映画『スウィングガールズ』の駄目な点
↓矢口史靖『スウィングガールズ』 ☆(地球儀の螺旋)
http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20040914#p2
だが、『スウィング・ガールズ』の結末には「へー、かっこいいなあ」以上のモノは感じなかった。なぜか。それは結末への起爆剤が仕掛けられていないからだ。つまり、伏線が全然張ってないのである。
伏線とは何か。例えば、トランペットの女の子のネズミのシーンなんかがそれに当たる。あそこは伏線の提示が露骨だったが、きちんと消化できていてしっかり感動できる。だが、それ以外はダメダメだ。眼鏡の関口ちゃんがトロンボーンのソロを吹くシーン。伏線が張ってないので、ここに挿入されるべき回想シーンが再生されず、「ただ単にソロをやった」で終わってしまっている。彼女は練習熱心で才能もあるという設定なのだから、「ひたすら練習をするシーン」を伏線として張っておいて、そのシーンを挿入すればよかったのに。チーマーが照明室にもぐりこむシーンだって、「二人は照明を扱える」というアビリティが与えられていないので「何でお前らが?」で終わってしまっている。物凄く雑な脚本だ。
確かに、ハリウッド産の脚本ならそこまでやる(多分監督・プロデューサーレベルで直しが入る)と思いますんで、まぁ俺も同じ意見です。キャストの人数と伏線の張らせ具合を考えると、ワンクールのTVドラマで再構築したほうがいいかな、とも。いや、ハリウッドの映画でももっとヘタレなシナリオはありますけどね、『ザ・ビーチ』とか。なんでこんなのにディカプリオが出演したのか…いやそれはともかく。
「アビリティに伴う伏線」というのは、俺の場合はその人物が過去にどのような生活・人生を送ってきたのか、という設定部分に関係しています。たとえば、竹中直人の数学の先生は、なぜあんなにすごいオーディオとジャズのレコードを持っていたのか(実は死んだ兄がいて、ジャズのマイナーなプレイヤーで、とか。これは一つの例)。メンバーに確か絶対音感の子もいた筈なんだけど、たいした役してないな、とか。
しかし、長くて2時間以内の映画の中で、出さなければいけないモノ、切らねばいけないモノ(切られることによって観客の想像をまねくモノ)とか、「作り」の面で考えるところが多い映画だったので、これは何か創作活動をおこなっている人(ゲームとか漫画とか小説とか)が見ると参考になる映画かも、と思いました。