憲法裁判所に関する、少し難しい話

憲法記念日なので、憲法に関する話をします。

憲法改正というと、9条に関しては報道が嫌というほど流れるのですが(情報量として多すぎるぐらい)、憲法裁判所」の設置という、ある種地味なネタはなかなか新聞で報道されたのを見ないです。だからこそ個人サイトで取り上げても面白いかと思って、世の中というかネットの中が「人権法案」「9条」でにぎわっている最中に、違うネタを出してみます。憲法裁判所というのは、ある法律や事件・事件の判決が「違憲か否か」を判断することだけを目的にしている裁判所のことです。

自民党の「要綱」ではこんな感じにまとまったみたいですが
自民党新憲法起草委員会各小委員会要綱
なぜだか知らないけど、自民党の公式サイトの中には、この「要綱」が見当たらなかったので、共同通信内のテキストから。2005年4月4日に出されたもので、これを元に自民党が草案を作って、国会に提出したりするわけです。で、「憲法裁判所」についてはこう述べられています。

(1) 違憲審査制のあり方(81条)
憲法裁判所は、設けない。
違憲審査制の機能強化を求める意見もあったが、国会が国権の最高機関であるという規定(41条)との関係もあり、憲法裁判所設置については、慎重意見・反対意見が多数を占め、現行の付随的審査制維持が多数であった。

実は、その前の、平成17年(2005年)2月17日、国会(衆議院)の憲法調査会では、自民党憲法裁判所の設置に賛成でした。というか、憲法調査会に参加した議員の中では、賛成派のほうが多かったのかな。
第162回国会 憲法調査会(第3回)
まぁ、全文はじっくり読んでもらうことにして、発言の要旨だけをピックアップしてみます。

山花郁夫(民主)※積極派
法の支配の徹底のために、憲法上の根拠を有する憲法裁判所を設置すべきである。
大口善徳(公明)※消極派
司法消極主義に傾いている現在の最高裁判所の在り方を改善することが重要であり、憲法裁判所の設置までは必要ない。
塩川鉄也(共産)※消極派
法令違憲判決が少ない原因は、司法官僚制ともいうべき、最高裁判所の強い統制と内閣の最高裁判所人事の政治的利用にあり、これらを改善しなければ、憲法裁判所をつくっても、政府の違憲行為に合憲の判決を与えるだけで司法消極主義の解消にはつながらない。
船田元(自民)※積極派(ただし「最高裁判所憲法部」という案)
本来、憲法解釈は最高裁判所でなされるべきであるが、裁判所が抱える膨大な訴訟量と統治行為論による憲法判断回避にかんがみれば、最高裁判所憲法部又は憲法裁判所を設置すべきである。この点、個別事案と憲法裁判の乖離は望ましくなく、最高裁判所憲法部の設置が望ましい。
中川正春(民主)※積極派
従来のように、過去からの延長線の上でその場しのぎの政策を展開するのではなく、憲法裁判所を設置し、その憲法判断を基本に据えながら、国家意思を形成していくことが望ましい。
葉梨康弘(自民)※積極派
司法が憲法判断を下すことに消極的な現状等をかんがみれば、憲法裁判所の設置は必要と考える。ただし、憲法裁判所を機能させていくためには、(a)公開で公正な運営の確保、(b)裁判官の人事についての工夫、(c)事前審査を行う機関の国会への設置が必要である。
柴山昌彦(自民)※消極派
司法の現状が憲法判断に消極的であることは認めざるを得ないが、付随的違憲審査制は、人権保障の上で個々の事例によって細やかな判断を下すことができるものであり、そうした観点からは、憲法裁判所の設置には消極的である。むしろ、国会に憲法問題に関する常設の委員会を置くべきである。
土井たか子(社民)※消極派
81条は、最高裁判所のみに憲法適合性を「決定する権限」を与えており、最高裁判所憲法裁判所的役割も付与されている。しかし、実態はそうはなっておらず、大切な問題であればあるほど憲法判断を回避する傾向にある。それは、さまざまな要因によるのであって、単に憲法裁判所を設置したからといって問題が解決するとは思われない。
保岡興治(自民)※積極派
裁判所に違憲審査を積極的に行わせるには、現在の職業裁判官制度では限界がある。憲法裁判所を設置し、その裁判官を内閣・国会・裁判所が推薦して決めるような仕組みを検討すべきである。
鹿野道彦君(民主)※積極派
我が国が司法国家として歩み、国民との間に信頼関係を築いていくためにも、憲法裁判所を導入すべきである。なお、導入に当たり慎重に検討すべき点として、(a)裁判官の人選の在り方、(b)提訴権者の範囲が挙げられる。
永岡洋治(自民)※積極派
(a)付随的違憲審査制度の場合、裁判にならないと法令の憲法適合性が明らかにならないこと、(b)司法消極主義と言われる最高裁違憲審査制度の現在の運用では憲法による規範的統制が不十分であることから、憲法裁判所を導入すべきである。

それを、党派別に分けてみます。

自民党積極派
船田元(ただし「最高裁判所憲法部」という案)・葉梨康弘保岡興治永岡洋治
自民党消極派
柴山昌彦

民主党は全委員が積極派
山花郁夫中川正春鹿野道彦

民主党以外の野党は、全委員が消極派
大口善徳(公明)・塩川鉄也(共産)・土井たか子(社民)

このデータを分析するのは、各党内の思惑や議員の支持層、さらに議員個人の考えなどもあって、やろうと思えば1年ぐらい(テキスト量にして新書1冊分ぐらい)になりそうな大ネタですが、まぁそういうのは省略します。本来なら自民党の多数と民主党とが共同の思惑を持てば、憲法裁判所の設置は要綱としては当然まとまる方向だったんですが、自民党の思惑が変わってしまったのはどうしてでしょうか。

それについて考える前に、いろいろ他の人のテキストなどを。

町田最高裁長官の談話と記者会見の要旨朝日新聞
ちょっと公式なのが見当たらなかったので、新聞の記事で代用しておきます。しかしこちらの話も「裁判員」に関することがメインだなぁ。

最高裁違憲審査機能について》
――国会や与党では改憲論議が進んでおり、その中には憲法裁判所構想も取りざたされている。戦後、最高裁違憲審査機能をどのように果たしてきたのか、現在はどうなのか、また、とりわけ憲法9条についての違憲審査機能についてはどのように果たしてきたのかについてどのようにお考えか。
(町田)違憲立法審査権からすると、私はこれまでの裁判所は与えられた違憲立法審査権を適正に果たしてきたと思う。憲法に適合するかしないかというと、適合すると判断することも、しないと判断することもありうるが、我が国のように立法過程がある意味整備されているところで、そう違憲の法律がたくさん出てくるということは、本来あり得ない。そういう中で、いくつもの違憲判決が出ているということは、制度の行使は適正に行われてきていると思う。
9条が表から最高裁で問題になったのは、砂川事件(1959年12月16日大法廷判決)くらいではないかと思う。砂川事件は、これもある意味で特殊なのは、安保条約の9条適合性という、当時の国際関係、政治状況が大きなウエートを占めており、配慮した判決になっている。あの中で、一応、9条の解釈は一般的な形では述べられているし、それなりに役割は果たしてきたと思っている。

で、自民党の党内で話された「憲法裁判所」に関する論議の内容はよくわからないのですが、こんな新聞記事も。
追跡・憲法:自民小委、憲法裁判所の設置見送り毎日新聞

自民党憲法起草委員会の「司法に関する小委員会」(森山真弓委員長)は22日の会合で、最高裁判事の国民審査制度を規定した憲法79条2項を見直すことで一致した。会合では国民審査制度について「形がい化しており意味がない」などの廃止論が相次いだ。「実質的な審査を行うことのできる機関を設けるべきだ」として、現行制度に代わる審査方法の検討が進められる見通しだ。
憲法裁判所に関しては「政治判断に司法が消極的で違憲審査権が機能していない」などの理由から党内には設置に積極的な意見もあった。
しかし、小委員会では「国権の最高機関である国会の法律を、民主的基盤のない司法で裁くのは問題がある」などの反対論が多く、見送る方向となった。【宮下正己】

毎日新聞 2005年2月23日 東京朝刊

(太字は引用者=俺)
どうも自民党では、
1・「違憲か否か」の判断を裁判所がしていないことに関しての不満から、憲法裁判所設置に積極的
2・司法(裁判所)より立法(国会)の組織を重視したいため、憲法裁判所設置に消極的
という二つの判断があるようです。
もう少しくわしい記事では、こんなのも。
憲法裁判所の行方日本経済新聞2005年2月14日)

憲法裁判所の行方
編集委員 三宅伸吾(2月14日)
 
自民党の新憲法起草委員会「司法小委員会」の初会合が7日開かれ、憲法裁判所を巡る議論がスタートした。司法分野では知的財産高等裁判所の創設、裁判員制度の導入など制度改正が相次いでいる。憲法裁判所も日の目を見るのだろうか。
具体的な紛争がなくても、法律などが憲法に合っているかどうかを判断するのが憲法裁判所。導入するには、憲法改正が必要というのが最高裁判例や学界の通説で、10年ほど前にも学者や読売新聞などが改憲による創設を提言している。
先月20日には、中曽根康弘元首相が会長を務める世界平和研究所が(1)最高裁とは別の組織として憲法裁判所を創設する(2)その裁判官は国会と首相が半数ずつ任命する――などを盛り込んだ憲法改正試案を公表した。
憲法裁判所は自民党憲法調査会が昨年11月に起案した改正草案の「大綱原案」にも創設が明記された。調査会の議論では「司法によるチェックがもっとあってしかるべきだいう意見が大勢を占めていた」と調査会長の保岡興治・元法相。憲法判断に対する最高裁の消極姿勢への反発と、安全保障問題などで内閣法制局憲法解釈を委ねてきた反省からだという。
消極的とされる憲法判断の背景には最高裁判事の「顔ぶれ」が原因との見方もある。ただ、保岡氏は「法律家はそもそも謙抑的。そのうえ裁判官は山積みの案件処理に忙しく、じっくり憲法判断に取り組む余裕がないからではないか」と創設の必要性を説明する。
大綱原案は憲法裁判所の裁判官人事について、国会、最高裁、内閣の3者がそれぞれ推薦する形を提案。一方で、国会を「国権の最高機関」と位置付ける現行憲法の規定は、そもそも「政治的美称」との立場などから削除している。
かなり踏み込んだ大綱原案だったが、現在はお蔵入り状態。原案に、閣僚になった参院議員は「辞職したものとみなす」との表現があり、これを参院無用論と受け取った参院幹部が猛反発したため。党内の改憲議論の場も憲法調査会から、新たに発足した新憲法起草委員会(委員長森喜朗元首相)に移った。起草委員会で、憲法裁判所問題を担当する司法小委員会では14日以降、最高裁法務省、日本弁護士連合会など法曹3者のヒアリングなども実施、意見の集約作業を急ぐ。
司法分野の制度見直しでは今年4月に知財高裁が発足、数年後には裁判員制度の導入も予定されている。知財高裁は経済界や日本弁理士政治連盟などが創設を強く働きかけた。裁判員制度では日弁連などが与野党にロビーイング活動を積極的に展開。政治的エネルギーとなって、いずれの制度改正も実現した。
そのエネルギーに比べると、憲法裁判所創設を求める声はそれほ大きくないようだ。例えば日弁連憲法改正という高度な政治問題に強制加入団体がからむことが法律上、許されるのかという問題もあってか、憲法改正そのものへの態度もまとめていない。
ある政府関係者も冷ややか。「憲法改正ということで、司法分野を見渡すと海外には憲法裁判所がある。日本でも創設を議論してみよう、という程度の感じがする」
憲法裁判所を作るとしても、もっとも大事なのはどんな人を裁判官に選ぶかという点だろう。憲法裁判所の言葉だけが踊る感もある現状に、法曹関係者からはこんな声も漏れてくる。「国会議員による憲法裁判所裁判官の猟官運動とは思いたくないが……」
その一方で、ある古参の衆院議員は最近の自民党総務会でこんな意見を述べた。「憲法裁判所といっても裁判官は役人。我々、議員の作った法律を役人が覆すわけだが、それでいいのか」――。本人によると「大半が賛同する顔つきだった」という。
「国のかたちを決めるという意味で、裁判員制度以上に大きな問題だ」。新憲法起草委員会司法小委員長の森山真弓元法相はこうみており、「創設の是非を含め、慎重に議論を深めたい」と話す。

(太字は引用者=俺)
太字の部分に議員のホンネを感じました。
俺の意見としては、現状の、憲法改正が非常に難しい仕組みの中で違憲判決を「判例」として残すことに関しての裁判官の懸念も納得できるので(実際、俺の見たところでは判決においては裁判官は驚くほど「違憲か否か」の判断をたくみに避けていると思います)、憲法改正に関してのハードルをもう少し低くしない限りは、憲法裁判所があろうとなかろうと、それそのものはそんなに重要な問題ではないような気もします。もっとも、自民党が求めている「憲法改正のハードル」は、少し低すぎるかもしれませんが。
法律は人を裁くための基準なので、時代に応じて変化させる、というのは当然のことだとは思いますが(たとえば「人権」に関する「表現の自由」の制約は、数十年前と今とでは違っていて当たり前でしょう)、立法の人があまりにもl恣意的に、「憲法」という根本の法律をいじくり回すことには、それなりの懸念を感じます。もっとも、共産党社民党のように「南無憲法第九条」というお題目を唱えていれば、日本は安全である、みたいな姿勢もどうかとは思いますが。