎた。時代は、私たちの予想をはるかに超えて、大きく、激しく、突き進んでしまったように思われる。同じ合唱をする時代に向かっての歩みは、実は、すでに、始まっているのではないか。ものをいわぬ、ものをいえぬ時代へと、私たちはすでに踏み出しているのではないか。
(引用おわり。『教科書が教えかねない自虐』P225での「引用」より引用)

 朝日新聞でこれほど下手な文章を書く人間は、私は一人しか知らない。日曜日の読書欄と、「閑話休題」という、もうコラム名からし間違っている(「閑話休題」ってのは「無駄話はやめにして本題に入る」という意、なんだけど、内容は無駄話しかしていないコラムだ。だいたい、他の人たちが書いた記事を「無駄話」と称するところからして、失礼・無礼なコラム名だと思うので、朝日新聞はなんとかしてもらいたい)欄で、ときどき実名で執筆している河谷史夫、というおかただ。俗っぽい問いかけと、押しつけがましい割には根拠の薄い主張を、ヘドが出そうな悪文を駆使して(笑)、感情的・非論理的に展開する、朝日新聞のステイタスを、文章表現力の稚拙さで貶めているこの人。毎週日曜日には河谷氏がどんな愉快なことを、どんな愉快な文章(苦笑)で書かれるか、その興味で私はつい朝日新聞を読んでしまい、毎度期待は裏切られない。自分の文章が下手だと自分で分からないようなら、誰か河谷氏に言ってやれよ朝日新聞の社員(役員でも可)。別に新聞記者はつとまらなくても、管理職なら充分つとまると思うので、自分の悪文を新聞に載せることをやめて、誰かにコラムとかを任せればいいのに。

渡辺淳一氏が週刊現代「風のように」で暴露した(97年6月7日号)、河谷氏の経歴(朝日の編集委員という肩書だが、その前は社会部に長くいた人だとか)を信用するとするなら、その「長くいた」社会部時代に1980年代初頭は該当している可能性は大きい。河谷氏の文学音痴についてはまた、別項ででも渡辺淳一氏の週刊誌のコラムを引用・転載して述べようか、とは思うのだが(転載許可、というか黙認、は、実はずいぶん前に渡辺淳一事務所の秘書のかたからいただいてはあるのだ)、文章が貧弱で非論理的で、情に訴えかけることを骨子としているようなものしか書けないような人間、ってのは、頭の中味も貧弱に思われる可能性がある、ということは河谷史夫氏に限らずあらゆる人間に助言として言っておきたいな。反戦思想は「情」ではなくむしろ「論理」で責めてみたほうが、一般的には同意を得やすいと思う。反戦思想そのものは悪くないのだが、結局そういうの支えてるの馬鹿ばかりでしょ、という考えが敷衍するのは、頭の良いイデオロギストにとっては困ったことだろうなぁ、と思わず同情してしまうくらいだ。「頭の悪い味方は、頭の良い敵よりも迷惑・害悪である」というのは、何に限らず非常に一般的な理屈ですからね。

ということで、お笑いライター(それも「天然」系)ウォッチャーは、色々な意味で河谷史夫氏に注目、である。

(97.8.21)

自分のプライバシーについて言及してるところその他は一部元テキストから削除。今の俺だと、もう少し表現的に押さえたり、あれこれすると思います。
そういえばこの、河谷史夫さん、1997年当時は「閑話休題」ってコラムを書いてたんでしたっけ。今では「これ以上壊れようがないから、素粒子」って言ってる人もいるみたいです。
あと最近天声人語を書いている「小池民男」という人も知ったので、朝日新聞で俺基準で文章ヘタな人は二人いることになります(もっといるような気がしてきたのも、数年前の俺の気分とは違うところ)。