本日の「創氏改名」

朝日新聞2003年6月16日・「声」(読者投稿欄)より


古里にちなみ「南郷」と創氏
無職・孫済河(川崎市・78歳)
 恐縮ながら、自民党政調会長の麻生氏に一言申し上げたい。私の古里は韓国にある百済の古都、扶余(プヨ)の近くにある。裏にそびえる麗しい山「南山」の名はその昔、百済の王様がじきじきに付けてくれたと言われていて、いまだに村人の心を和ませ、村名も「南山里」となった。戦前、この素朴な村にも、創氏改名令が下された。たしか紀元節の日(今の建国記念の日)だったと記憶している。
 村中が激憤と悲しみにわき返り、祖先代々の「族譜」(系図)までもとられるということで大騒ぎ。でも、抵抗はできない。夜、一家の長老たちが集まる。けんけんごうごうとして話がまとまらない。
 沈黙が続く中、南山の「南」と、郷里の「郷」をつけ「南郷」という案が出た。故郷忘れまじの思いからである。こうして私は「孫済河」から「南郷哲造」となった。東京の学校に入る2年前のことで、その同級生は今も私を「南郷」と呼んでいるのだ。
 麻生氏よ、これが真実の歴史なのだ。舌足らずの発言と気付いたら、今取り消しても間に合うのだが。
在日の人は馬鹿なのか、それともこういう馬鹿な人の手紙ばかりを選んで載せているのか、朝日新聞の読者が馬鹿なのかは不明ですが(最初と最後があまり正しくないのは、俺の経験から言うと自明なので、私感では真ん中の説)、ここで示されている「真実の歴史」と、麻生氏の「創氏改名」関連発言とは関係がありません。麻生氏の発言は「創氏改名のはじまり」に関することで、孫氏の投書は「創氏改名の実施状況(の一例)」。ただ、孫氏のいう「舌足らずの発言」という点はごもっともなので、ちゃんと麻生氏は補足説明をする必要があるのでは、と思います。
また創氏改名の法令的な意味については、以下のサイトが一番参考になりますが、
創氏改名とは何か
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai
そこでは「創氏改名は日本名を強制するものではない」という章立てをして、以下のように述べています。

 創氏は家族名としての「氏」を新たに設けることであり、先祖伝来の「姓」には変更はなかった。朝鮮戸籍には創氏改名が書き加えられたのみで、「姓」は抹消されずに本貫欄に残った。本貫欄は日本戸籍にはなく、朝鮮戸籍独特のものである。創氏改名後はこの欄に本貫とともに「姓」が記載されることになったのである。日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである。
要するに、別にこの人は「孫さん」という姓を名乗っても全然問題はなかったのでは、と(ところでこの「孫」という姓は、俺の認識としては朝鮮古来の姓ではなく、中国より伝来の姓だと思うんですが…)。
漠然とした仮説ですけれども、当時の日本の「八紘一宇」という思想のモデルケースとして、アメリカ的多民族国家みたいなものを当時の日本が考えていて、アメリカン・スタイルの改名を合衆国が容認・奨励していたのを真似た、みたいな背景が当時あったのかも知れないですね。アメリカ国内における人種差別緩和策ですか。
まぁあまり政治的な記述は俺の日記には向いていないような気がするので、これぐらいにします。俺が興味があるのは「創氏改名の是非・実態」ではなく、「誰かが何かを言ったと、マス・メディアが伝えた場合、それは本当なのか」という、メディアの報道姿勢に関する疑問・問題提起で、その流れとして誤読のスタイルが生まれるのが面白いな、ということです。
ただ、さらにツッコミを入れると、読み手の誤読に基づく、間違った解釈・前提を背負った投書(読者の意見)を排除する、ということは、編集者(投書欄の選者)レベルで義務としてしなければならないことなのではないでしょうか。具体的には、朝日新聞的に麻生氏に反論するなら、「なぜ当時の満州朝鮮人と分かるような名前が名乗れなかったのか」ということに関しての「真実の歴史」を投書として掲載しないと駄目なんじゃないか、ということですね。それは多分、現在通名で日本名を名乗っている人に対する、俺自身の疑問でもあります。