朝日の記事に関する二つのリアクション

↓「彼をイラクに行かせないで」たった一人の街頭署名活動(朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1211/005.html


 交際相手が自衛隊イラク派遣要員に選ばれた札幌と千葉の女性が、それぞれ1人で派遣反対の署名集めを始めた。政府が派遣を決めた今、どうしたら派遣を止められるのか。そんな気持ちから、師走の街頭に立つ。

 ■札幌で

 札幌市の中心街にある狸(たぬき)小路。商店など約200軒が並ぶアーケード街に10日午前、23歳の女性が立った。署名用紙を載せて首から下げた手作りの板には、「恋人を奪わないで」と手書きした紙がさがる。零下2.5度。降りしきる大粒の雪がアーケードの下に舞い込む。

 「私の彼がイラクに派遣されます。反対の署名に協力してください」

 彼とは今年の夏に知り会った。第2陣で派遣される見込みの第11師団(札幌市)の隊員だ。

 10月末、「イラクに行くことになった」と告げられ、驚いた。「断れないの?」「めったにない機会だから行きたい」。国際貢献活動に参加した隊員は、帰任後の処遇で優遇される。将来を考えての決断だった。

 訓練が多く、会えるのは2〜3週間に1度。いろいろ聞きたいが、「何も話せない」と口は重い。「イラクの人は、おれたちを敵だと思っているだろうな」。彼も、時折、不安を口にする。

 全国で反対署名を展開する運動を知り、署名簿とビラを取り寄せた。「とにかく何かしないと。でも、どこまでやればイラク行きを止められるのか、わからない」。初めて署名集めに立った10日、夜7時すぎまでかかって130人に署名してもらった。「頑張って」とねぎらってくれる人もいたが、「隊員を辞めたら」とも言われ、ショックだった。

 ■千葉で

 千葉県に住む30代の女性は、8日から県内の自宅近くのスーパーや繁華街で、署名活動を始めた。隊員の彼は同世代。2カ月ほど前、派遣を打ち明けられ、「不安にさせるから別れた方がいい」とも言われた。

 行ってほしくない気持ちは伝えたが、彼は悩んだ末、厳しい訓練に耐えてきたことを無駄にしたくないと、決意したという。聞きたいことはいっぱいあるが、話が堂々めぐりになって、彼を悩ませるから聞けない。

 「このまま何もしないでことが過ぎていくのは耐えられない」と、署名集めを始めた。8、9の両日で約160人。「こういう思いをしている人がいることを、たくさんの人に知ってほしい」と訴える。 (12/11 06:14)

この記事の元ネタは、多分これ。
↓大切な人、また「戦争」に奪われるのか(朝日新聞
http://mytown.asahi.com/kagawa/news01.asp?kiji=6024

  イラクで日本の外交官が銃弾に倒れた。「ベトナム化」への心配もささやかれる中、政府は自衛隊派遣の準備を進める。その動きに、自衛官を恋人にもつ2人の女性が朝日新聞の「声」欄で心情を打ち明けた。8日は太平洋戦争開戦の日。愛する人を案ずる思いは、半世紀以上前の人々も変わらない。高松空襲で祖父母を亡くした日本戦災遺族会支部会長の久米ヤス子さん(83)=高松市在住=と、父の戦争体験記を自費出版した青木睦男さん(61)=同=に聞いた。


空襲慰霊碑建立の年に「つらい」/戦災遺族会の久米ヤス子さん


  「お二人のつらい気持ちは当然で私までつらくなってくる」−−久米さんは「つらい」という言葉を何度も繰り返した。

  今年7月3日、高松空襲犠牲者の慰霊碑の除幕式が開かれた。祖父母を含む犠牲者の名を刻む慰霊碑建立は10年越しの念願だった。碑に託した願いとは違う方向へこの国は進んでいる。そんな状況も「つらい」という。

  41年12月8日。高松市内の自宅の仏間にいると、父に突然言われた。「アメリカと始まった。これは大変だ」。すでに10年にわたって戦争状態が続いていた。さらに手を広げるのかと驚いた。

  45年4月、結婚のため旧満州へ。祖父母と父母に別れのあいさつをした。「私か家族かどっちが死ぬか。いずれにしろこれが最後だと思っていた」と話す。祖父母とは本当に「最後の別れ」となった。

  終戦直前の8月11日、高松に戻ることができた。が、そこは一面の焼け野原。祖父母の死の知らせに言葉を失った。2人は7月4日の空襲に遭い、自宅の布団の上で焼死した。

  戦時中は「家族のうち1人でも2人でも誰かが生き残ってくれれば」という父の言葉を当然のように受け入れていた。教育も含めそういう時代だったと振り返る。

  イラクへの自衛隊派遣には反対だ。「なぜ日本が『戦争』に参加しなければならないのか。なぜ葛西さんたちはこんなつらさを味わわなければいけないのか。戦争に進めば、そんな人たちがもっと増えてしまう」


戦争の痛み伝えたい/「悲しむ人が増えるだけ」本出版に託した父の思いむなしく/青木睦男さん(61)


  高松市に住む青木睦男さん(61)は、父・正彦さん(87)の回顧録「私の戦場」を5月に自費出版した。「『戦争は嫌だ』という父の強い思いを、この時期だからこそ形にしてあげたかった」と話す。

  米国によるイラク攻撃が徐々に現実味を帯びてきた去年暮れ。病床の正彦さんはテレビのニュースを見ながら、繰り返しつぶやいた。「戦争になりそうだ。大変やのう。何とかならんかのう」。普段あまり戦争のことを話したがらないだけに、重い気持ちを感じた。

  中国の戦場や、高松空襲で目にした無残な死の数々。回顧録では「戦争の実体」が生々しく描かれる。「父は時代の波に流され、戦争の残酷さや悲惨さを体験した多くの人の一人。戦場を知らない若い者に、言葉を通して伝えたかったのでは」と睦男さんは話す。

  その正彦さんは病院のベッドで体を起こし、まっすぐ前を向いて話し始めた。「勝っても負けても戦争はいかん。悲しい思いをする人が増えるだけだ」。そして「自分の国で起こった戦争ならともかく、(自衛隊を)戦場に行かせてはいかん」と付け加えた。

  12月8日は正彦さんの88回目の誕生日でもある。62年前の記憶と「今」が重なり、気持ちは晴れない。回顧録に託した父の「何とかならんのか」という願いと、「何とかしてあげたい」という子の思いは届くのだろうか。


「声欄から」


  自衛隊イラク派遣をめぐって11月の朝日新聞に掲載された2通の投稿は次の通り。(一部省略)

  ◆恋人に迫った派遣をやめて 札幌市 葛西裕美さん(23)=11月13日付

  私の恋人は自衛隊員です。彼は「8割方、(イラクへ)行くことになる」そうです。こんなことになるなんて夢にも思いませんでした。イラク戦争が急に身近に思え、毎日が不安でなりません。

  考えてみて下さい。とてもとても大事な人が戦地に行くのです。命を落とすかもしれないのです。たとえ彼が行かなくても、代わりの誰かが行き、私と同じ思いをする人がいるのです。昔、戦争を体験した人たちもこんな思いをしたのでしょうか。それならなおのこと、同じことを繰り返さないで、と思います。

  ◆自衛官の彼に別れ告げられ 千葉県 上原理子さん(34)=同19日付

  葛西さんと同じ状況の私は胸がいっぱいです。私のお付き合いしている人も自衛官です。いつ派遣されることになるのかと不安な毎日です。

  先日彼に「いつか任命された場合は行かなければ。生きて帰ってくる保証もないのに、待っていてくれとは言えない。別れてほしい」と言われました。今回の派遣は今までの派遣とはわけが違うそうです。私には返す言葉がありませんでした。今、こういう思いでいる人は葛西さんや私だけではないと思います。小泉首相は、こういう人たちがいることをどれぐらい分かっているのでしょう。人の命を軽く見ているのではないですか。

(12/8)

これに関する、はてなダイアリーの人の二つの意見。
霞が関官僚日記(2003年12月11日)
http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20031211#p1

朝日新聞に対し、声を大にして言いたい。アホかと。お前は何を考えてこんな記事を載せているんだ。あ、何も考えてないのか。

自衛隊員である自分の彼氏がイラクに、自ら志願して行く。けど私は行ってほしくない。しかし彼氏を説得できなかった。だから、イラク派遣がいいことか悪いことかわからないけど、彼氏に日本にいてもらいたいので、自衛隊全体のイラク派遣に反対します。

彼女たちの上記のような主張についてもいろいろ言いたいことはあるが、変な人が変な考えを持つことはよくあることで、まぁ非難してもしょうがない。

しかし、朝日新聞がこれを載せることは非難されてよかろう。アホたれ。だからマスゴミなんだよ。こういう記事を載せるから、新聞紙面全体が信用できなくなってくるんだよ。たとえいい論評とかがあっても、「所詮朝日だから」ですまされちゃうんだよ。そんなこともわからんのか。

あ、この程度の記事で世論を誘導できると思っているのか。読者もバカにされたものだ。

↓tokimekiclubの日記(2003年12月11日づけ)
http://d.hatena.ne.jp/tokimekiclub/20031211

日本の新聞の記事は、どこからか垂れ流された事実の断片を切り貼りしているだけのものだと思っています。読んだことによって、断片的な情報量は増えるかもしれないけれど、自分が考えるきっかけとなったり、頭や心になにも刺激を与えてはくれることは極めて稀です。端的に言えば、文章に魂が入っていなくて、心に届かないと評価しています。

今日の記事は、ずんと心に届きました。私は記事としての力を感じました。多くのエライ人たちの言葉にはみられない説得力がありました。

イラクに派遣される自衛隊員の恋人を見送らなければならないつらさ、不安だけでなく、多くの日本国民が望んでもいないのに人身御供のように派遣されることに対するとまどいややりきれなさが伝わってくるようです。特に、雪降る中、ひとり街頭に立っている写真はとてもいい写真です。

http://www.asahi.com/national/update/1211/005.html

この記事の内容をどう捉えるかは、個人個人によって異なると思いますが、少なくとも彼女のナマの気持ちは、私の心にまで届きました。

戦争や自衛隊派遣を身近なこととして考えられないという人も多いとは思いますが、そんな人の中にも、彼女の気持ちを感じ取れる人もいると思います。そういう意味で、この記事は記事としてとてもよい記事だと思いました。

「記事として」ではなく「読み物」としてはまぁ読ませるものだとは俺も思ったんですが、記者に俺が要求したいのは、物語作りの能力ではなく、事実を検証・取材し、それを読者に伝える能力なので、求めているものが違うかな、という印象。第二次大戦中だったら、その物語はたとえば「戦地に赴く兄・弟(←時代的に「恋人」という設定は難しいかも)のために千人針を街頭でお願いする女性」になっていたのかな、とか。
↓千人針については、こちらなど
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/densho.htm
要するに、何かのプロパガンダ(宣伝・主張)が裏にありそうだな、と思えるような記事を書いちゃ、(俺にとっては)駄目よ、ってことでしょうか。