自分のところで記事にできないネタをマスメディア関係者がリークして記事にさせる手法について

こんなのがありましたが。
朝日社内資料、雑誌流出か…NHK改変問題の取材応答 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

朝日新聞は29日夜、東京・築地の東京本社で緊急記者会見を開き、NHK番組改変報道問題で、同社の内部資料が流出した可能性が高いことを明らかにした。社内で今後、事実関係を調べるという。
荒木高伸・広報担当ら3人が、午後11時から約20分間、会見した。
それによると、8月1日発売の「月刊現代」(講談社)に「衝撃スクープ 証言記録を独占入手!」などのタイトルで掲載される記事の中で、朝日記者とNHKの松尾武・元放送総局長、自民党安倍晋三幹事長代理、中川昭一経産相の質疑応答が、朝日新聞が今月25日の検証記事で掲載した一問一答の内容と酷似している上、より詳細になっていた。同社は、会見で、「講談社側の了解を得た」として、月刊現代の記事のコピーを配布したが、その内容が実際の一問一答と同じかどうかは答えなかった。荒木広報担当は「資料が外部に出たとすれば深刻に受け止めざるを得ない」と話した。
会見では、具体的にどのような資料が流出した可能性があるのか説明せず、取材時の録音テープの有無については「明らかにしない」と答えた。朝日新聞はこれまでも録音テープなどについて、「取材の方法にかかわる事柄には答えられない」とし、NHKが同社にあてた公開質問状にも答えていない。
朝日新聞では昨年8月、取材相手との約束に反して録音した取材中のやりとりを、別の取材先に渡していたことが発覚。その後、同社では取材内容の録音は相手の了解を得るのが原則としており、意に反した録音は禁じている。
(2005年7月30日3時10分 読売新聞)

この件に関してはまた→「Irregular Expression」←とかその他の時事ネタサイトが言及するとは思いますが、基本的には「朝日新聞が自分のところで記事にできないものを、他のメディアに書かせた(意図的リーク)だろ」というのが見えてる茶番、というのが共通認識なんじゃないでしょうか。
俺のほうではちょっと「そうにきまってる」的な情報の流布はひかえたいので、昔のネタでこんなのを思い出した、ってことを書いてみます(昔のネタ掘り起こしても、けっこうタイミングによってはいい感じになることがわかったんで)。
江藤隆美氏は自著で何と言っているか
江藤隆美さんというのは昔、「植民地時代に日本が韓国に良いこともした」と言って、総務庁長官を辞任することになった人ですが、この人が本来「オフレコ」で言ったこの話の内容が、どうやって外部に漏れたのか、ということを、自著『「真の悪役」が日本を救う』(講談社)で語っているわけです。で、その内容が記者の人の、あまりにもひどい「リーク」のしかたにあった、ということで。
元テキストが2年も前の奴なので、再紹介というか江藤隆美さんの著書から再掲載してみても、読んでない人が多いと思うのでやってみます。タイミング的に「記者・メディア関係者の姑息さ」について考える素材になりそうなので。
太字部分を強調したいところとして、俺の判断でつけてみます。
ただしこれ、あくまでも「江藤隆美氏が自著の中で、あったこととして語っていること」でしかないので、本当はどうなのか、俺にはうまく判断がつきません。関係者が「事実と異なっている」というような指摘を、別のソース(情報元)をもとにされるようでしたら、お詫びして訂正します。
それでは、はじめます。

自分で書かずにリークする記者
 
一九九四年(平成六年)六月三十日、羽田政権のあとを受けて誕生したのが村山富市政権だった。マスコミからは「まさかの自社さ連立政権」とチャチャを入れられたことも忘れられない。
村山第二次内閣で総務庁長官を拝命した私だったが、十一月に辞任することになった。原因は、私の「オフレコ」発言にあった。
その風貌や政治姿勢から「政界の笠智衆」と呼ばれた村山総理の「日韓併合条約は法的に有効に締結された」という発言を受けて、韓国が猛然と村山総理を攻撃し、私は一九九五年(平成七年)十月十一日の閣議後、国会内で行われた記者会見に出席した。
記者会見に出席したのは朝日新聞、東京(中日)新聞、読売新聞、NHKなど一〇社の記者たち、いわゆる記者クラブ所属の面々だった。
私の仕事は閣議の内容を報告することだったが、それはものの数分で済んだ。すると、記者のうちの若い一人が、私にこう質問してきた。
「私などは戦後の教育を受けたために、日韓併合条約に関する村山総理の発言について、なぜあのような攻撃を受けるのか、またそれが正しいのかどうか、よくわかりません。大臣は歴史におくわしいので、少し勉強させてくれませんか」
日韓併合条約の正当性には議論がかまびすしい。だから、私はその若い記者にこう答えた。
「わかった。今日は時間もあることだし、いいだろう。しかし、これからは雑談。オフレコだから、記事にしてもらっては困るよ」
「わかりました」
彼だけでなく、他の記者たちもそれを了解した。

別にこの段階では、記者クラブの若い人も江藤さんを罠にかけるみたいなことは考えていなかったと思います。純粋に「日韓併合条約」をめぐる当時の時代について知っている人の意見を聞こうと思っただけなんでしょうね。

「オフレコ」というのは、英語でいうと「オフ・ザ・レコード」。記録に取らない、すなわち、記事にしないということだ。
「オフレコ」にすることを了解した場合、記者たちは発言者の言葉をそのまま記事にすることはできない。とくに、この日の私の発言は「勉強会」でのもの。公にすべき内容ではなかった。
そこで、私は朝鮮半島における日本の植民地政策といわれるものについての持論を披露した。
「日本は朝鮮統治時代にいいこともしたんだよ」
発言中、私は二、三度、「オフレコ」であることを念押ししたため、記者たちはメモを取ることなく聞き入っていた。
ところが、私は気づかなかったのだが、卓上に置いてあった五、六台のテープレコーダーは、スイッチが切られないままだった。録音が続けられていたのだ。
「オフレコ」の場合、録音もすべきではないのだから、これは当然、信義違反ということになる。
それからおよそ三週間ののち、月刊誌の『選択』が十一月号の誌上で短いコラムを掲載した。題して『フタされた某現職閣僚の「暴言」の中身』。私を名指ししてはいないものの、その閣僚が「日本は韓国に対して、いいこともした」という発言をしたと報じたのだ。

オフレコの話を記事にしちゃまずいだろ、とか、記者相手にオフレコの話をしちゃまずいだろ、という判断はありますが、この真相(裏でどうやったか)というのはもっとすごいものが。

それを受けたかのように、韓国の有力紙である『東亜日報』と日本の『赤旗』が十一月八日付の紙面で、私を「張本人」として、「オフレコ」の発言内容を報道したため、日韓両国で大騒ぎになったのだった。
 
テープ起こしのあと韓国のマスコミに
 
当時の東亜日報の東京支局は、記事になるまでの経緯について、次のように説明している。

十一月六日に匿名の封書が届けられ、なかにワープロで書かれた三枚の文書が入っていた。その三枚の文書のうちの二枚には、録音テープから起こしたと思われる江藤総務庁長官の「オフレコ」発言が記載されていた。

赤旗』の場合も、何者かが「オフレコ」発言の中身を送りつけたもののようだった。
さらに、『毎日新聞』も後追いの形で「オフレコ」発言を報じたのだが、おかしなことに同社の記者は問題の記者会見に出席していなかった。それなのに、発言内容をやけにくわしく報じているのだ。

オフレコ発言ということだったので、自社では記事にすることができず、しょうがないので他の社に記事にしてもらうという、悪賢いというか記者魂の神髄というか、すごいものがあります。

騒ぎはますます拡大し、コトは日韓の外交問題にまで発展してしまった。私に対して、野党の議員諸君から不信任決議案が提出された。己に恥じることのない私は、もとより徹底的に戦うつもりだった。けれども、そうはいかなかった。それが許されない事情があったのだ。
不信任決議案が提出されたその日は、国会の会期末だった。そして、オウム真理教一派による地下鉄サリン事件をきっかけとして提出されていた宗教法人法の改正という重要法案を、なんとしても成立させるため、会期を延長する必要があったのだ。
もしも、私に対する不信任決議案を本会議の場で審議するとなると、そう簡単には終わらない。時間切れになり、会期延長の手続きが取れなくなる恐れがあった。そうなれば、大勢の仲間たちが長時間かけ、一致団結して作り上げた重要法案を成立させることはかなわない。オウムか、私か。
「約二時間、本会議場で全国民に対して、歴史観・国家観を表明する絶好の機会が与えられたのかもしれないが、しかし残念、時間がない。大儀のためならしかたあるまい」
と判断し、みずから辞任することになったというわけである。

辞任したのには「政治的判断」(内外の政治事情)があった、という江藤隆美さんの説明です。ここらへんは俺的には、ナニワ節的に事情を演出しすぎている印象もありますが、今となっては「いいこともした(悪いこともしていた)」という、韓国併合時代のことを話すに当たっては当たり前の視点で政治家が語ることが難しくなってしまったことを考えると、「徹底的に戦うつもり」を通して欲しかったと思います。
引用を続けます。

どの社のだれとはいわないが、この事件を背後で操ったのは、日本の一部マスコミだろうと、私は今でも信じている。
信義を破ってテープに録音した内容を原稿にし、自分では記事にせず、それをわざわざ韓国のマスコミに送りつけたのだ。これほど卑怯、卑劣なやり方があるだろうか。
本来私は、総務庁長官になりたくてなったのではない。「行政改革規制緩和を推し進めるために、ぜひ協力してもらいたい」と頼まれ、固辞しきれずになったのだから、「わかった。なら、辞めた」で済んだのである。

思わず太字にするだけではなくて大文字にもしてしまいました。
とりあえず「朝日社内資料の雑誌流出事件」については、本当はどうなのか、何年かかろうと興味を持ち続けてみたいと思います。まぁミステリー小説だと、「それによって誰が一番得をするか」というので真実(真相)がわかったりすることもあるんですけどね。
しかしこの「朝日社内資料」について、次にくわしく記事にするのが韓国の新聞と赤旗だったりしたら、と、ちょっと楽しみにしています。
(補足)
『「真の悪役」が日本を救う』は、ネット書店のアマゾンでまだ手に入るみたいなので、リンク貼っておきます。
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