曾野綾子を読む

曾野綾子「夜明けの新聞の匂い」(新潮45+に連載されていたもの)をまとめた新潮文庫の第二弾、『部族虐殺』を読んでるけど、これはなかなか面白い本です。クリスチャンで日本財団というボランティア組織の長であり、世界中の貧しい国を中心に100か国以上を回ったという、この人のキャラクター的背景からするとヒューマニズム的泣かせコンセプトのテキストでも全然おかしくない筈なんですが(「世界にはかわいそうな子供が沢山いて、何とかしてあげなければ!」みたいなボランティア精神を煽るような奴ですね)、で、そういうのもあることはあるんですが、根本に流れているのは人間に関するある種あきらめも感じられるようなクールな視点で、正直言ってこんなにすごいことを言っている、というか、言い続けている人だとは知りませんでした。
まぁ、2ちゃんねるでは「進歩的文化人」みたいなのを否定する男前なテキストということで、曾野綾子さんの書かれたものは断片的に、折々の時事にあわせて紹介されたものを見てはいたんですが、本一冊分まとめて読んだのはこれがはじめてです。
結局2ちゃんねるが「アンチのアンチ」、つまり政府や実質的に何か活動をおこなっている関係者に対して批判している勢力を、いささか賤しい(という言いかたに問題があるのなら、いささか低い)視点から批判しているだけなのに対し、曾野綾子さんの場合は実際に何かをやっている人間が、自分の見たり体験したりしたことを題材に語っている(その結果としてボランティア・マインドの甘くない現実を述べている)ところが痛快で視点の高さを感じさせます。たとえば、こんなテキストとか。p65-66。


 民主主義絶対説と対をなすものは、「植民地主義は悪いものであった。それを脱出して、人々は自分の国家を手に入れた」という幻想である。
 一つの例がアフリカであろう。アフリカの多くの国々は独立して、二十年、あるいは三十年が経った、しかし大半の国では、その庶民生活は、将来はいざ知らず今までのところじり貧である。
 アフリカの国々でよく見られる光景は、植民地時代のしっかりできた建物や施設を食いつぶして行って、次第にみじめになっている町の姿である。屋根は破れて草が生え、水のタンクは穴が開いて使えなくなり、バルコニーの手すりは錆びて落ち、階段の化粧タイルは剥がれたまま、というような光景である。アジアでは多くの国が日進月歩の経済の伸びで、数か月でもう新しいビルが建っているような発展を見せているのとは、状況が全く違う。植民地でなくなってもう三十年も経てば、その国の人は、その国の形に責任があるでしょう、と言うと、それだけで私は反逆者扱いにされる。
「自立できないようにしたのは、長い間の白人の圧政と植民地支配のせいです」
 とまだその国の人を庇いたい流行が日本にはある。
あまりにも面白いので、いくつかを引用してみたくなりました。まぁ、立ち読みなどで買うかどうか判断したい人は、とりあえず現代社会の病理について語っている「自分からの逃走」(p225-)と、ペンクラブの主張に異義を唱える文学者の姿勢について触れている「アピールは怖い」(p259-)を読まれることをおすすめします。
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『部族虐殺 夜明けの新聞の匂い』(曽野綾子、新潮社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ
タイトルの「部族虐殺」というのは、ルワンダで100日の間に140万人が殺された(総人口は700万人の国です)という、記録的な大虐殺、ジェノサイドについて語っている章から取ったものです。
この話はもう少し続けるかもしれません。